第4話 マイペースにはご用心?!

 気づけば、朝になっていた。

 窓から差し込む光は暖かく、爽やかな風が吹いている。

 小鳥の囀りも聞こえる。

 

 あぁ、朝になってしまった。

 瞼が重い。

 きっと腫れ上がっているだろう。

 顔もパンパンに浮腫んでいるに違いない。

 こんな顔でデザルトや長老に会える気がしない。


 どうしよう、どうしよう、とベッドの中でゴロゴロしていると、遠くからドアをノックする音が聞こえた。


 コンコンコンッ


「賢者候補様。デザルトです。お迎えにあがりました」


 あぁ、来てしまった。

 顔を見られたくないが、仕方がない。

 のっそりと起き上がって、ベッド下に転がっていたローファーを履き直すと、蛍はノロノロと重たい足取りで一階に向かった。


「……はい」


「おはようございます、賢者候補様。……? どうかされましたか? 酷い顔ですよ」


「酷い顔って言わないで! 分かってるから!」


 木戸を開けると、昨日と同じローブを着て長い杖を持ったイケメンが、きょとんと目を瞬かせながら立っていた。

 やはり、酷い顔なのだ。

 あぁ、会いたくなかった。


「見られたくなかった……」


「顔を洗ってきたらどうですか?」


「うぅ……それができたら苦労しないわよ……」


 プイッとデザルトから拗ねた顔を逸らす。

 そんな蛍の表情を見たデザルトは、少し考えた後「あぁ」と納得したように声を上げた。


「水が出せないんですね」


「そうよ! 魔法でしか出せないなんて聞いてない!」


 イライラしてしまって、蛍はデザルトの肩をポコポコ叩いた。


「痛い痛い。やめてください。僕が教えてあげますから」


 大して痛く無いだろうに。

 デザルトが少し棒読みで痛がってみせてから、蛍の手を取って家の中に入ってきた。


「手繋がなくても大丈夫だってば!」


 慌てて手を引くが、離れてもすぐデザルトは手を繋いでくる。仕方がないので、諦めてデザルトについていくしかなかった。


 デザルトは慣れた様子で風呂場に向かうと、蛍の手を離し洗面台の下の棚の扉を開けた。

 屈んだデザルトの後頭部で、細やかな銀細工の髪留めが揺れているのに、蛍はそこで初めて気づいた。


「デザルトさん、その髪留め可愛いね」


 話しかけても、デザルトに無視された。酷い。通らない声ではないのだが、デザルトには届かなかったようだ。


 洗面台下には真っ白でふわふわなタオルが何枚か置いてあり、そんなところにしまっていたのかと探索不足の自分に呆れてしまった。


 デザルトからタオルを受け取ると、ふわりと洗剤の良い香りがする。


「タオルはこちらをお使いください。それで、お湯を出す方法ですが、シャワーの下に立ってこう唱えてください。《ハイセス》」


「は、《ハイセス》」


 目の前に立ち上がったデザルトの紡いだ呪文を、真似てみる。

 上手くできたと思ったのだが、デザルトは難しい顔をして考え込んでしまった。


「うーん。とても綺麗な声ですが、上手く発音できていますか?」


「できてるよ! ……たぶん」


「《ルミネ》もすぐ覚えていたようですし、まぁ大丈夫でしょう」


 なんとも、不安な返事だ。


 これでもし熱湯が出てきたらどうすればいいのだろう。さすがに全裸になった横にデザルトを待機させるわけにはいかない。


「この魔法は、明かりをつける魔法と違って温度と湯量が変化することはありません。安心してください」


 こちらの意図をすぐに読み取ったデザルトが告げた言葉に、蛍はほっと胸を撫で下ろした。


「さぁ、シャワーを浴びていらっしゃい。ついでにあなたの服も洗濯してしまいますので」


「うん。……え、ちょっと待って、それって……」


 それってつまり、下着を見られるということか。

 それだけは嫌だと首を横に振ったが、デザルトにそんなものは通用するはずもなく。


「大丈夫ですよ。籠の中に入れていただければ、その中で完結させますから。何も見ませんよ」


「いやいやいや、そんなこと言われても……! 無理なものは無理!」


 蛍はブンブンと首を横に振る。

 それを見てデザルトが大きく溜息をついた。

 

