第2話 大人に近づく玲と、子供のままの玲と
帰省から2日後、玲がうちに遊びに来ることになった。
冬休みらしく家にいた父と、それから母と、昼ご飯を食べたあと、僕はリビングのこたつに入ってだらだらとテレビを見ていた。
そのうちインターホンが鳴る。玲だろう。僕より先に母が迎えに出る。僕もこたつから出てのそのそと玄関に向かう。
「玲ちゃん! いらっしゃい」
「お邪魔します!」
「玲ちゃんは今日もかわいいねえ」
「彩月さんもいっつもきれい!」
「あらー、玲ちゃんはもうー」
彩月とはうちの母の名前だ。この2人は名前で呼び合う仲なのだ。
玲は一昨日の晩と同じピンクのトレンチコートを着て、紺色の手提げかばんを持っている。玲は玄関から上がると慣れたる様子でコートを脱いで母に手渡し、母は母で、慣れたる様子で受け取りハンガーにかけてラックにつるした。
玲は、薄いピンクのシャツの上に紺色のセーターを着ていて、ベージュのチノパンを履いていた。かわいいじゃないか。ちなみに僕は上下ともに寝巻のスウェットだ。
「たっくん、おはよう」
「おはよう。昼だけどな」
いつものようにぽんぽんと玲の頭を軽くたたく。
「んふふ」
「んふふ」
なんで母さんも笑ってるんだ。
「玲ちゃん、ケーキあるけど食べる?」
「え!? 食べる食べる!」
聞いてないんだけど。
そのまま2人は並んでリビングに入っていったので、僕ものっそりついていく。
リビングに入ってきた玲の姿を見て、テーブルで新聞を読んでいた父が顔をあげ玲に問う。
「おっ、玲ちゃん、久しぶり。元気?」
「超元気!」
玲はそう答えてピースする。
父とも仲がいいんだもんなあ。変な気分だ。風見家とうちは家族同士の付き合いがあるのだと再認識する。
「かわいいね、そのセーター」
「んふふ、ありがと」
心底から言ってるようで、なんか父の目尻が下がっている。母もだが、父も娘が欲しかったと聞いている。ごめんね。
「来年は中学だったよね。勉強とかどう?」
「そうだよ! でも算数とかぜんぜんわかんない。今日、冬休みの宿題をたっくんに教えてもらう」
「そうかそうか。中学に上がると算数は数学にレベルアップするからな」
「うげー」
「まあ隆弘は理系だし、上手いこと教えてくれるだろう。がんばりな」
「うん! ありがと!」
「じゃあ、みんなでケーキ食べようか」
そう言って母はキッチンに入り冷蔵庫からケーキの箱を取り出す。
「あ、お皿とかフォークとか出すよ」
そう言って玲はキッチンに入っていく。
「いつもすまないねえ」
「さつきさん、それは言わない約束でしょう」
そんな様子を父は恍惚とした様子で眺めていた。ほんとに娘欲しかったんだなこいつ。
ぼんやり立ってても仕方ないので父の対面に座る形で僕もテーブルにつく。ほどなく準備が整い、何も迷いを感じさせることなく玲が僕の隣につく。母も父の隣に座り、ケーキの箱を開く。
「あっ、俺チョコがいい」
父が真っ先に口を開く。子供か。
「私ショートケーキ!」
玲が続く。
「じゃあ私はモンブラン」
母も続く。
え、何この連携感。僕より玲の方が「この家の子」感がある。
「……じゃあ、残ったフルーツタルトいただきます……」
ケーキを取り分けて、ときおりは僕も口を挟みつつ、4人で談笑しながら食べた。
*
ケーキを食べ終えたころ、母が言う。
「こうしてると玲ちゃんも入れて、4人家族みたいね」
「そうだね。さつきさんがお母さんで、おじちゃんがお父さんで、たっくんがお兄ちゃんだ」
ああ、親父は名前呼びじゃないのか。なんでその歳で少し寂しそうな顔をしているんだ。
「やっぱり玲ちゃんも隆弘のことを兄のように思ってるんだ?」
その寂しさを紛らわすように父が玲に問う。
「うん、私、たっくんのこと好きだよ」
「いい妹がいてよかったな、隆弘」
「んふふ」
「んふふ」
