仮入部員と倫理の無い依頼

仮入部員と倫理の無い依頼【#1】

 「ほんとに良かったよ〜。妖野あやしのくんがオカ研に入ってくれて!」

 「……よくもまあ、そんな言い方が出来ますね。」

 昨日、正門前から脱兎の如く逃げ出した俺は、ものの数秒で幽ヶ屋かすがや先輩に捕らえられてしまった。なんと持ち歩いていたらしい入部届けにその場で署名をさせられ、俺は自分の意思と無関係にこのオカ研に所属することとなってしまった。

 「それに、俺をオカ研の一員みたいに扱わないでください。俺は"仮"入部ですよ。」

 所属とは言っても、彁妛せいし北高校の校則上俺はまだ仮入部だ。およそ三週間弱設けられた仮入部期間が終わった際には、入部を取り下げる権利が認められている。……それを幽ヶ屋かすがや先輩が黙って見過ごすかは置いておいて。

 西日差し込む部室(ということになっている空き教室)に、俺と幽ヶ屋かすがや先輩は現在、向かい合う形で座っている。仕事が早いことに、この部室には既に俺用の机と椅子が設置されていた。昨日の今日でよくぞ調達してきたものだ。

 ちなみに、当然のことではあるが俺は今日部室に顔を出す気なんかさらさら無かった。なので、ホームルームが終わり次第急いで下校しようとしたのだが、俺の教室前で出待ちをしていた幽ヶ屋かすがや先輩に見つかり、連行されて今に至る。

 「つれないな〜、妖野あやしのくん。もう同じ部活の仲間なんだし、もっと打ち解けていこうよ。」

 「どの口が……!」

 初めてである。姉以外の年上の人間を、本気でしばきたいと思ったのは。

 だが歯ぎしりするだけに留めておく。手を出してはならないという自制心があったのも事実だが、それ以上にこの先輩と殴りあってはいけないような気がした。

 俺が睨んだところで、先輩の態度は変わらない。机の下で足をバタつかせながら、そのもじゃもふ頭を不規則に揺らしている。どうやらこれが先輩の癖らしい。考え事をするにも、暇を持て余すにも、こうして幼児めいた動きをするのだ。現にこの四十分ほどはずっとこうである。……そう。この四十分ほど、ずっと。

 俺がここに連行され、椅子に座らされてから、何もせず四十分も過ぎた。頬杖をついた左腕に西日を受け、袖が熱を帯びていくのを感じるだけの四十分。わざわざ俺を連れてきたにも関わらず、一体これはどういうことか。

 「……で、本当にすることは無いんですか?」

 「うん、無いよ。今は"待ち"だからね。」

 先輩本人に聞いても、これである。一体何が"待ち"なのか。部活動に待ちも何も無いだろう。貴重な放課後の時間を、ただ呆けるのに費やす部活動なんてあってたまるか。

 「無いなら俺は帰っ……。」

 「待って妖野あやしのくん!待って!もうちょっと座っててよ〜。ね?」

 そしてこれである。俺が帰る素振りを見せると、それを必死で止めにかかってくる。その際に俺の手首は掴まれ、肩に手をかけられ、凄まじい力で椅子の上に戻される。

 「はぁ……。わかりました、いますよ……。」

 「うん!ありがとうね、妖野あやしのくん。」

 ……というわけで俺は今、部活動という名の軟禁状態にある。学校に居ながらにして、こんなにも家が恋しくなろうとは。

 「ほんと、ほんとにもうちょっとだと思うから!だから待ってて!」

 「あぁ……、はい……。」

 先輩はそう言うけれども、そのもうちょっととやらが具体的に後どれくらいなのかは示されないし、そしてもうちょっとしたところで何が起きるのかも伝えられていない。もうこのやりとりも、これで三回目だ。

 さらに、時間が経つ。西日が夕焼けに変わった。俺の思考はもう、如何いかにしてここから力ずくで逃げ出すかにシフトしていた。腕力、瞬発力共に尋常ではない幽ヶ屋かすがや先輩を出し抜くのは容易ではないだろうが、おそらく先輩はフルパワーを出すために手印を結ぶ必要がある。付け入るとすればそこか……?だがしかし、もし俺を制圧するのにそこまでする必要が無かったら……?

