第2話 これでも嫁入り前なのですが

 光が収束していくのを肌で感じる。

 この光が消えたら、いったいどんな世界が待っているのだろう。


「魔法の世界かぁ。どんなところなんだろう。箒で空を飛ぶのかな。ふふ、どんな感じなのかなぁ」


 こうなったらもう、楽しんだもの勝ちだ。

 ワクワクするしかなかった。


 今まで謎の空間を踏んでいた足が、地面を捉えた。

 身体を包み込んでいる光も収束していくのを感じて、蛍はゆっくりと目を開いた。


 鼻をくすぐるのは清涼な風と、爽やかな草木の香り。

 気温は寒くもなく高くもなく。半袖でも過ごしやすい。


 しっかりと地面に足をつけて立つ。


「はえ?」


「螟ァ荳亥、ォ縺具シ�」


「え?!」


 目を開いた先。

 そこは、どこかの森の中で、蛍の周囲を数人の屈強な男たちが取り囲んでいた。

 空は真っ暗で、星が瞬いていて、どうやら今は夜らしい。


「えーー?!」

 

「縺薙%縺ァ菴輔r縺励※縺�k��」


「え、えっと、なに? なんて?」


「蜷榊燕縺ッ險縺医k縺具シ�」


「縺ゥ縺�@縺�」


「蜿」縺後″縺代↑縺��縺�繧阪≧縺�」


「なに?! なに?! 全っ然分かんないよーーー!!」

  

 やたらと、濁点と半濁点の多い言葉が蛍の頭上を飛んでいく。

 英語ではないし、アルファベットでもなさそうな発音の数々に、頭が真っ白になっていった。

 

 男たちは、アディオペラが着ていたような、複雑な形をした服を着ていて、アディオペラほどではないがどれも凝った刺繍が入れられている。

 髪と髭はみな黒だったり茶色だったりと、蛍も見慣れたものだったが、手に持っているのは剣や弓、こん棒と、物騒なことこのうえない。


「え、えーっと、ハロー?」


「縺翫>縲�聞閠∵ァ倥r蜻シ繧薙〒縺薙>」


「うっ、全然言葉が通じない……」


 アディオペラとは言葉が通じ合ったから、きっと大丈夫なのだろうと思っていたのだが……それは単なる希望的観測だったようだ。

 男たちは何やら分からない言葉を使って、蛍を上から下まで眺めたり、誰かに声をかけていたりと慌ただしかった。


「(に、逃げたい……)」


 前後左右を取り囲まれているせいで、逃げようにも逃げられないのだが、この状況はまずいだろう。

 だが、体力に自信のない蛍がここから逃げたとて、きっとすぐに捕まる。

 ギュウと、肩に担いでいた鞄を抱き寄せて、男たちの行動を見守るしかできない。


 何が起こっているのだろう。

 この人たちはなんなのだ。


 怖い。彼らの手にする武器類が怖いのもあるが、自分の身に何が起きているのか分からないこの状況が怖い。


「(逃げる? でも逃げたらこの武器で襲われそう……じゃあ、話してみる? でも英語が通じそうにないし……ど、どうしよう……)」


 震えそうになる手を、鞄を握りしめることでどうにか抑える。

 どうしたらいいのだろう。

 どうしたら。どうしたら。

 

 と、どんどん増えていく男たちの間から、一人の若い男が連れてこられた。


 蛍よりも十センチ以上高い身長と、それと同等の長さの杖を持ってひょこひょこと歩いている。杖の先端には大ぶりの宝石のようなものが嵌まっていた。


 アディオペラに似た豪華な白く裾の長い服を着たその若い男は、やたらと顔が良かった。


 銀色の長い髪を後ろで一括りにしているその顔は、まるでアイドル歌手のようにイケメンで、気の強そうな青い瞳がこちらを見つめている。

 纏っている服は真っ白な生地に、様々な色の糸で鮮やかな刺繍が施されていた。ベルトや天然石らしき石の装飾がやたらと多く、周囲に比べてとても派手だった。何か特別な地位にいる人なのだろうか。


「あ……」


 イケメンの顔を見て、蛍の身体の力は抜けてしまった。

 蛍はその場にへなへなとへたり込んでしまい、それを見た若い男が慌てたように蛍の前に跪いてくれた。

 

