第3話 何者にもなれない夜
デザルトに手を引かれて向かった先は、蛍が想像するような村ではなかった。
日本でよく見るような、田園風景が広がっていて、山と川があって、家がポツポツ点在しているようなものではない。
「街」と呼んでも過言ではない程度に石造りの家が多数密集していて、仕事帰りのような人たちが歩いている。
異なる世界というのだから、家のつくりも、そもそも住んでいる人間自体も異なるのかと思っていたが、その辺りはどうも同じらしい。
道路は石畳で、その上をカポカポと馬車が馬に引かれていて、その脇で犬の散歩をしているご婦人が歩いていた。
たぶん、犬だ。
足が四本以上あるように見えた気がしたが、きっと気のせいだ。
歩いている村人たちの服は、やはり複雑な構造をしていて、どうやって着ているのかまったく想像がつかなかった。
装飾が多かったり、大量のベルトが巻き付いていたり、布のカットが独特だったり。
赤に、青、緑、ピンクと色とりどりな布にはどれも綺麗で豪華な刺繍が施されていて、デザルトが特別な地位の人だから服が豪華だった、などではなさそうだ。
むしろ、屈強な男たちの服が質素だっただけのように感じる。
「わぁ、綺麗なところだね」
「ここは『聖なる森にある村』です」
「……ん?」
「どうかされましたか? 賢者候補様」
デザルトの言葉に、蛍は驚いて聞き返してしまった。
驚いてデザルトを振り仰ぐと、デザルトはきょとんと目を瞬かせる。
今、なんだか辞書に載った単語を並べただけのような名前ではなかっただろうか。
デザルトや、長老の家に走っていった人たちの名前を思い出してみても、もう少し何か凝った名前がついていそうであるのに。
このピアスで翻訳してくれているとデザルトは言うが、翻訳性能はあまり良くないのかもしれない。
「賢者候補様の始まりの地とされており、ここから皆さん旅立っていかれます」
「へぇ、そうなんだ?」
「その辺りの詳しい話は、明日お話しましょう。さぁ、着きました。ここでお休みください」
デザルトの手がようやく離れた時に目の前に現れたのは、こじんまりとした白い石造りの家だった。
赤い屋根が特徴的で、てっぺんではでっぷりと太った風見鶏が揺れている。
「ここは?」
「ここが、『賢者の家』です。賢者候補様の拠点ですね」
「へぇ」
家を指差しながらデザルトを見ると、デザルトは慣れた口調で説明してくれた。
さぁ、と手で指し示され、蛍はゆっくりと木戸の前に立ち、押してみる。
キィ、と小さな音を立てて開いた先には、可愛らしい調度品が置かれていて、少し生活感があった。こんなところを使っていいのかと不安になる。
不安そうな顔でデザルトの方を見やれば、デザルトはニコリと笑った。
「一応、前の賢者候補様がいなくなってから手は入れていたんですが、汚かったらすみません」
「いやいや! 全然! そんなことないよ!」
ブンブンと大袈裟に両手を振ってみせると、デザルトは「よかった」と呟いた。
「明かりはつけられますか?」
「え、えっと……」
周囲を見渡してみても、マッチやライターの類は見当たらない。更には照明器具も見当たらない。
困惑の表情のままもう一度デザルトを見ると、彼は「ふむ」と考えるポーズを取ってから何かを納得したように目を丸くした。
「あぁ、そうでした。あなた方は魔法の無い世界から来るのでした。すみません、魔法のことを話していませんでしたね。いいでしょう。良い練習台です。賢者候補様、今から僕と同じ言葉を唱えてください。《ルミネ》」
「る、《ルミネ》!」
デザルトに続いて言葉を紡ぐ。
すると、どういうわけか、天井全体が発光してしまって、蛍は今日何度目か分からない光に包まれてしまった。
前が見えない。
目を開けていられない。
閉じても瞼を貫通して光が刺してきて、眼球が痛い。
「うわぁああ!」
「あーあ。出力を間違えたのですね。《エント》」
