新入生と怪しい勧誘【#3】

 「大変だよ、妖野あやしのくん。」

 「……どうしたんですか?」

 彁妛北高校、正門前。さほど時を置かずして、俺たちはまたここに戻ってきた。隣に立つ幽ヶ屋かすがや先輩が、眉を寄せてこちらを見上げてくる。

 「妖野あやしのくんがあの子視えないんだから、わたしが祓ってもデモンストレーションにならないよ。」

 「ああ……。」

 たしかに。いや、別に俺はそれでも構わないのだが。今重要なのは俺を呼んでいるらしい対岸の存在が排されることと、俺を勧誘したい先輩の気が済むことである。視認の可能不可能はさしたる問題ではない。

 「う〜ん、どうしよう。……妖野あやしのくん、わたしの血、飲む?」

 「は?」

 突然何を言い出すんだ?この人は。

 「え……、嫌、ですけど……。」

 提案が尖りすぎかつ斬新すぎる。怖いわ。

 「だよね〜。これが一番確実なんだけどな〜。」

 「確実って……。まさか、俺が視えるようになるための手段として、とかですか?」

 「うん、そうだよ。」

 さらりと言ってのけられた。マジでそれで視えるようになるのかよ……。一体どういう原理でそうなるんだよ。

 「じゃあ〜……、わたしが妖野あやしのくんの目を舐めるとか……。」

 「嫌です。」

 断固拒否だそんなもの。血を飲むのが通らないんだから、眼球を舐めるのも通るわけないだろうが。

 「そっか〜……。どうしようかな〜。」

 「……少なくとも、衛生に配慮した方法でお願いしますよ。」

 デモンストレーションという名目がある以上、俺が視えないまま進行するなんてことはないだろう。それならばいっそ、俺を視えるようにするのは受け入れる方向で意を固めよう。

 「う〜ん……、血もだめ、唾液もだめ、爪もだめ、髪の毛もだめ……、あ!」

 うんざりするような単語を羅列した後、目を丸く見開き顔を上げる。何か閃いたらしい。

 「それだ!髪の毛!」

 「先に言っときますけど、食べませんよ。」

 「違うって〜。わたしだって衛生観念は持ち合わせてるんだよ?」

 じゃあ血を飲むだの何だのは始めから言わないでくれ。

 「髪の毛を〜、こう!」

 先輩は自身のもじゃもじゃもふもふの頭に指をつっこみ、そこから髪の毛を一本つまみ上げて、プチリ、と引き抜いた。

 「さらに、こう!」

 引き抜いたそれを、曲げて輪の形にする。交差した部分で固結びした。

 「仕上げに!ふ〜っ。」

 そしてその輪の中心に、息を吹きかけた。髪の毛を飛ばすでもなく、なんなら髪の毛に当てることもなく、ただただ輪の中をくぐらせるように吹いた。

 「完成!はいこれ。」

 ……で、それを俺に差し出してきた。

 「え……、何ですか?これ。」

 「眼鏡みたいなものだよ。ありあわせで適当に作ったやつだけど〜、多分大丈夫!デモンストレーションの間くらいはもつと思うよ。」

 「そ、そうですか……。」

 ということはつまり、これを持って覗き込め、と?たしかに幽ヶ屋かすがや先輩には本当に霊能力があるんじゃないかと感じさせる不思議な、もとい怪しい雰囲気があるが、さすがにこんな簡単なおまじないのような代物なんかでは、視えるだろうとは思えない。

 ……だが、まぁ。

 「じゃ、じゃあ。失礼します。」

 やるだけやるとするか。視えないなら視えないでデメリットは無いし、それにせっかく探ってくれた落とし所だ。これくらいは付き合うべきだろう。

 俺はその髪の毛の輪を上からつまみ上げるように受け取り、それを顔の前にかざした。

 直径十センチもないそれを、両目で覗き込むのは難しい。左目は瞑り、右目にあてがう。虫眼鏡でも構えているのかという出で立ちで、正門のさらに向こう、車道を挟んだ対岸を見やった。