「繝�じ繝ォ繝�、髟キ閠∵ァ倥�縺ゥ縺�@縺滂シ�」


「髟キ閠∵ァ倥�縺�∪縺贋シ代∩荳ュ縺ァ縺吶�縺ァ縲∫ァ√′譚・縺セ縺励◆縲�」


 まさか、イケメンを見ただけで力が抜けてしまうとは思わなかった。

 きっとこの人なら大丈夫、と、なぜか自分の中の危機管理能力が安心してしまったようだ。


 ちょっと気持ち悪くもなってきた。吐きそう。いや、ここで吐いても意味がない。我慢だ。我慢。

 鞄を更に抱き寄せて、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせる。


 地面を見つめることしかできなくなった蛍の頭上で、若い男はこちらを覗き込んでみようとしたり、腰の鞄から何かを取り出そうとしたりと忙しない。


「(うぅ……もう全然分からないよぉ……)」


「縺ゥ縺�°縺輔l縺セ縺励◆縺具シ�」


「遯∫┯蜈峨�邇峨′關ス縺。縺ヲ譚・縺溘°縺ィ諤昴▲縺溘i縲√%縺ョ蟄舌′遶九▲縺ヲ縺�◆繧薙□縲�」


「(なんて言っているんだろう? ギュア……ベジブ……うーん)」

 

「縺ゅ=縲√↑繧九⊇縺ゥ縲ゅ◎縺�〒縺励◆縺九�」


 頭がぐらぐらする。

 

「(どうしよう、どうしよう……どこだかも分からないし、言葉も分からないし……いったい、こんな状況で修行だなんて、どうしたら……)」


 彼らの手助けがないと、きっとここがどこかも、何があるのかも、どうしたらいいのかも分からないだろう。

 だが、言葉が通じないとなると、どうしようもない。

 

 アディオペラめ……こんな状況でよく「素質がある」だなんて言えたものだ。


「螟ア遉シ縲√♀螫「縺輔s」


「へ?」


 突然、そっと顎下に若い男の手が差し入れられ、そのまま上に持ち上げられる。

 イケメンとばっちり目が合ってしまったわけだが、若い男の圧がやたら強く感じて、蛍は目を逸らせなかった。


 彼の青い瞳が、ジッとこちらを見つめている。


 唇小さいなぁ、お肌綺麗だなぁ、二重幅が均一なの羨ましいなぁ、なんて現実逃避。


「蜷榊燕縺ッ險縺医∪縺吶°��」


「縺昴l縺後√&縺」縺阪°繧芽◇縺�※縺�k繧薙□縺後∽ス輔b隧ア縺励※縺上l縺ェ縺�s縺�」


 またも、何を言っているのか分からない。

 若い男が蛍から視線と手を外して、屈強な男たちと会話を始めてしまう。

 

 何か言葉のとっかかりでもつけられたらいいのだが、まったく分からない。

 

 ドイツ語とも違う。

 イタリア語とも違う。

 ロシア語でもない。

 中国語でもない。


 あぁ、本当に、どうしたら。


「縺��繧薙∬ィ闡峨′騾壹§縺セ縺帙s縺ュ」


「繧ゅ@縺九@縺ヲ縲√%縺ョ莠コ縺御サ雁ケエ縺ョ雉「閠�ァ伜呵」懊§繧�↑縺�°��」


「縺ェ繧九⊇縺ゥ��」


「縺溘@縺九↓縲√◎縺�°繧ゅ@繧後∪縺帙s縺ュ。縺昴≧縺励◆繧峨√◆縺励°縺ォ險闡峨�騾壹§縺セ縺帙s縺ュ

縺吶∩縺セ縺帙s縲∝ヵ縺ョ螳カ縺九i萓九�縺ゅl繧呈戟縺」縺ヲ縺阪※縺上□縺輔>」


「繧上°縺」縺�」


 若い男が何かを指示すると、屈強な男たちの中の一人がどこかへ走っていった。


 それを視線で追いかけた蛍に気づいた若い男が、まるで安心させるようにこちらに微笑んだ。

 微笑んだ顔も、やっぱりイケメンだ。甘い蜂蜜を溶かしたような、砂糖菓子のようなそんな微笑みで、初対面の女に負けるような顔ではないのは確かだ。


「螳牙ソ�@縺ヲ縺上□縺輔>縲�。縺ィ縺�▲縺ヲ繧ゅ�屮縺励>縺九↑縲�。縺吶$縺ォ邨ゅo繧翫∪縺吶°繧峨�縲�」


「はぇ……」


 さっきから、自分の言葉すら出てこない。

 こちらに何か話しかけてきているのは分かる。

 空気の抜けたような音しか出ないのだが、若い男も屈強な男たちも気づいてくれなかった。


 数分の後、どこかに走って行ってしまった屈強な男の一人が、何かを大事そうに持って帰ってきた。

 それを受け取った若い男は、またこちらに向き直る。彼の目が蛍の左耳に注がれているような気するが、それを気にしている余裕が蛍にはない。

 