デザルトの言葉に反応して、途端に光が無くなった。
何かを終える時の魔法らしい。
「さぁ、ほら、もう一度です」
「うぅ……できる気がしない……」
「この魔法が使えないと、生活に困りますよ。あなたのイメージする室内灯を思い浮かべながら唱えてください。さぁ、大丈夫です。僕がいますから」
さぁさぁ、と手で促されて、蛍は天井を見た。
自分の中の室内灯。
自室の灯りが良いだろうか。
そうなると、白色灯だろうか。
頭の中に自分の部屋を思い浮かべる。
「……よし……《ルミネ》!」
パッと、天井が光ったが、今度はあまりにも弱々しい光だった。床にすら明かりが届かない。
それを見て、デザルトがまた「《エント》」と唱えた。
「びびってちゃ上達するものもしませんよ」
「し、してない!」
「皆が通る道です。前任の賢者候補様も、最初はこんなものでした。さぁ、もう一度です」
「うぅ……」
確かに、先ほどの光を意識してしまって、出力抑えめにと考えていた。それを「びびり」と言われるだなんて心外だ。
デザルトはいいかもしれない。魔法のある世界で生まれて、魔法が日常の中で育ったのだから。
さてこちらは、ついさっき魔法に触れたばかりなのだ。そんなにホイホイ使えるようになると思わないでほしい。
助けを求めるようにデザルトを見ても、彼が助けてくれそうな空気はない。
仕方なく、蛍はもう一度天井を見た。落ち着いて、落ち着いて、と心の中で繰り返す。
「《ルミネ》!」
「……おお」
ぱあっと、今度は自分の想像する光量が家の中を照らした。
明かりがついた状態で周囲を見ると、蛍が立っているのは玄関で、玄関マットがペラっと置いてある。靴箱の上には可愛らしい置物が置いてあって、壁には小さな絵画が飾ってあった。
どうやらここの世界は、靴を履いたまま生活するタイプらしい。
二階と地下階へ続く階段がそれぞれあり、玄関口から続く廊下にはいくつかの木戸が並んでいて、灯りを魔法でつける以外は普通の家のようだった。
天井には小さなシャンデリアが何個も下がっていて、小さな蝋燭がたくさんつけられており、キラキラと輝いている。天井自体が光っていたわけではないらしい。
「二階にあなたの部屋があります。そこでお休みください。明日の朝お迎えにあがります」
そう言うだけ言って、デザルトは木戸を閉じて行ってしまった。
途端にシンと静まり返る。
「と、ともかく、寝ないと……」
それよりもまずシャワーを浴びたい。
鞄も置きたい。
蛍は周囲を見渡してから、家の中を探索してみることにした。
地下階をチラッと階段上から見てみたものの、行く気にはなれなかった。
一階は水回りとリビング、キッチンがあった。
トイレもシャワーブースも、蛇口はあるがコックを捻っても何も出てこない。
シャワーヘッドは木で出来ていたが、腐敗している様子はなく、付けたばかりの新品のように綺麗だった。
シャワーブースと一体になっている洗面所にはタオルのようなものもなく、閑散としている。
これもきっと、魔法でどうにかしなければいけないのだろう。なんと唱えればいいか分からず、いったん放置することにした。
リビングとキッチンも似たり寄ったりで、電気をつけることくらいしかできない今、リビングは鞄置き場で水の出ないキッチンはモデルルームの一角でしかない。
キッチンは北欧風のシステムキッチンだったが、コンロの火は点かないし、オーブンに至ってはスイッチがない。
ソファに鞄を放って、辺りを見回す。
調度品はどれも品がよく、まるで祖母の家にいるかのようだ。当たり前だが、テレビはない。
飾り棚とブックラックはあるが、置かれた雑誌や本を開いても、何語だかさっぱりだった。
幾何学模様のような、アルファベットに見えなくもないような、そんな独特な字だった。
仕方ないのでもう寝ようと雑誌を片付けて二階に上がると、そこは二部屋しかなかった。
