仮入部員と倫理の無い依頼【#2】

 「見て妖野あやしのくん、あれが今回のターゲットだよ。」

 物陰から覗くようにして、幽ヶ屋かすがや先輩が指差す方向を見る。人の恋人を指してターゲット呼ばわりはどうかと思うが、幽ヶ屋先輩のことなので今更どうもこうもないだろう。

 「どう?かっこいいでしょ?」

 後ろから先崎さきざき先輩の声。身を潜めている状態なので一応声は抑えているようだが、それでも隠しきれないほどの高揚が滲み出ている。

 「まぁ、たしかに……、かっこいいですね。」

 「でしょでしょ!?」

 「紗妃さきちゃん、しーっ。」

 幽ヶ屋先輩の手が先崎先輩の口を塞いだ。明らかに力の加減が出来ていないそれは、もはやちょっと位置が下にずれたアイアンクローに見える。それでも先崎先輩は大きく動揺することもなく、目と眉だけで謝罪の意を示した。なるほど、どうやら二人が仲の良い友人というのは本当らしい。俺だったらこんなアイアンクローもどきなんて暴れながら剥がそうとするだろうが、先崎先輩は難なくこれを受け入れている。付き合いが長いからか気が合うからか、もしくはその両方か。

 視線をターゲット、もとい、先崎先輩の彼氏に戻す。

 正直、お世辞を抜きにしてもかっこいい。今すぐにでもどこぞの事務所からお声がかかるんじゃないか、と思わされるほどだ。絵に描いたような高身長イケメンで、纏う雰囲気も爽やか。これはたしかに、自分の彼氏だと自慢したい気持ちもわかる。そしてそれと同時に、この人も浮気するんだなという何とも言えない感情が胸中に湧いてきた。人は見た目に寄らないと言うか。いや、まだ先崎先輩側の証言しか聞いていないため、諸々を判断するのは早計ではあるが。

 「……というか、何でこんな隠れながらなんです?要るのは髪やら爪なんでしょう?先崎先輩なら正面からでも手に入るでしょうに。」

 「何言ってんのホープ君!そんなの恥ずかしいでしょ!?」

 「そうだよ妖野くん。まったく、乙女心がわかってないな〜。」

 「え……、ああ。そ、そうですか……。」

 呪いじみたおまじないも今のこのストーカーまがいの行為もセーフなのに、それは駄目なのかよ。基準が謎だな。……いや、たとえ恋人でも面と向かって「髪と爪をください」とは言えないか……?……うん、言えないな。絶対引かれるものな。じゃあ、今おかしかったのは俺の方か……?

 「え、嘘だろ。納得できねぇ……。」

 この二人を相手に、まるで常識が無いかのような発言をしてしまった。甚だ不本意である。

 「妖野くん、そんなにわかんないの?乙女心。」

 「いや違います。ひとりごとです。気にしないで下さい。」

 「?」

 「それよりほら、髪と爪を手に入れる算段を立てないとじゃないんですか?」

 これ以上この話を続かせたくはないので、半ば強引に話題を変える。

 「そうだよゆうちゃん!とうくん結構ガード固いから、難しいかもしれない……!」

 うまいこと先崎先輩が乗っかってくれた。ちなみに橙くんとは先崎先輩の彼氏さんの名前である。東堂橙とうどうとうというらしい。

 「あ〜、そうだね。どうしようかな〜。」

 幽ヶ屋先輩が目を瞑り、頭を揺らす。なんとなく、よからぬ閃きがもたらされる気がする。

 「……うん!そうしよう!」

 「なになに?どうするの游ちゃん!」

 「ふっふっふ……、じゃん、これを使うよ。」

 得意気な顔でポケットから取り出されたのは、謎の液体が入った小瓶数個と、これまた謎の丸薬が入ったピルケースだった。

 「俺、用事思い出したんで帰っていいですか?」

 「ダメだよ妖野くん。オカ研部員として依頼に背を向けることは許されないよ。」

 「俺にはオカ研部員としての矜持も義務もありません。」

 「もー、お固いなーホープ君は。何がそんなに嫌なのさ。」

 「全部ですけど?」

 幽ヶ屋先輩の手元の物、依頼の内容、今の状況から、あんたら二人の言動まで全部だ。

 「ていうか、幽ヶ屋先輩なんか不思議な力使えるじゃないですか。アレ使ってどうにか出来ないんですか?」

 「出来るけど、ふたりは使えないじゃん。」

 「え……、いやたしかに使えないですけど、別にいいでしょう、幽ヶ屋先輩一人で。」

 「なんで?みんなで一緒にやろうよ。」

 「そうだよホープ君。三人寄ればなんとやら、だよ。」

 三人寄って出力されるのは知恵であって行動力じゃねぇよ。駄目だ。この人たちの中では俺はもうスリーマンセルに組み込まれているらしい。不名誉極まりないスリーマンセルだ。