「んふふ」
なんで父さんも笑ってるんだ。
3人が微笑んでいるのを見てなんとなく置いていかれた気持ちと、臆面もなく「好き」という言葉を使った玲に少し恥ずかしくなり、僕は口を開く。
「……玲、そろそろ勉強するか」
「そうだね。さつきさん、ケーキありがと!」
「いえいえ、どういたしまして。片付けはいいから、勉強がんばってね」
「はい!」
「じゃあ行くか」
「行きましょう」
玲は、テーブルの脇に置いていた手提げかばんを持ち上げて、僕についてきた。なんとなく、後ろから2人分のにまにました目線を感じるが気にしないことにした。
*
僕の部屋には、小学生の頃に買ってもらった学習机がそのまま置いてある。他には、ベッドとテレビといくらかのゲーム機が転がっている。
エアコンは点けておいたので部屋はすでに暖かい。小さい収納から折り畳みの机を取り出して、ベッドサイドに置く。
「ほれ」
同時に座布団も取り出して玲に手渡す。
「どうもどうも」
玲は、机の前に座布団を敷いてその上に座る。僕も、自分の分の座布団を取り出して、玲の対面に座る。
幼いころからこの部屋で玲と遊んでいたし、帰省のたびにこうやって勉強をみてやるのもいつものことだ。
玲は、手提げかばんから教材を取り出して机に並べていく。小6っぽいかわいい筆箱も出てくる。僕はもう最近いろいろ面倒で、黒と赤のボールペンを適当にバックに突っ込んでいるだけだ。
準備が整ったようだ。
「よっしゃ。やるで」
謎の関西弁を発し、玲は筆箱から鉛筆を取り出す。おお鉛筆よ。
ふと玲は僕の顔を見て問う。
「たっくんは何もしないの?」
「ん? まあやろうと思えばやることはあるけど、僕は休むために帰省したからな。玲が勉強するところ見てる。わかんないとこがあったらいつでも教える」
「まあいいでしょう」
読みかけの論文を読もうかなという気持ちが少し沸いたが、面倒くささに流されていった。
机に肘をついて手に顔を乗せて、玲が鉛筆を操って算数の宿題を解く様子を眺めていた。あーそこ計算間違ってるぞ、と思ったりするけど、玲も集中しているようだし、いちいち口を挟んでもウザかろうと、黙っていた。
15分に1回くらい玲から質問を受けて、そのつど教えてやる。
自分で言うのもなんだが、僕は教えるのが上手い。こんな小6の算数なんて、原理からすべて説明できる。小学校では説明されない計算過程や、玲には通じる例えを適度にはさみ、小6女子が過不足なく理解できる程度の説明を施してやる。
「あー! なるほどねー!」
僕の説明に玲が納得して目を輝かせるたびに嬉しくなる。
ふふ、玲、俺はちゃんと勉強して大人になっているんだぜ、と脳内で呟く。
*
2時間ほどそうしていたか。
「玲、そろそろいいんじゃないか? 疲れてない?」
「あー、もう疲れたかも。今日はもういいかな」
「いいんじゃない? 冬休みの宿題どれくらい終わったの?」
玲は計算ドリルをパラっとめくって答える。
「あとこれが3,4枚かな」
「……え? もう他の教科とか終わってるの?」
「終わってるよ? 算数はたっくんに教えてもらえるから残しといた」
僕とは大違いだ。僕は夏休みの最後の日に泣きながら絵日記を埋める小学生だった。……まあいい、今は今だ。今はこうやって玲に教えられるレベルになった。卒論で泣きそうなのは変わらないが。
「いやーありがと、たっくん。たっくん教えるの上手だねえ。先生になりなよ」
「先生か。考えたことなかったな。でも先生になるためには、1年生の頃から特別な授業とか取らないといけないんだ。僕はそれ取ってないから先生にはなれない」
「そうなんだ。もったいない」
まあ教免は取っといてもよかったかもな。
「それで、どうしようか。何して遊ぶ? ゲームする?」
玲は鼻にしわを寄せる。
「やだ、勝てないし」
