きょうはすてきなおわりのひ

海鳥 島猫

さようなら。さようなら。さようなら。

『――次は彁國谷、彁國谷。終点です』


 二人の少女だけを乗せた電車にそんなアナウンスが響く。二人は嬉しそうでも悲しそうでもなく、ただ呆然とドアの上に付けられた液晶モニターを見上げていた。


「終点だって、私達」

「そっか。もう終わりなんだね」


 窓の外は真っ黒だった。一人の少女が窓を開けると、墨で無理やり塗り潰されたような黒の中に、たくさんのビルが昇っていくのが見えた。入れ替わりで銃を持った天使たちが降りてきた。針金みたいな見た目の天使はまばらに地面へ銃を撃ち、その度に人々が埃のように舞い上がって死んでいく。

 窓を開けた少女がスマートフォンを世界に向けた。しかしシャッターを押す前に、スマートフォンは蟹になってしまった。「あーあ」と落ち込んで、少女は蟹を窓から捨てた。蟹は翅が初めから生えていたことになって、どこかへ飛んで行った。


「もっと生きてたかったな」

「うん。フツーに生きてたかった」

「どうしてこうなっちゃったのかな」

「どうしてだろうね」


 二人はドアの上にある液晶モニターを見上げた。けれどモニターに映っていたのは笑顔の男で、『総選挙』と書かれたテロップと共にずっと「あたらしいです。あたらしいあなたになります」と言うだけだった。

 二人ともニュースはあまり見ないほうだったので、ぼんやりと、何かが脱走したことが始まりだったことくらいしか知らなかった。記憶も曖昧になってしまったので具体的にいつからおかしくなったかも分からない。ただ、二日前に校長先生が学校中のみんなを体育館に集めて、先生達がみんなを食べ始めたので、その時点でもう戻せないほどにおかしくなってしまったことだけは覚えていた。

 それで学校から二人だけで逃げ出して、森の中を走っていたら駅を見つけ、ずっと隠れていた。だけど電車が来てしまったので仕方なく乗ったのだ。そうしないと虫歯になってしまうから。

 みんな死んで二人だけになってしまったのは、たぶん悲しかったのだと思う。今はもう誰の顔も名前も思い出せない。二人同士も逃げている間に名前をどこかで失くしてしまったけれど、『わたし』と『あなた』が残ったおかげで呼び分けることができた。でも苗字が無くなってしまったので二人が姉妹だったかどうかが分からなくなってしまったのは少し残念だった。


「あ、ウウウ虫が飛んでる。今日は花火大会だったんだ」

「でも十八日だから花火はできないよ」

「そうだった。……あれ、何かおかしいよ」


 虫なんてどこにもいないことに気づいて、『あなた』は言った。二人は咄嗟に『二足す二』をした。だけどどうやっても答えが『四』にならなかったので、二人は動揺した。窓の外を見ると針金の天使が全員地上に降りていて、五十億匹の芋虫に変わった。何か根っこの部分が改訂されてしまったみたいだった。

 『わたし』は指を噛んで血を出して、電車の床に大きく『2+2=4』と書いた。世界がおかしくなってしまったのはもうどうしようもないけど、『わたし』と『あなた』が改訂されてしまうことは、やっぱり嫌だった。

 電車が猛スピードでガクンとカーブを曲がった。二人は体勢を崩して一緒に座席へ倒れた。五十億匹の芋虫がひどく気色悪い笑顔で電車を見た。


「どうしよう、良くないよね」

「うん、まずい」


 バァァァァァッ! と電車の前方で花が咲いた。緑はどんどん広がって、首のないアナウンサーがスノードロップの花束を持ってどんどん床から生えてきた。

 二人は一両後ろの車両へ逃げた。床に書いた『2+2=4』が草花に呑み込まれてしまうのを見た『わたし』は、まだ流れていた指の血でもう一度、二人の制服に『2+2=4』を書いた。おかげで何とか二人は人間でいることができた。

 二人は急に怖くなった。とっくの前に終わることは仕方ないことだって諦めていたのに。学校が無くなって、家がなくなって、街がなくなって、名前が無くなって、人間も無くなりそうになって。『あなた』が泣いて、『わたし』も一緒に泣いた。もう電車は止まってくれない。液晶モニターの中で笑顔の男性が、木星の消失を告げた。たくさんの隕石が落ちてきて、芋虫は死んだ。

