一日目
第一話 鉄の女
モザイク調の滑らかな石タイルが敷かれた地下道を延々と歩いていく。
日曜日の朝であるのにも関わらず、スーツ姿のサラリーマンらしき男性たちは時間に追われているようで、見るからに浮き足立った女子高生の私を抜かして、すたすたと歩き去ってしまう。
私も彼らの颯爽とした振る舞いに倣って、肩で風を切りたいのだけれど、背負った軽いリュックに反して足取りは地を這うようだった。主に緊張。次点で先行きへの不安が原因だろう。
それでも、この一大イベントを楽しみにしている気持ちがぎりぎりで緊張を上回っており、柄にもなくふらふらと周囲に視線を彷徨わせては、指定された集合場所への進路がズレていないか、一分、一秒ごとに確認するのが癖になってしまっていた。
やがて、『東京駅・新幹線』と書かれた大きな表示板を見つける。
案内に従って、巨大な地下道の脇から伸びる通路へと曲がる。
すると、エスカレーターがあった。エスカレーターを昇ると、また地下道がのびていた。先ほどよりも狭いその道をきょろきょろしながら進んでいくと、駅ナカの商業施設へと出る。まだ営業時間には早いらしく、ほとんどの店舗でシャッターが閉まっている。東京のど真ん中だというのに何だか少し寂しく感じられた。
閑散としている地下商店街を脇目に再びエスカレーターを昇ると、途端に視界が開け、目にも眩い明るい光が一斉に飛び込んできた。
東京駅の朝の喧騒がそこにはあった。
雑多な人々が行き交い、案内音声や軽快なメロディがどこからともなく聞こえてくる。誰に言われるでもなく自然と背筋がピンと伸びる。
来る途中の電車の中でさんざん反芻した道順をなぞり、駅員さんに二、三尋ねつつ、改札を抜けていく。
色とりどりの広告板が貼られている太い円柱型の柱の間をすり抜けながら、壁際に並んだ店舗に沿って大きく右に逸れると、見慣れた制服の集団がリュックサックを背負って広いスペースの一角を陣取っているのが見えた。
人間とは不思議なもので、ほとんど見たことがないような他クラスの生徒であっても、通路が張り巡らされ、数多の人が行き来する複雑な構造の中では、同じ高校、同じ集団に属していると保証されているだけで、絶大な安心感を得られるみたいだ。
私は緊張の糸をにわかに緩めつつ、目を滑らせていき、同じB組の集団を探す。
まもなくそれは見つかって、弛緩した気持ちを同時に引き締める。
私は皆がイメージする「鉄の女」であらねばならないし、私自身そうありたいのだ。
きっと今日も周囲から遠巻きにされ、畏怖と羨望のこもった眼差しで射抜かれるに違いない。
大げさに胸を張り、今までよりも気持ち大きく足を踏み出そうした時、突然、後ろから肩をとんとん、と叩かれた。驚いた私は体勢を崩して前につんのめる。
「よっ、学級委員長。大丈夫?」
どうにか転ばずに済んで振り向くと、私の唯一といっていい友人が小首をかしげていた。
心臓がどきんと跳ねる。私は動揺しているのを悟られぬよう、目線をわずかに逸らし、平然を装って挨拶を返す。
「おはよう、
「あ、今日から班長だもんねえ。ごめんごめん」
「そうじゃなくて──」
「ほらほら、こんなところで立ち止まってたら邪魔になるよ? 皆のところ行こう」
私の異議申し立てを悠々と聞き流し、夕陽は私の手を引いてクラスの輪の方へと誘う。
また、心臓が大げさに鼓動し始めた。
今までだってこのくらいのスキンシップはあった。特に夕陽は私と違って人との距離感が近いタイプだから、意図せずやっていることなのだろうと思う。けれど、今の私にはそこに意味があるように思えて、意識するなという方が無理な話だった。
暴れる心を深呼吸でおさえつけながら、私より少しトーンの明るい、後ろで小さく括ったボブカットを追いかける。
ふいに目線を下へと移すと、相変わらず、彼女はスカートでなくスラックスを履いていて、そのスタイルの良さが制服の着こなしから見て取れた。それは私が彼女のことを好いている部分のひとつだ。もちろんスタイルの方でなくて、スラックスの方。自分をしっかり持っている彼女に私は憧れている。