 先輩の力量を想像しつつ、先輩の視線が俺から外れる瞬間を伺う……、そんな時だった。

 教室、もとい部室の、扉がノックされた。

 俺は驚き、扉を見つめた。対して先輩は全く驚かずに、しかし待ちわびたという顔で、扉に向かって返事をした。

 「いいよ!入って〜!」

 ガララ、と音を立て扉が引かれる。そこに立っていたのは、この彁妛せいし北高校の制服を着た女子生徒だった。ブレザーに巻かれたネクタイの色は緑。三年生だ。

 「ゆうちゃーん、聞いて聞いてー!また私の彼氏がさ……、って、え!?」

 幽ヶ屋かすがや先輩のことを馴れ馴れしく呼び部室に入ってきたその人は、俺の姿を見るなり目を見開いて固まった。

 「ゆうちゃん以外に人が!?オカ研に!?しかも男子!?え?え?まさか、彼氏!?」

 「違うよ紗妃さきちゃん。妖野あやしのくんはオカ研の新入部員、期待のホープなんだよ。」

 「それも違いますよ。俺は"仮"、入部員です。」

 途端に盛り上がった二人に、訂正を差し込む。仮の部分をこれでもかと強調してやった。そもそもそれですら俺の意思ではないのだ。それなのに、どさくさに紛れて期待のホープなんだののたまわないでほしい。

 「仮入部……、ってことは、ついにゆうちゃん新人ゲットしたんだ!やったじゃん!」

 「そうなんだよ〜!念願の後輩だよ!いや〜、わたしの熱烈なラブコールに応えてくれてね〜!」

 「すごいじゃーん!え、おめでとー!」

 「ありがとね〜!これでオカ研も新体制!バリバリ頑張っちゃうよ〜!」

 「……あの!!」

 声を張り上げる。ラブコールだの新体制だの諸々言い返したいことはあるが、ひとまずは、

 「すみませんが、お互い自己紹介しときませんか?初対面でしょう、僕ら。」

 この闖入者ちんにゅうしゃの名前を伺いたい。相手の名前がわからないことには、会話にも割り込みづらい。

 俺の申し出を受けたその三年生の女子生徒は、ぱちくりと数度瞬きすると、はにかみながら悪びれた。

 「それもそうだね、ごめんごめん。私は三年二組の先崎紗妃さきざきさき。ホープ君の名前は?」

 ついホープ君呼ばわりに噛みつきそうになるが、なんとか堪える。

 「一年四組、妖野遙眞あやしのようまです。……先崎さきざき先輩は、どうしてここに?幽ヶ屋かすがや先輩とどういう関係で?」

 「ちょっと、一度に二つも質問しないでよー。渋滞しちゃう。」

 「あ……、そうですね。すみません。」

 いけない、先走りすぎた。だが、それもやむなしというものだろう。こちとら幽ヶ屋かすがや先輩の存在だけでも脳みその許容値ギリギリなのだ。それなのに突如としてその幽ヶ屋かすがや先輩と親しげな人間が登場しようものなら、どうしても気になってしまう。まずあの幽ヶ屋かすがや先輩に交友があるのが驚きだし、それに加え幽ヶ屋かすがや先輩のネクタイの色は赤、二年生である。幽ヶ屋かすがや先輩から見ても上級生の先崎さきざき先輩とあんなにフランクな口調で会話するとは、二人は一体どんな関係性なのだろうか。

 「それについては、わたしが答えよう!」

 にゅっ、と、俺の視界内に幽ヶ屋かすがや先輩が生えてきた。いつの間にか椅子から降りていたらしい。真ん丸の瞳に、俺の姿が映り込む。

 「紗妃さきちゃんはオカ研の常連なんだよ!いつも恋愛相談をしにくるの。」

 「恋愛相談って……、それオカ研の管轄なんですか?」

 そもそも部活動で対処する話ですらないと思うが。

 「管轄も管轄だよ!むしろ得意分野じゃないかな。」

 「そ、そうなんですか……。」

 正直信じられないが、この人がこんな自信満々に言うということは、まぁそうなんだろう。

 「でも、常連というだけではやけに距離近くないですか?先輩と後輩ですよね?」

 俺のその問いには、先輩二人とも首をかしげた。

 「んん?別に良くない?もう何度も会ってるし。」

 「そうだよ。ゆうちゃんは友達だし、そんな固いこと言わないって。」

 ……なるほど。どうやら俺とは感覚が違うらしい。しかしむしろ納得できる。昨日今日で見せつけられた幽ヶ屋かすがや先輩と俺の常識のズレに比べれば、これくらいは『そういう人もいる』で片付けられるレベルだ。

 「じゃあ、よく恋愛相談をしにくる友達が訪ねてきたということは、今回も恋愛相談そういうこと、なんですか?」

 「たぶんそうだと思うけど……、だよね?紗妃さきちゃん。」

 幽ヶ屋かすがや先輩が振り返り聞くと、先崎さきざき先輩はハッ、として手を打った。

 「あ!そうそう!聞いてよゆうちゃーん、またなんだよ?うちの彼氏!」

 「またって言われても、どの"また"かわかんないよ。すっぽかし?記念日忘れ?浮気?」

 「浮気だよ浮気!しかも今度は他校の子だよ!?もう信じらんない!」

 「そっか〜。じゃあ紗妃さきちゃん、いつものやつだね?」

 「うん!お願い!」

 「よし!」

 何の前触れもなく、俺の左手首が掴まれる。

 「は?」

 「じゃあみんな、れっつご〜!!」

 「レッツゴー!!」

 「い、いや、ちょっと待ってください二人とも。」

 急に引かれた左手を抑えながら、歩き出した先輩二人を呼び止める。

 「ん?どうしたの妖野あやしのくん。」

 「……俺も連れて行かれるんですか?」

 「うん、そうだよ?だって妖野あやしのくんはオカ研の一員じゃん。」

 何を当たり前のことを聞いているんだ、と言わんばかりの顔をされた。クソ、本当にこの先輩は……!