一方は寝室、一方はかなり広く取られていて、そこには大量の本が乱雑に置いてあった。
一階の比ではない。
「うわぁ、すごい」
部屋に一歩入ってみようという意思を砕くほど、部屋の中は汚かった。
うず高く積まれた本、本、本。本棚はあるにはあるが、そこに至るまでにもたくさんの本が積まれていて、行けそうにない。
埃も厚く積もっていて、ここだけはなぜか掃除していないようだ。
いったいどうしたのだろう。
何か触ってはいけないものたちなのだろうか。
書室を出て、ようやく寝室に辿り着いた。
寝室の中は、ベッドが一つと、デスク、椅子が一つずつ。大きく取られた窓の向こうは、バルコニーにもなっているようだ。
ベッドは、ふかふかの布団に、ふかふかのベッドマットが敷かれていた。まるでプリンセスの部屋のように、ベッド周囲には天蓋がかけられている。薄い布を避けて、蛍はベッドに飛び込んだ。
埃はなく、太陽の匂いが胸を満たした。
「……これから、どうなるんだろう……」
知らない土地で、知らない言葉。知らない文化。きっと食事も知らないメニューだ。
アディオペラも酷いことをする。
それに、デザルトの言葉が本当なら、蛍の前に前任者がいた。
その人は、どうしたんだろう。
無事に賢者になったのだろうか。
「……みんな、大丈夫かな」
胸の中に寂しさが込み上げてくる。
みんな、どうしているのだろう。
「卒業公演、出たかったな……」
ミカとカフェに行く約束も、破る形になってしまった。ミカは怒っているだろうか。きっと怒っているだろう。卒業公演にも出ない、約束も破る、なんて、最悪の友達だと思っているかもしれない。
それとも、帰ってこない蛍を心配して、警察沙汰などになっていないだろうか。
いつまでここにいるか分からない。
それならば、最後に母に会いたかった。
ポケットを探って、スマートフォンを見た。Wi-Fiも電波もないここではただの板でしかないが、チャット式連絡アプリに母からのメッセージが届いていた。
「あ、ママ……そっか、今日コロッケだったんだ」
あのまま帰っていたら、母のコロッケを食べられたのか。
ツ、と涙が溢れてくる。
いけない。
これではいけない。
いつになるか帰れないのなら、さっさと修行なんて終わらせてさっさと帰ればいいのだ。
慌てて涙を拭うが、どんどん溢れてしまってどうにもならない。
「……がんばろ……」
頑張らなければいけない。
立ち止まっていてはいけないのだ。
それでも、
「帰りたいよ……寂しいよぉ……っ」
ひとつ口をつけば、ボロボロボロボロ出てきてしまう。
「ママ、助けてよ、ママぁ……っ!」
ワンワンと、赤ちゃんのように泣いた。
泣いて、泣いて、滝のように涙を流した。
もうすぐ成人とはいえ、蛍はまだ子供だ。
突然こうして放り出されて、不安な気持ちのまま眠りにつくなんてできなかった。
「うわああっ、うぅっ、う゛ーー!」
明日はきっと、顔がパンパンに腫れているだろう。
でも止められない。
むしろ、明日なんて来なければいいのにと思ってしまった。
「……うっ、うっ……」
どれほどの時間泣いていただろうか。
出せるものも出尽くしたころ、ようやく蛍は落ち着きを取り戻した。
ころりと寝返りを打って、天井を見る。
「……寝なきゃ」
プラプラと足先に引っかかっているローファーを脱いで、布団の中に潜り込んだ。
布団は、あれだけ蛍の涙を吸い込んだというのにふわふわで、これにもきっと魔法がかけられているのだろうと察した。
「帰らなきゃ」
そのためには、このふざけた修行を早く終わらせなければ。
改めて、決意を固める。
弱音を吐くのは今日限りにしよう。
蛍は流れてくる涙を布団に染み込ませながら、きつく目を閉じた。
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