 床に座り込んで二人は泣いた。その間だけ、泣き止むまで世界は二人を待ってくれたかのように静かだった。太陽光が直接差してきたくらいに明るすぎる白色が窓から差して、深い深い影を作った。ゴトン、ゴトンという音だけが静かに鳴っている。


「どうすればいいの、これから」

「わかんない……」

「こんなことなら、フツーに死んでおけばよかったのに」

「……死ぬのも、嫌だよ」

「違うよ。全然違うよ。死ぬのと生きたまま人間じゃなくなるのは。世界が終わっちゃう前に自分達が先に終わっておけば、こんな思いしなかったのに」


 窓の外で、たくさんの人が整列して首を吊っていた。みんな笑って二人を馬鹿にしている。


「どうして私達が最後になっちゃったんだろう。私達より『人間』としてふさわしい人達はたくさんいたはずなのに。もう嫌だよ。もう死にたいよ」

「ダメだよ。あきらめちゃダメ」

「死にたい」

「「「「「死は救済です」」」」」

「救済されようよ。こんなの嫌だ。死は救済だよ」

「いけない。ダメ、聞いちゃダメ。そっちに行っちゃダメ」

「「「「「死は救済です」」」」」

「こんな最後はあんまりだよ。救済されたほうがいいよ」

「落ち着いて! ねえ、『二足す二』は!?」

「――――!」


 寸前で電車がトンネルの中に入った。そのおかげで、『あなた』は自分の首に縄がかけられそうになっていたのに気がついた。二人は身を寄せ合って、また泣いた。ごめんね、ごめんね、と言って泣いた。

 二人は手を握り合って立ち上がった。一緒に『二足す二』の答えがまだ『四』であることを確かめて、さらに一両後ろの車両へ移動した。トンネルから抜けた瞬間、さっきまでいた前方車両が海になった。今や空だけではなく大地も海も山もクレヨンの落書きになって、飽き性な幼児の気まぐれで破り捨てられ、書き加えられ、汚されていった。空は真っ赤で、太陽はいびきをかいて眠っていた。


「えっ、赤色だ」

「どうしたの?」

「赤色だから、ここが一番後ろだよ。それが法典だもの」


 しまった、と『わたし』が気付いたときにはもう遅く、うっかり手を繋ぎ続けていたのでそれを『人間』にされてしまった。右頭は強く後悔した。


「いけない……完成が近づいてるんだ」


 ゴトト、ゴトト、と電車が激しく揺れる。『人間』は右右手と左左手でそれぞれ吊り革を掴んで、二つの体を支えた。電車の外は真っ赤に染まって、もう窓は意味をなさなかった。

 大丈夫、最後までずっと一緒だからね、と右頭が左頭に言った。揺れはどんどん大きくなって、吊り革ではどうにもならなくなったので、『人間』はドア近くの手すりに姿勢を低くして掴まった。左頭が悲鳴を上げた。

 窓ガラスが次々と割れて、赤の花園が『人間』を出迎える。だけど『人間』はモネシアの歌を奏でなかった。左頭と右頭は声が枯れるまで、それぞれの体に書いた血文字を読み上げ続けた。『二足す二』が『四』である限り、それは『人間』だった。

 だけど、ついに時は来た。声が出せなくなって、は自らの改訂を悟った。電車は揺れることを忘れ、フワッとそれは浮遊した。それが右部と左部をそれぞれの駆動部位で抱き寄せる中、電車の天井が二つに割れて開いた。

 それが視覚器官によって観測したものは、レコード盤の宇宙がバラバラに砕けるところだった。破壊を行った透明な幼児の上を、飛沫のようにたくさんの電車が飛び散っていく。


――ああ、私達だけじゃなかったんだ。


 右部思考器官がそうシナプスを発火させながら、他の車両に乗っていた無数のそれを観測した。

 幼児の開けた大口へと落ちていきながら、それは思考器官内の記憶域を参照した。


――せめてもの抵抗だ。私達は人間で、二人の姉妹で、中学生で、日本人で、お父さんとお母さんと一緒に暮らしていて……この世界で、生きていたんだ。


 そして、それは終了した。

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きょうはすてきなおわりのひ 海鳥 島猫 @UmidoriShimaneko

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