 「え〜っと、こっちにこれをこう、これが……、あ〜、えっと。」

 なにやら悩みながら、幽ヶ屋先輩が謎の液体同士を混ぜ合わせ、時折丸薬を入れて溶かす。さながら、ドラマやアニメのワンシーンであるような薬品の調合だ。黒、紫、緑の色した液体が、混ざり合うたびに鮮やかな青だったり濃い赤だったりに変わる。テンプレ通りなら、この後爆発するだろう。

 「……よし!」

 幽ヶ屋先輩の納得の声とともに、小瓶の中の液体がちょっと光った。爆発じゃなくて光る方だったらしい。いや、現実でそんなシーン見たくなかったけれども。

 「はい!」

 そして、それをこちらに差し出してきた。

 「嫌です。」

 予想通りに渡してきたが、絶対に受け取りたくはない。しかも多分これ飲むやつだろ。絶対、絶対に嫌だからな。

 「も〜、しょうがないなぁ妖野くんは。」

 やれやれ、といった風に首を振られた。そんな野菜を拒否する子供を持つ母親みたいな顔しないでほしい。腹立つ。

 「じゃあ紗妃ちゃん、お願い。」

 「りょうかい!任された!」

 「え?」

 いつの間にか後ろに回り込んでいた先崎先輩に、羽交い締めにされる。

 「はい妖野くん、あ〜ん。」

 そして、幽ヶ屋先輩がその怪しげな小瓶を手に迫ってきた。

 「い……、嫌だ!絶対嫌だ!そんなやばそうなもの飲んでたまるか!」

 「ちょ、ホープ君!駄々こねないの!」

 「駄々じゃねえええ!必死の抵抗だこれは!」

 本気で危険と恐怖を感じてんだこっちは!

 「妖野くん、静かに。ターゲットに気づかれちゃう。」

 「いっそ気づかれろ!ご破算になれこんなもの!」

 「まったく……、じゃあこうするしかないか。」

 不穏な台詞を吐きつつ、幽ヶ屋先輩が印を結んだ。昨日見た三つのどれとも違う、新しい形だ。

 「『ギル』。」

 ぽつり、と呟いた後、その両手を突き出し、俺の首を掴んだ。

 「がっ……!?」

 瞬間、俺の首回りから"何か"が、ごっそりと流れ出たような、抉り取られたような、怖気立つ嫌な感覚に襲われた。首の存在感と感覚が消え失せ、喪失感が湧いてくる。

 当然、幽ヶ屋先輩を睨み、糾弾しようとする。が、声が出ない。一切出ない。口を開き肺を潰しても、その"声になるはずだったもの"が、首から漏れ出て霧散して、まったく言葉として結実しない。

 途端に、冷や汗が伝った。初めて味わうタイプの、恐ろしさと不快さだった。

 「うんうん、成功したね。ごめんね〜、あとで返すから。」

 幽ヶ屋先輩の態度は変わりない。一仕事終えたような達成感すら感じられない。俺はこんなにも狼狽しているのに、幽ヶ屋先輩にとっては茶飯事もいいところなのだろう。それを実感して、さらに冷や汗が流れた。

 「じゃあ、改めて……。」

 再び、幽ヶ屋先輩が例の小瓶を持ち出す。そして空いた方の手で俺の顎を掴み、力ずくで口を開けた。

 「はい、あ〜〜ん。」

 顔を上に向けられ、謎の液体が流し込まれる。不思議なまでに無味無臭だった。それが余計に不気味だ。

 「はい、飲んじゃって〜。」

 鼻がつままれる。そうなってしまえば、俺はもうこの液体を飲み下す他無い。ひどくむせながら、俺はそれを飲んだ。飲んでしまった。

 「よし、飲んだね。わたしたちも飲んじゃおう。はい、紗妃ちゃん。」

 「ありがと游ちゃん。」

 あんな不気味なものを、二人は躊躇わずに飲み干した。正直、戦慄する。

 「うーん、おいしくはないね、これ。……ってあれ?游ちゃんどこいっちゃったの?」

 「ずっとここにいるよ、紗妃ちゃん。」

 「ほんとだ!……なんでいなくなっちゃったなんて思ったんだろ。」

 先崎先輩が感じているであろう疑問は、俺も感じている。あれを飲み干した直後から、一体どう言い表せばいいのか、二人が"よく見えない"のだ。いや、見えないというか、感じられない、というか。極端に存在感が希薄になっていて、視界から外しただけでどこかへ消えてしまったのではと錯覚する。なんなら視界に入っていても、ふとした瞬間に意識から外れている。決して透明になったわけではないのに、ひどく認識しづらい。あまりにも非現実的な感覚だ。