 だが抗えない。抗いようのない力が左手首から伝わってくる。俺は思いっきり大きなため息をついて、胸中の諦めを受け入れた。

 「……なら、せめてその"いつものやつ"というのがどういうやつなのか説明してください。なにせ俺は新人、なんで。」

 「たしかにそうだね。ごめんね妖野あやしのくん。」

 「ごめんねー。私たちだけで話進めちゃって。」

 たっぷり皮肉めいて"新人"と言ってやったつもりだったが、まったく伝わっていないらしい。

 「"いつものやつ"っていうのはつまり、恋のおまじないなんだよ。」

 「そう。私と彼氏がうまくいかない時、ゆうちゃんが手伝ってくれるの。」

 「へぇ……。恋のおまじない……。」

 何というか、随分と可愛らしい響きだな。てっきり呪いだのなんだのが出てくると思っていたが、それは昨日の、幽ヶ屋かすがや先輩の超パワーにイメージが引っ張られすぎか。いくら幽ヶ屋かすがや先輩といえど、人様の恋人に乱暴な真似なんて……。

 「具体的には、紗妃さきちゃんのこと以外を見れないようにするの。」

 「え?」

 「ゆうちゃんのおまじないはすごいんだよ!彼氏がいっぱい、私に好きって言ってくれるようになるんだから!」

 「ええ?」

 「でも最近解けちゃってかけなおすことが多くなってきたから、別の新しいやつを試すのもいいかもしれないね。」

 「解けちゃう?かけなおす?」

 「お、いいねー。ねえねえゆうちゃん、どんなのがあるの?」

 「人形ひとがた、影縛り、人身竈食ひとのみへぐいとかあるけど……、今日はえにし結びにしよっか。」

 「おお、なんかすごそう!」

 「ふふん、ほんとにすごいよ?成功すればもう解けちゃうことなんて考えなくてよくなるんだよ。二人は強く強くつながることになるから。」

 「おおー!ゆうちゃん、それやろう、それやろう!」

 「いや……、え?いやいや…………、ええ?」

 会話が不穏極まりないんだけど、これってもしかして、

 「呪いをかけようとしてます……?」

 盛り上がっていた二人が、同時に勢い良くこちらを向いた。

 「違うよ!これはおまじない!」

 「そうだよ!呪いなんて人聞きの悪い!」

 「え……?嘘ぉ……。」

 俺がおかしいのか?たしかに、えん結びっておまじないの一種だし、俺が考えすぎの可能性もあるが……。

 「ちなみに、それはどうやってやるんです?」

 「あ〜、結構複雑でめんどくさいけど、まずは結びたい二人の髪の毛と爪、そして赤い毛糸を用意して……。」

 「やっぱり呪いじゃないです?」

 「呪いじゃないよ!」

 前のめりに否定される。そう言われても、人体の一部と赤い糸を用いたらそれは呪いの類でしかないと思う。

 「まったく、妖野あやしのくんはわかってないな〜。」

 やれやれ、といった風に首を振られた。事実、先輩に比べれば俺のオカルト知識なんて無いに等しいものだろうが……、それでも、なんか……、腹立つ。

 「……だったらひとつ聞きたいんですけど、そうやってこちらから一方的にのろ……、もとい、アクションを仕掛けることについてはどう思います?」

 「……?どうって?」

 「倫理とか道徳的に、まずいなって思わないんですか?」

 先輩二人は互いに顔を見合わせ、そして首をかしげた。

 「ちょっとよくわかんないや。」

 「だよね。好きなんだから大丈夫じゃない?」

 なるほど、どうやら俺とは感覚が違うらしい。結構致命的に。この二人はつまり『こういう人』なのだ。俺が馬鹿だった。この二人と会話を成り立たせようとした俺が。

 俺は悟り、強張らせていた身体からだの力を抜いた。

 「……わかりましたよ。もうどこにでも連れて行ってください。」

 「んん?どうしたの妖野あやしのくん。急にしおらしくなっちゃって。」

 そう言うってことは今まで反抗的だったのは認識してたのかよ。それでいてあの態度だったのかよ。

 「どうもこうも無いですよ。ただ、これ以上は無駄かなって。」

 反抗するのも、理解しようとするのも、な。

 「ん〜?ま、妖野あやしのくんがいいならいいや!改めてれっつご〜!」

 「レッツゴー!」

 掛け声と共に、無遠慮に左手が引かれる。引かれるがままにしていると腕が痛いので、俺は必死に幽ヶ屋かすがや先輩の背中に張り付いて走った。

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