 泳いでいた視線を若い男の手の中に戻す。

 彼の手には、何やらキラキラとした大ぶりの石が握られていた。

 どうやらピアスになっているようだ。


「そ、それは?」


「縺。繧�▲縺ィ逞帙>縺ァ縺吶′……縺セ縺√∝、ァ荳亥、ォ縺ァ縺励g縺��」


「え? なに、なに?」


 若い男が、石を蛍の左耳に寄せて来た。


 何が起きるのか。

 

 嫌な予感しかしない。


「縺�″縺セ縺吶h繝シ」


「ちょ、ちょっと待っ……!」


 バチンッ!


「っ~~~~!!! 痛ったぁ!」


 突然、左耳に鋭い痛みが走った。

 なんだ、何が起こった。

 ツ、と生ぬるい水が垂れる感覚がして、あぁこれは出血している、といやに冷静な自分がいる。


「大丈夫ですか?」


「はぇ?!」


「痛いですか? まぁ、痛いですよね。ちょっと待ってください」


 突然、爽やかなイケメンの日本語が耳に届いた。

 驚いて見上げると、若い男の手が蛍の左耳に伸びる。

 また、痛い思いをするのかもしれない、と身体を固くしていると、若い男はまたニコリと笑った。


「大丈夫ですよ。手当をするだけです。《クリア》」


 若い男が何事かを呟くと、優しい温かさが蛍の左耳を包む。

 数秒ののち、彼が手を離すと、左耳の痛みと血は綺麗さっぱり消え去っていた。


 魔法、とアディオペラは言っていたから、これはきっと魔法で治してくれたのだろう。


 蛍がそっと左耳に手を当てると、どうやらピアスが嵌められていて、さっきの痛みはピアス穴が開いた瞬間の痛みだったのだろう。


「(こ、この人、私の耳に勝手にピアス開けてきたの?!)」


 なんということを。

 こちとら、ピアスは大学生になってから開けようと楽しみにしていたというのに。

 まさか、何も断りなくピアスを開けてくるだなんて!


「ちょっと! 何勝手に人の耳にピアス開けてんのよ! 痛かった!」


「わっ、ちょっ、落ち着いてください」

 

 非常識にもほどがある。


 蛍は、力の入らない両手をどうにか動かして若い男の胸元をぽこぽこ叩いた。

 まったくダメージは入っていないようだが。

 若い男は困惑したように、こちらをどうどうと宥めてくる。


 落ち着いてなどいられるか。

 勝手にピアスを開けるだなんて、これは傷害だ。 

 

 だがふと蛍は気づいた。


 さっきまで、自分は彼らの言葉が分からなかった。

 もしかしたら、この若い男は何かしら断りを入れていたかもしれない。


 それは、ちょっと悪いことをしたかもしれない。


「と、ともかく! なんで勝手にピアスを開けてきたの? それに、ピアスがついた途端、あなたの言葉が分かるようになったんだけど……」


 蛍がピアスに手を添えると、それを見た若い男が口を開いた。


「そのピアスには、とある年の賢者候補様がかけた魔法がかかっています。そのピアスをつけてさえいれば、あなたは私たちの言葉が分かるようになるのです」


 なるほど。

 仕組みは理解できた。


 だが、納得はできない。


「だからって、勝手に開けるだなんて!」


「言葉が通じないのだから、仕方ないでしょう? あぁ、自己紹介が遅れました。僕はデザルト。賢者候補様の導き手です」


 そう言われても。

 だが、名乗られたものは仕方がない。


「私は、小鳥遊蛍」


 胸に手を当てて告げた蛍の言葉に、若い男……デザルトはこくりと頷いた。通じたかどうかは不明だ。

 

「いつまでもここに座ってはいられません。デズラさん、バドニールさん、長老様に今年の賢者候補様がいらしたとお伝えください」


「あぁ」


「分かった」


「こちらにおいでください、賢者候補様。僕たちの村がすぐそこにあります。そこで少し休みましょう。長老様の元へ行くのも、話もそれからです」


 そう言って、デザルトに手を引かれて、無理矢理立ち上がらされた。

 

 あぁ村があるのか。というより、村社会なのか。


 長老という人にも会わなきゃいけないようだ。


 あぁ、やることは山積みだ。


 それでも……


「(家に帰るためだ! テンション下げてる場合じゃないよね!)」


 蛍はグッと足に力を入れて立ち上がる。


 デザルトに手を引かれるままに、蛍は歩を進めるのだった。

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