だいたいアクションゲーと格ゲーしかないので、玲とゲームをすると大人気なくボコボコにして僕が勝つ。
「トランプとかしようよ」
「トランプか。あったかな」
引き出しをいくらかあさってみると見つかった。
「あったあった。じゃあトランプするか、何やる?」
「ババ抜きしよう」
「……2人でババ抜きして楽しいか?」
「スピードとか神経衰弱とかやっても勝てないし!」
そんなに僕に勝ちたいか。
まあ玲がいいならババ抜きでもいい。
「まあしょせんババ抜きなんて運ゲーだからな。運以外では玲は僕に敵わない」
「死ね!」
「そんなこと言っちゃダメでしょ」
「すみませんでした。死なないで」
「もう50年くらいは生きると思うよ」
「それならいいんです」
死ねって言ったのお前だろ。
「まあババ抜きやりますか」
「やろうやろう」
トランプを外装から取り出して、適当にシャッフルして分けた。
*
やはりババ抜きは2人でやると、さくさく手札が落ちていく。僕の手札は3枚、玲は4枚。今のところ、ジョーカーは玲の手札の中にある。
「んふふ」
玲は、にやにやしながら1枚の手札を少し高めに持ち上げた。そろそろ駆け引きの時間だ。玲の性格を鑑みて、そのカードはジョーカーではないだろう。
「無駄だ」
そう言い放ち、即座にそのカードを玲の手から引き上げる。
ジョーカーだった。
「……くっ…」
「ばーかばーか」
くそ、許しがたい。
手札を切って、次の手を考える。玲も僕の性格を知っている。やり返すと見せかけて、持ち上げたカード以外のところに、さりげなくジョーカーを仕込むと考えるだろう。その裏をかく。4枚の手札のうち、左から2枚目にジョーカーを構え、少しだけ持ち上げる。
「さあこい」
「その持ち上げたのがジョーカーでしょ?」
「いいえ、どうですかね?」
「たっくんってさあ」
「ん?」
「ウソつくとき右の方を見るクセあるよね?」
え? マジ? 僕そんなクセあるの? でもなんか、人はウソをつくときに特定の方向を向く性質があるとか聞いたことも……
右端のカードを引き抜かれる。
「んっふふ」
玲は手札を捨てる。これで玲の残りのカードは2枚だ。
「……右見てた…?」
「いや、ウソです」
「……お、おのれ……」
憤懣やるかたなき衝動が生じるものの、そういうブラフを使ってくるほど、玲は成長したんだなと謎の感動も沸いてくる。
「はい、お好きなのをどうぞ」
残った2枚の手札を得意げに掲げてくる。適当に1枚取って手札を捨てる。これで、僕の手札はジョーカーを含めた2枚、玲の手札は1枚だ。
「仕方ない、あとは運だ」
どちらがジョーカーか分からないようにシャッフルし、2枚のカードを裏にして床に並べた。
しかし仕込みはある。玲の利き手は右手だ。玲から見て右の方にジョーカーを伏せている。
「さあどうぞ」
玲はしばらく黙ってカードを見つめていたが、持っていた手札を表にして床に置く。
まあ、ガラが分かったところでもはや関係はない。
「……たっくんはさあ」
「うん?」
「けっこういじわるだよね」
「まあ玲にいじわるするのは好きだな」
「変態」
「変態じゃない」
「ところでさあ」
「え?」
「私の利き手って右なんだよね」
おっ……。息が詰まりそうになるが、なんとか冷静を装う。
「右側がジョーカーじゃないの?」
そう言ってにやにやしながら僕の顔を見つめてくる。
「いやー、どうでしょうねー、玲の利き手とか気にしたことなかったなー」
「利き手って言葉に反応する時点でたぶんこっちだ」
左側をめくられる。
「完全勝利」
玲は、いままで見たことないくらいに、によによとした表情で僕を見ている。
負けた。このババ抜きは運ゲーではなかった。玲に騙され、僕のたくらみは2度も玲に見ぬかれ、完全敗北と言えた。
「『まあしょせんババ抜きなんて運ゲーだからな。運以外では玲は僕に敵わない』」
やめて……!!