 「ふっふ、それはね、今飲んだこれのせいだよ!」

 まあ、十中八九そうだと思うけど。

 「わたしが調合したのは、存在の秘匿剤だね。みんながわたしたちのことを感じられなくなる。目で追えなくなるし、見つけられなくなる。さすがに、抱きつかれたりしたら無理だけど。」

 「つまり、今の状況にはピッタリってことだね!?」

 「そうだよ!これでスニーキングし放題だよ!」

 「やったー!」

 いくらでも科学の進歩に発展できそうだし、いくらでも犯罪に使えそうな所業をこんな校庭の片隅でしれっとやらないでほしい。トンデモアイテムすぎて、もはや原理すら気にならない。そしてこんな恐ろしいものを作って飲んでおいて、そんなに無邪気にはしゃがないでほしい。もうちょっと神妙になってくれないだろうか。すごいことしてるんだよ今。

 「じゃあじゃあ、さっそく行っちゃおうよ!」

 「うん、じゃあれっつごー!」

 「ごー!」

 二人が物陰から外に出る。俺はついでのように手首を掴まれ、強引に連れ出された。先崎先輩の彼氏さん、東堂先輩の前に躍り出る。

 「おおー……。ほんとに気づかれない。」

 「でしょ?失敗しなくて良かった。」

 この薬の効力は凄まじかった。東堂先輩の視界に確実に入っているはずなのに、一切のリアクションが無い。今まさに手首を掴まれている俺ですら、幽ヶ屋先輩の気配を見失ってしまうほどだ。唐突に現れた三人組のことなんて、おそらくはまったく認識できないだろう。

 「うんうん、近づける近づける。よし、ぱっぱと採っちゃおうか。」

 「おっけー!」

 頭髪に手を伸ばし、無遠慮に抜き取る。東堂先輩は頭を抑え振り返るが、首を傾げただけですぐに向き直った。眉をひそめても、自らに降り注いでいる災難に気付くことが出来ない。哀れみを感じるとともに、この二人を止められなかったことを心の中で謝罪した。

 「これだけあれば十分かな?次は爪だね!」

 「わかったよ!」

 幽ヶ屋先輩がどこからともなく爪切りを取り出し、そっと、東堂先輩の人差し指の爪に添わせる。パチン!と小気味良い音が鳴った。

 「えっ!?何!?何!?!?」

 さすがに東堂先輩も慌てふためく。自分の指を見てみれば、短くなった人差し指の爪。人間の顔が青ざめる瞬間というものを、俺は初めて、はっきりと目撃した。

 「え……?え………??ええ!?」

 掠れた声で戸惑いながら、辺りを見回す。が、俺たちのことは認識できていない。蒼白になった顔面で、この場から逃げ出そうと足を踏み出した。

 「あっ、待て!」

 が、先崎先輩に腕を掴まれる。そしてすかさず、幽ヶ屋先輩がその手の爪を切った。パチンパチンパチン!と連続して音が響き、鮮やかな早業で爪が回収されていく。

 「う、うわああああああああ!!!」

 絶叫である。だが、さもありなん。当然注目を集めるが、その衆目のどれも俺たちのことは認識できない。傍から見れば、突然叫び声をあげた一人の男子生徒である。

 「よし、おっけ〜。」

 幽ヶ屋先輩の声とともに、先崎先輩が手を離す。自由になった瞬間に、東堂先輩は脱兎の如く駆け出した。途中よろめいて物にぶつかりながら、校舎の中へと消えていった。

 「これでミッションコンプリート!これからは、楽しいおまじないだよ〜!」

 「わーい!」

 行われた悪行蛮行とは裏腹に、二人は毒気無くはしゃぐ。女子二人が盛り上がっている姿が、こんなにも邪悪に見えたことはない。俺はなんだかひどくげんなりして、座り込んで頭を抱えた。

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