「おーう、
B組の集まりの辺りまで来ると、耳馴染みのあるハスキーな声の女性に声を掛けられる。担任の
夕陽の手がパッと離される。
「おはよーございまーす」
「おはようございます」
手を振る夕陽に続いて私も軽く会釈すると、藤ヶ谷先生は快活な笑みを浮かべて手にしているバインダーにチェックを入れた。
「よしよし。お前らも元気そうだな。じゃ、班長の春木は班員の点呼取ったら、また先生のとこ来てくれ」
「わかりました」
私の返事に満足そうに頷いた先生は私たちの後に来た生徒たちのもとへ向かおうとしつつ、にやりと付け加えた。
「それと修学旅行だからってはしゃぎすぎて怪我するなよ? 春木」
「……大丈夫です」
つんのめっていたさっきの場面を見られていたらしい。私が苦い顔をすると、先生はカカッと太陽みたいな色の笑い声を立てて、鮮やかに次の生徒のもとへと去っていった。
「藤ヶ谷先生、今日も元気だねえ。あの活力ちょっとわけてほしいくらいだよ」
先生の方を眺めながら夕陽が言う。彼女も先生のことは気にいっているようだった。
「あなただって十分みなぎっているでしょ」
「みなぎってるって。ま、それもそうか」
夕陽はくすくすとおかしそうに笑った。
それを横目にしつつ、私は向こうの方でクラスメイトと和やかにやり取りしている先生へと目を向けた。その笑顔は高校生たちに負けず劣らず眩しい。
もうすぐ三十一歳になるという藤ヶ谷先生はバイタリティに溢れていて、何というか凄まじい女性だ。性格もさっぱりしていてどの生徒にも分け隔てなく平等に接しているから、生徒たちからも人気が高い。皆から好かれる人、というのはきっとああいう人のことを言うのだと二年生になった当初から思っていた。
先生の左手の薬指にきらりと光るものを見ながら、私は自分にはない強さを持つ彼女に遠い憧憬みたいな感情を覚える。
「……じゃあ私、点呼してくるから」
ややあって自分の責務を思い出し、隣に並んでいた夕陽にそう告げる。
「早智!」
夕陽に呼び止められ、振り返る。
今日初めてしっかりと見た彼女の瞳は以前と何ら変わらず優しげに整っていたけれど、若干の迷いが浮かんでいるようにも見えた。その表情に私の心臓がまた暴れ出す。
「……何?」
彼女は開きかけた唇を一度きゅっと閉じてから、再び口を開いた。
「……ううん。点呼、私元気だからよろしく! 班長さん!」
「わかってるわよ」
笑顔でVサインを送ってくる夕陽に応じつつ、私は足早に他の班員のもとへと向かう。
複雑な気持ちだった。本当は彼女の側にいて安らぎを得たいのに、今となってはその安らぎがかえって邪魔なものに思える。
周囲の目が気になって、情緒の安定すらままならず、一刻も早く離れたくなってしまう。心がかき乱される。
こんなにも喜怒哀楽の天秤が左右に揺らぐのは初めてのことだった。
隠さず本音を言うのなら、私は今、どうしようもなく困惑している。混乱している。平静を保てない。このままでは私が私でなくなってしまう。そんな気さえした。
だから、三泊四日に及ぶ修学旅行を前にして、私はひとつ小さな目標を立てた。
とある人の秘密を暴くというささやかな目標。
その秘密はもしかしたら他人からしてみれば取るに足らないようなことかもしれないけれど、私にとっては今後の自分の在り方を定める、いわば人生の指針とだってなり得るものだ。
もちろん、倫理や道徳に反するつもりはないので、あくまで私の中限定で、こっそり実行するつもりだ。
だが、達成するにはまず、その人と仲良くならなければならない。
目標達成への第一段階から躓きそうな予感に、早くも膝をつきたくなるのを我慢して、私は真っ白に磨き抜かれた石タイルの上を蹴り上げた。
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