「頑固な方ですね。では、洗濯物の上にタオルをかけますので。それで良いですか?」


 良いですか、と言われても。

 どうやって洗濯し、乾燥させるのか知らないからなんとも言えない。

 ぐぅ、と黙り込んでしまった蛍を見て、デザルトはサッと蛍の背後に回ると、ぐいぐいと背を押してきた。


「まぁ、ともかく。さっさとシャワーを浴びてきてください。服はこの籠に入れて、ここに置いておいてくだされば大丈夫です。僕は扉の向こうにいますので」


「え? じゃあ、どうやって洗濯するの?」


 だがこちらの質問は無視して、デザルトはさっさと廊下に出て木戸を閉めてしまった。

 ポツン、と蛍だけが風呂場に残される。


「と、とりあえず、シャワー浴びないと……」


 目も腫れているし、昨日からの汗も流したい。

 ボディソープなんて物はないが、これは今日買ってくればいいだろう。

 ……この世界のお金は持っていないが。

 デザルトにどうすればいいか聞こう。


 蛍はデザルトに指定された籠に制服と下着類を入れて、約束通りその上にタオルをかけた。ローファーは籠の横に置いた。


「デザルトさーん、タオルかけたよー」


 扉の向こうにいるであろうデザルトに声をかけてみるものの、反応はない。

 どうしたのだろうか。


「まぁ、いいか」


 今はまずシャワーだ。

 一方が壁、もう三方をガラスで囲んだシャワーブースに入って、ふぅ、と一息つく。


「《ハイセス》」


 つっかえずに言えた、とほっとしたのも束の間、シャワーから温かなお湯が降り注いだ。

 肌にあたる温度は適温で、蛍は嬉しくなって思わず鼻歌を歌いながらシャワーを浴びた。ドライヤーは見当たらなかったので、髪に湯が当たらないようにしないといけないのだけは難易度が高かった。


「ふんふふ〜ん♪ あ〜、気持ちいいなぁ。この世界にお風呂の概念があって本当によかった!」


 少しばかり心配だった。この世界には風呂及びシャワーはありません、なんて言われたら、たぶん死にたくなっただろう。あとはソープの類がゲテモノでないことを祈るばかりだ。