 「ん〜、もうちょっとこっちかな?ほら、こっちこっち。」

 先輩が指差しで方向を指示してくる。素直にそちらへと視線を移動させる……、と……。

 薄汚れたワンピースを着た、ひとりの少女が立っていた。

 目が、あった。

 「……!?うぉっ!!」

 大きく仰け反り、尻もちをつく。咄嗟に両手で体重を支える。はずみで、先輩の髪の毛の輪を落としてしまった。

 裸眼(と表現していいものかわからないが。いや、コンタクトはしているけれども)になった今は、もう視えない。俺の見間違いであってほしいという願望はあるものの、おそらくは違うのだろう。隣に立つ先輩を見上げる。先輩は、目を細め口角を上げた、なんとも得意気な顔をしていた。

 「よかったよかった、成功したみたいだね〜。そこそこ不安だったんだよ、こんなことやったことなかったし。でもさすがわたし!案外なんとかなるもんだね〜。………お?」

 「……どうしたんですか?」

 したり顔で頷いていたくせに、先輩は何故か急にその首を止めた。

 「ん〜、ちょっとね。ね、妖野あやしのくんさ、あの子と目があったりとかした?」

 「目……、はあいましたけど……。」

 だからこそこうして無様に尻もちをついているのだが。

 「あ〜、やっぱり。」

 やっぱり?何が?

 「いや、あの子が妖野あやしのくんを完全にロックオンしたっぽいからさ〜。」

 「ロックオンって……、今までもされてたんじゃないんですか?」

 俺がそういうものを寄せ付けやすく、そしてあのワンピースの少女に呼ばれていると言ったのは他でもない先輩だ。

 「違う違う。今まではただ寄せ付けられてただけ。妖野あやしのくんもあるでしょ?道ですれ違う人を、あ、いいな〜って目で追っちゃうこと。それだよ。」

 「……いや、そんなことは無いですけど。」

 無いわけではないが、あくまでも無いわけではないというだけだ。そんな首肯して認めるほどの心当たりは無い。

 「でもまぁ、言いたいことは何となくわかりましたよ。」

 「お、理解が早くて助かるよ。」

 つまりは先輩が言った通り、俺の体質につられて俺にちょっかいをかけようをしていただけだったのが、今目が合ったことで俺に本気のアタックを仕掛けてくるようになった、という感じだろう。

 「でも、ただ目が合っただけですよ?それがそんなに重要なんですか?」

 「それがそんなに重要なんだよ、妖野あやしのくん。普段人に視られない存在は、いざ視られると嬉しくて舞い上がっちゃうの。何がなんでもその人を連れて行こうとしちゃう。」

 「……そういうものですか。」

 「そういうものだよ。」

 ならばそういうものとして受け入れて話を進めよう。納得はしておらずとも理解はしておいた方がいい。

 「だからさっきまでの妖野あやしのくんなら、運とあの子の機嫌次第では無事にこの道を渡れたと思うけど、今はもう無理だね。十中八九連れて行かれちゃう。」

 「なるほど……。」

 って、ちょっと待て。

 「いや、そもそも先輩があいつの姿を視えるようにしたのが原因なんじゃ……?」

 糾弾の視線を先輩に送る。自分でも驚くほど、眉間にシワが寄った。

 「あはは。ごめんごめん。」

 俺を見上げるその顔に、詫びれる気は一切無い。"命の恩人だから"と自らに言い聞かせるのも、そろそろ限界な気がしてきた。

 「でも大丈夫だよ。これはデモンストレーションだから。」

 「は……?それは知ってますけど……。」

 「そうだよね。だから大丈夫。」

 そんなはっきりと断言されても、何が大丈夫なのか全然わからないんですけど。

 「それ、とって。」

 先輩が地面を指差す。その先にあったのは、俺がさっき落とした例の先輩の髪の輪だ。言われた通り、それを手に取る。

 「うん、じゃあ、ちゃんと見ててね。」

 それだけを言い残して、先輩は前を……、あいつがいるであろう道路の対岸を向き直した。

 そして、両の指を絡み合わせて、複雑な形を作った。

 「『ハン』。」

 何かを口ずさみ、道路へ向かって一歩踏み出した。

 指の形を組み替えながら、さらにもう一歩進む。

 「『ラジャ』。」

 途端に、何か"ただ事ではない雰囲気"が、俺を襲った。

 恐怖……、ではない。もっと純粋な感覚、圧倒的な異物感と存在感を、目の前から感じたのだ。

 先輩は歩みを止めず、正門へと向かう。

 あの格好だ、異物感も存在感もずっとあった。それは違いない。が、今感じているものは、まったくの別種で、より直感的なものだ。

 俺は手にある髪の輪を、再び右目にかざした。

 それを通して見えたのは、先ほどと変わらない、道路の対岸に立つ薄汚れたワンピースの少女。しかしその視線は、俺の方を向いていなかった。ロックオンされたはずの俺を差し置いて、その視線が向かう先は……、自らの方へと歩んでくる、幽ヶ屋かすがや先輩だった。