「……まことに申し訳ございませんでした。僕が悪かったです」
「よかろうよかろう」
くっそ、小6ってこんな心理戦しかけてこれる歳だったか? 小6の僕はうまい棒うっめくらいしか考えて生きてなかった気がする。
「いやあ、よかったよかった」
「……僕はよくなかった」
「かわいそうに」
もう何も言えず、両手で顔を覆って辛い気持ちを味わった。
*
ふと気付いて時計を見ると16:30を回っていた。窓の外ももう暗くなっている。17:00には玲を送ってやらねば。玲を見ると、トランプを片付けていた。お、もういいのか。まあ完全勝利したからな。くそ、勝ち逃げされた。
とんとんとカードを整えてトランプを片付けた玲は、僕の顔を見て言う。
「たっくん、抱っこして」
ん? やはり小6は小6か。でも小6ってそんな幼かったか? まあいいや、いままでの帰省でも何度も抱っこしてやった。
「いいよ、ほらこい」
両手を広げてやると、のそのそ近づいてきて、玲は僕の脚の上に乗っかり抱き着いてきた。
む、ちょっと重くなったな。無論、成人女性に比べればずっと軽いが。いつものくせで玲の頭を撫でてやる。僕の胸に顔を押し付けたまま、んふぅと玲が満足そうな声を上げる。
「私は今、私にババ抜きで完全敗北したたっくんに抱っこされている」
まだ言うか。悔しいので頭をぐりぐりしてやる。
「やーめーろー」
「これくらいしかやり返せませんし」
「大丈夫だよ、教えるのとか上手だったし」
なんか変に慰められてしまった。
玲の体は暖かく、髪もさらさらで撫でていて気持ちよかった。
……なんとなく、「子供」ではなく「女」の匂いが少し混じっているように思った。まあもう中学生になるんだしな。とはいえ、特に性的な興奮は覚えない。玲は玲だ、僕にとっては妹のような存在だ。そのまましばらく玲を抱っこして玲の髪を撫でていた。
*
「玲、そろそろ時間だ。送るから、帰ろう?」
玲の背中をぽんぽんとたたく。
「……うん」
玲はもそもそと僕から離れて帰り支度を始める。僕は上下スウェットだが、まあ何か羽織ればよかろう。適当にウインドブレーカーを取り出す。少し寒いかも知れないが、往復10分程度なら問題ないだろう。
玲の準備も済んだようだ。
「じゃあ行きますかね」
「はい」
玲はそう言って僕の部屋から出ると、玄関ではなくリビングへ向かった。
「彩月さん、おじちゃん、お邪魔しました」
「いいえいいえ」
「またおいでね」
「うん!」
さっきまで僕に抱き着いていた子とは思えない礼儀の良さだ。
玄関にやってきた玲に、ラックに掛けられたコートを手渡してやる。
「気が利くじゃん」
「これはどうも」
玲はコートを着て、靴を履く。まあ多少は寒いだろうがなんでもいいやと僕はサンダルを履く。玲の準備もできたようで、玄関の扉を開ける。すでに外は真っ暗だった。吐いた息も漏れなく白くなる寒さだ。
「行きましょうか」
「行きましょう」
玲と一緒に玄関を出る。
*
玲と手をつないで夜道を歩く。
「ババ抜きでー勝ったー、ババ抜きでー勝ったー」
玲は、ちょうど僕に届くくらいの小さな声でオリジナルソングを歌っている。まだ言うか。
「でも玲はー、抱っこしてほしがるー、おこちゃまー」
オリジナルソングで返してやる。音感的に僕の方が負けてい……
手提げかばんで腹を殴られる。やめろ、そこそこ痛い。
殴っておいて僕を見上げて言う。
「おこちゃまでいいからおんぶして」
ほんとに、大人に近づいているのか幼いままなのか。
「おらこい」
玲の前でしゃがんでやる。
「やった」
そう言って玲は僕の背中に飛びついてくる。さっき抱っこしたときも感じたが、玲の体重は少し重くなっていて、玲が成長していることを感じる。
「よし、いくぞ」
玲をおんぶして立ち上がる。何枚かの服越しだが、玲の温かさが伝わってきてありがたい。
……さっきは気付かなかったが、本当に少しだけだがちょっとだけ胸の膨らみを感じる。しかしやはり性的な興奮はない。嬉しいような寂しいような気持ちになる。何事も変わっていく。
「ゴーゴー!」
僕の心の内面など気付かぬ調子で、玲は僕に指示する。玲は僕の首筋に頬を付けている。そこが特に温かい。