ガサッ


 ふと、背後で何かが動く気配がした。


 デザルトが入ってきてしまったのだろうか。


 そうであるなら、出てもらわないと。


 バッと背後を振り返ると、いったいどうしたことか、籠の中にしまっていたはずの服と下着とタオルが、丸い紫色の水球の中に包まれて宙に浮いているではないか。


「え?! ど、どういうこと?!」


 何が起きているのか分からない。

 慌ててタオルで身体を拭きながら水球の方へ行ってみると、扉はしっかりと閉まっていて、デザルトの姿はない。

 これはつまり、扉の向こうから魔法を使っているということだろうか。

 なんと、魔法とは便利なものだと感心する。


「はー……すごい……これが魔法なんだ」


 水球はしばらく服を包んでいたかと思うと、今度は風の球に変化していき、乾燥の段階に入ったようだ。

 シュルシュルと風の音が心地よい。

 綺麗に洗濯し終わった服と下着は、ストンと籠の中にまた戻っていった。


 籠の服を取ってみると、パリッとクリーニングに出したかのような仕上がりで、思わず感動してしまった。


「すごい! 私もこんなふうに使えるかな」


 生活の中の魔法だろうから、きっと教えてもらえば蛍でも水球くらいは使えるかもしれない。

 なんて言うのだろう。

 気落ちしていた気分が少し上昇したような気がする。


「賢者候補様、いかがでしょうか」


 コツコツ、と木戸をノックしながらデザルトが問いかけてくる。


「大丈夫! 洗濯してくれてありがとう! 今行くね!」


 木戸の向こうに声をかけて、急いで着替えて木戸を開ける。木戸の目の前に立っていたデザルトは、こちらの頭からつま先まで眺めて「大丈夫そうですね」と言った。


「では参りましょう。長老様がお待ちです」


 長老、という言葉から蛍が想像できたのは、モサモサのヒゲとツルツルの頭、小さな背のお爺さん、だった。

 知識量も相当あって、これがゲームなら勇者一行を導く予言をするのだ。


「(いやー、まさかね)」


 こんな大きな村をまとめているような人だ。昨夜会った屈強な男たちのような姿かもしれない。


 村の大通りに出て、中央に向かうように歩く。

 ここの人たちとはまったく違う格好をしている蛍が珍しいのか、村人たちは無遠慮にジロジロと蛍を見てくる。

 値踏みされているようなその嫌な視線に、蛍は歩を早めてデザルトにぴったりくっつくように歩いた。


 チラリとこちらを見やったデザルトだったが、何も言わずに蛍の好きにさせてくれた。


 デザルトはさすがこの村の人といった風で、行き交う人たちに「デザルト様」だのなんだのと声をかけられている。

 それに言葉少なに返すデザルトを見ながら、蛍は一つの疑問が頭に浮かんだ。


 先ほどから、デザルトの名前だけはしっかりと耳に届くのだが、それ以外の、他人の雑談はまったく翻訳されてこないのだ。

 翻訳機をつける前のように、濁点と半濁点のやたら多い言語として耳に届く。

 そこまではさすがに翻訳してくれないらしい。

 逆に、それが今は有り難かった。

 きっと彼らの囁く言葉を聞いたら、泣いてしまうかもしれないからだ。


 視線が鋭く、余所者に冷たい。

 まさか、毎日こんな視線に晒されないのいけないのだろうか。

 それは嫌だ。


「で、デザルトさん……」


 呼びかけても、デザルトはズンズン進んでいく。


「デザルトさん!」


「ん? どうかされましたか? 賢者候補様」


 デザルトの服を引っ張って呼び止める。嫌な顔せずこちらに振り返ったデザルトに、蛍はどうにか伝えようと声を上げた。


「な、なんか、みんなにすごく見られてる気がするんだけど!」


「え? なんですか?」


「だから! 私、なんかみんなにすごく見られてる気がするの!」


 必死に訴えてみたものの、デザルトは立ち止まってこちらを見下ろしてきたが、首を傾げられてしまった。

 デザルトにはこの居心地の悪さが分からないのだろうか。

 周りを見ても、そっと視線を外されてしまうのでデザルトにはっきりと伝えられない。


「うぅ……なんで私がこんな目に……」


「賢者候補様、緊張されているのですか? もうすぐ長老様の家ですので、落ち着いてください」


「マイペースか!」


 恐ろしいほどにマイペースだ。

 なんなんだ、いったい。

 思わずデザルトの背中を睨んでしまったが、こちらに気づかない彼にはなんのダメージにもならなかった。


「こちらです」


「……お、おぉ……」


 突然立ち止まったデザルトにぶつかりそうになりながら、蛍は前方を見た。

『賢者の家』とは明らかに大きさが違う。

 豪邸だ。

 庭付き一戸建て。おそらく三階建てで、エメラルドグリーンの屋根が眩しい。

 柵に囲まれて丁寧に手入れされた庭には、日本では見たことのない色彩の小さな花が咲き乱れていて、首輪のついた猫が寝転がっている。


 だが長老の家と言うには、門扉と柵は腰の高さまでしかなく、デザルトは勝手に上から手を入れて門扉の錠を外して中に入ってしまった。


 勝手知ったる、という雰囲気で、蛍がついてきていないことに気づいたデザルトが不思議そうにこちらに振り返った。


「賢者候補様? いかがされましたか?」


「いやいやいや、待って、なんでそんな他人の家にズカズカ入っちゃえるの?」


「? あぁ、えっと、僕は長老様の許可を得ておりますので」


 そうなのか。

 いや、そういう問題なのだろうか。


 入るのに躊躇っていると、焦れたデザルトに手招きをされてしまい、蛍は小さな声で「おじゃましまぁす……」と告げてから門扉を通った。


 こちらの存在に気づいた猫は、そっぽを向いた。

 ハタと、蛍は気づいてしまった。

 猫の耳は二つ、尻尾は一本だと思っていたのだが、その猫の耳は四つ。尻尾は二本。毛の模様は白黒のブチ模様だったものの、くあ、と欠伸した途端に出てきた舌は猫の体格並みの長さであった。

 吹き戻しのようにズルズルズルっと猫の口にしまわれていく光景は、あまりにも不気味だった。


「ひ、ひぃいっ」


「賢者候補様? ……あぁ、迪ォですか」


「え? なに? ゲピ……え?」


「長老様の迪ォなんですが、よく庭に出てきてしまうんです。結界魔法がかけてあるので外には出ませんが……はぁ、後でドンゾさんに言っておかないと」


「ねぇ、今なんて言ったの?」


聞き返したのに、デザルトはこちらを無視して歩き出す。デザルトはあまり蛍に興味がないのだろうか。それにしても無視は酷い。


「ねぇ、デザルトさん!」


「長老様。デザルトです。入ります」


「ねぇってば!」


 グイッとデザルトの服を引っ張ったのと、豪華な扉に奇妙な紋様が浮かび上がったのは、ほぼ同時だった。


「え? なに? なに?」


「やぁ、来たな! 待っていたぞ!」


「へ?」


「わっと……賢者候補様?」


 紋様が扉全体に広がった途端、バンッと大きな音を立てて開いたかと思えば、なんとも豪快な声が耳に届いた。


 驚いてデザルトの背に隠れると、その行動が面白かったようで、豪快な声の主は「ワッハッハ!」と笑った。


「デザルト! ついに来たな! この時が!」


「えぇ、まぁ、そうですね。……賢者候補様。こちらの方が長老様です」


 マイペースに、デザルトはそんなことを言ってくる。

 恐る恐るデザルトの背から、彼の指し示す先を見た。


 そこにいたのは、イメージしていた長老ではなかった。


 赤茶の短い髪に、猫のような大きな赤い目。整った顔。デザルトやアディオペラよりも派手な色彩の服、派手な装飾をした若い男が、そこに立っていた。

 背はデザルトよりも高く、そしてかなり筋肉質だった。


 これが長老。

 翻訳機の性能に、ますます疑問が残る。


「おぉ! この方が今年の賢者候補殿だな! はじめまして! オレはモルドガード! モルドガード・ヴェルデソーヤ! よろしくな!」


「モルドガード・リーヴヒェン・パレ・ド・ヴェルデソーヤ様、です。お間違えのないよう」


「名前長っ!」


「ワッハッハ!」


 これが長老。モルドガード。

 これだけ明るく振る舞っているのだから、きっと中身も豪快な人なのだろう。

 自分の中の長老像がガラガラと崩れていく中、空だけが晴れやかだった。

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