 この髪の輪によって、先輩の姿も違って見えた。

 先輩は、揺らめくようにうごめく、黒くとも透き通るようなオーラを纏っていた。まるで、漆黒の炎だ。

 そんな先輩に対して、ワンピースの少女はひどくおののいているようだった。

 先輩は正門をくぐり抜け、道路の、その歩道と車道のギリギリのところで止まった。またしても、先輩が指の形を組み替える。

 「『クーガ』。」 

 瞬間、多重の轟音と風圧が暴れまわった。

 視界内で同時に起こった複数の出来事を、俺の脳はひとつひとつ順に認識していく。

 ワンピースの少女が鬼気迫る表情で、腕を突き出し手のひらをかざした。

 車道を走っていたバイクが横転し、火花を上げながらアスファルトを滑る。

 先輩が地を蹴り、車道二車線を一息に幅跳びした。

 先輩と入れ替わるようにバイクが歩道に突っ込み、縁石にぶつかり運転手が投げ出された。

 ほんのわずかな滞空中に、先輩が右の拳を握りしめる。

 道路の対岸、あちら側の歩道に足をつけるより先に、その拳を繰り出した。

 ワンピースの少女の頬に、拳が叩き込まれる。

 少女が、派手に吹っ飛ぶ。

 先輩の足が地面につく。

 少女は空に放り出されたまま、二度と地上に戻ることなく、霧散した。

 加速した脳による処理が一段落ついた時にようやく、俺は周りの喧騒を聴いた。

 「おい、やばくね?」

 「救急車とか読んだほうがいいのか…!?」

 「あの、大丈夫ですか!?」

 傍から見れば、衝撃的なバイク事故である。地面を転がった運転手に生徒や先生が集まり、人だかりが出来た。運転手が申し訳無さそうな仕草をしながら、二本の足で立ち上がる。どうやら大事は無さそうだ。人だかりから安堵の声が漏れるのと同時に、俺も胸を撫で下ろした。

 確実に明日もちきりの話題になるであろう出来事をよそに、俺は車道を挟んで向こう側の歩道を見やった。

 「お〜〜〜い!妖野あやしのく〜〜〜ん!」

 幽ヶ屋かすがや先輩は、この騒ぎなんてまるで無関係かのように無邪気に、笑顔で大きく手を振っていた。……お願いだから大声で名前なんか呼ばないでほしい。隣が騒がしくて誰も気に留めていないようだからギリギリ許すが、もしそうでなければ走って逃げ出していたところである。

 「見てた〜〜!?すごかったでしょ〜〜〜!?妖野あやしのくん、これでオカ研入ってくれる気になった〜〜!?」

 ……いや、別に本当に走って逃げ出してもいいな、これ。

 冷静になった脳が告げる。たしかに、幽ヶ屋かすがや先輩には轢かれないよう助けてもらった恩と、俺の体質について教えてくれた恩がある。だがしかし、それを補って有り余るほどの身の危険を感じる。

 奇人変人までならまだしも、あんな超人的な力を行使できる人の隣になんていたくない。平穏な高校生活を、なんてのたまうような性格ではないが、それでもさすがにあんな先輩が起こし得るであろうトラブルには立ち会いたくない。

 助けてもらったことへの礼は言った。最低限の義は果たしただろう、と言い聞かせる。俺は一歩足を引き、踵を返し、そして全力疾走した。

 「あ!!待って!逃げないで〜〜!!」

 待てと言われて待つ奴なんかいない。こんな定型文にピタリと合う状況に陥るなんて、考えもしなかった。振り返らず、ただただ前を見て走る。

 「………『ハン』。」

 喧騒に掻き消されそうになりながら耳に届いたその言葉で、俺はさらにスピードを上げた。今日一番の恐怖に、襲われながら。

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