「イエッサー」
背に乗る玲の体を軽く持ち上げ、転ばないように気を付けて歩き始める。
「ババ抜きでー勝ったー、ババ抜きでー勝ったー」
玲は小さく歌う。まだ言うか。さすがにムカついたので玲の尻を叩く。
「いたっ! なんでよ!」
「わかってるだろうに」
「わかってますけど」
おのれ。
玲を背で支えつつ、両手で玲のおしりを揉む。
「ひゃっ!! ……うわ、たっくん変態だ」
「変態じゃないですーお仕置きですー」
「お仕置きされる覚えないんですけどー」
「そうかわかってないのか、玲はバカだな」
「いいえ、たっくんの方がバカだと思います」
何事か言い返そうと思ったけど、さっきのババ抜きのこともあり、もしや精神年齢的には僕も玲とさほど変わらないのでは? と思い、即答できなかった。仕方ないのでさらに強く玲のおしりを揉む。
「変態だー変態だ―ロリコンだー」
「うるさいうるさい、嬉しいくせに」
「まあ悪い気分ではないですけどー?」
そのまま街灯もない暗い道を玲をおんぶしてきゃっきゃと笑い合いながら歩いた。
*
ほどなく玲のアパートにたどり着く。部屋の扉の前で玲を下ろし、チャイムを鳴らす。扉の奥から「はーい」という声が聞こえてきて、ひとみさんが扉を開く。
「おかえり、玲。たっくん、送ってくれてありがとう」
「いえいえ、男の義務ですよ」
「たっくんも大人の男になったな」
「そんな玲を送ったくらいで」
「ねえねえ、お母さん、私ね、たっくんにババ抜きで完全勝利した!」
玲が会話を遮る。そしてまだ言うか。
「あらー、大学生に勝ったの? やるじゃん」
「うへー」
悔しい、悔しい。
「まあもう入りなさい。たっくんも寒いだろうし」
「うん」
玲はそう答えるが、僕の前に立ってもじもじしている。
「……たっくん」
玲が見上げてくる。玲の頭をぽんぽんとたたいてやり、髪をいくらか撫でてやる。ついでに両手で玲の頬をごしごししてやる。
「冷たい!」
「悪いね」
それでも嫌がる様子はないので、そのまましばらくごしごししてやる。玲は僕の成すがままになっていたが、突然、ハッと目を見開き、僕の手を振り払ってひとみさんの方を見る。
まあ小6でこれを親に見られるのは恥ずかしかろう。寒さのためもあるだろうが、玲の耳が赤くなっていくのが分かる。
「おやすみ! ……また遊ぼうね!」
そう言うと、玲はひとみさんの横をくぐって室内に入っていった。
ひとみさんはによによしている。
「我ながら玲は賢しい子だと思うけど、甘えんぼさんなのは確かだな」
「どっちも分かります。ババ抜きは運じゃなくて玲のハッタリで負けた。頭いいですよあいつは。でもそのあと『抱っこして』って言うんです。大人なんだか幼いんだか」
「まあそのあたりが混ざる年頃よね。どっちも合わせてくれるたっくんはほんとありがたいよ」
「いいえいいえ、やっぱり玲と過ごすのは楽しいし」
「それは朗報だ。さて、今日はそっちに玲を行かせてもらったけど、帰省から戻る前にはたっくんも一回はこっちに遊びにおいで。歓迎します」
「どうも。正月が明けたらいつでも来れると思います」
「よろしい。待っておりますよ。それじゃあおやすみ」
「はい、おやすみなさい」
ひとみさんとあいさつをして、扉が閉められる。光が減じたアパートの廊下で、唐突に寒気を覚える。やっぱこの格好は寒い。
帰り道、"ババ抜きでー勝ったー、ババ抜きでー勝ったー"の玲が歌う声と、おんぶしたときの玲のぬくもりが自動的に思い出された。玲ももう少し大きくなれば、そんな歌をうたうこともなくなるだろうし、抱っこやおんぶを求めてくることもなくなるだろう。
正直に言って、僕はそれを悲しく思った。
だけど、いろんなことが変化していく。この町も、玲も、僕も、玲と僕の関係も。
「世の中そういうものか」
独り言をつぶやくと、口から白い息が出て、空中に消えていった。
「ババ抜きでー負けたー、ババ抜きでー負けたー」
そう小声で歌うが、語感が悪いことは否めない。
ほどなくして家に帰りついた。
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