鉈と弟子
あべせい
鉈と弟子
むかーし、むかしの物語。
主婦(45)が沢で洗濯していると、村で悪評の高い男、猪貫(いぬき、33)が近付き話しかけます。
「ヨッ、やってるな。婆さん」
主婦は振り返ると、顔をしかめて、
「なにが婆さんだ。猪貫、わしはまだそんな年じゃねえ」
「ウシよ。女は四十過ぎたら、みんな婆さんだ。ついでに、これも頼むわ」
猪貫はそう言うと、腰に差していた鉈(なた)を引き抜き、ウシの前に投げました。
鉈には、まだ乾いていない血がべっとりと付いています。
「なんだ、これは? シシでも殺ってきたのか」
「まァ、そんなところだ」
「ワシは、こんなモノは洗えね」
「洗うンじゃねえ。研ぐンだ。刃こぼれしているからな」
「だれがこんなものを研(と)ぐンだ」
「おめえの亭主の馬児(うまじ)に決まっているだろうが。馬児は国いちばんの鍛冶屋だって評判じゃねえか。刀以上に切れる、ってな。跡取りと弟子がいねえのが、玉に傷だがな」
「女の弟子なンか、いらねえ」
「そういうことか。噂は本当だな」
「なんだ、噂って」
「馬児が、女の弟子をとって、跡取りを作ろうとしている、ってことだ」
「なにィ!」
「怒るな、噂だ、うわさ」
「第一、鍛冶屋に研ぎを頼むってのはどういう料簡だ」
「よくみろ。その鉈は馬児が鍛えたわざものだ。馬児は鉈を作るだけじゃねえ。研ぎにかけても国いちばんの腕前だ」
「なら、おまえから宿六に頼め。ワシは洗濯で忙しいンだ」
「わからねえかな。おれはおめえの亭主が苦手だ。すぐにカッときて、鉈を振り回すからな。あいつの鉈は特別に鍛えたンだろうが、おれの鉈とは比べ物にならねえほど、よく切れやがる。木から薄紙まで、なんでもだ。あの鉈で切れないものがあるとしたら、まァ、馬児と、いとの仲か……」
「なんだ、それは。いと、ってなんだ」
「おめえ知らねえのか。知らねえはずはねえ。いとは、馬児の赤子を生む、って話だ」
ウシの顔色が変わります。
「なんだと! 赤子をひりだす、ってかッ!」
「おめえが石女(うまずめ)だから、馬児は外で作っただけじゃねえか」
「なんだと、もういっぺん言ってみろ!」
ウシは立ちあがり、猪貫の鉈を持って身構えます。猪貫は思わず、跳び下がると、おどけて、
「ヒエーッ! おっかねェ婆ァだ。その分じゃ、まだまたクタバラねえやな。鉈は預けたからな」
猪貫はそう言うなり、駆け足でその場を去りました。
翌朝、亭主の馬児(44)が目を覚ますと、炉辺で女房のウシが頭から血を流して倒れています。そばには、血にまみれた鉈が転がっていて、鉈の柄には、『イヌキ』と彫ってあります。
「ウシ、ウシ、どうした!」
馬児はウシを抱き起こします。すると、ウシは口をパクパクさせ、何か言いたそうです。馬児は耳をウシの口に近付けます。馬児はウシのいまわの際の言葉をしっかり聞き届けました。
一刻がたちました。
町から役人と岡ッ引きが出張ってきて、簡単に調べをすませます。
下手人は、遺体のそばに転がっていた鉈の持ち主、猪貫とすぐに決まりました。鉈には、血がこびりついています。
岡ッ引きの獅子三は、猪貫の所在を求めて村中を走り回ります。
まもなく、猪貫は蕎麦屋で酔いつぶれているところを見つかり、番屋の大きな鉄の環に、太い縄で結び付けられました。
猪貫は酔いから醒めると、番屋の番人にわめきます。
「オレは何もやっちゃいねえ。あんな婆さんを殺して、何の得があると言うンだ!」
しかし、凶器の鉈が猪貫のものという確たる証拠があるうえ、日頃の素行が祟り、ウシの殺害は、猪貫の犯行と断定されます。
そして、2週間後。
猪貫は無実の叫びも聞き入れられないまま、非情にも処刑されてしまいました。
一年後の夏のある暑い日。
馬児がいつものように自宅近くの山へ柴を刈りに行くと、切り株の上に見慣れない着物が畳んで置かれています。
すると、何やら心地よい音が聞こえてきます。耳をすますと、それはそばを流れる沢からのようです。馬児は音のするほうに足を忍ばせました。
すると、沢岸に茂る葦の間から、水浴している女性の姿が見えます。若く、美しい女性です。
馬児は、柴を刈るのも忘れ、しばらくうっとりと眺めていました。亡くなったウシもあんなときがあったのかと思うと、無性にウシが恋しくなってきます。
女性が沢からあがるようです。馬児は慌ててそこを離れ、いつも仕事をしている雑木の中に入っていきます。それからどれくらい時間がたったでしょう。
馬児が枯れ枝を集め雑木の枝を落とし、倒木を手ごろな大きさに切るなどの作業に没頭していると、突然、近くから女性の叫び声が聞こえます。
馬児は急いで声のするほうに駆けつけます。
見ると、さきほどの切り株のそばに、女性が蹲っています。沢で水浴していた若く美しい女性です。
馬児が近寄りますと、マムシが女性の足下から逃げていきます。長さが1メートル近くもある大きなマムシです。どうやら女性はこのマムシに噛まれたようす。マムシはこの辺りでは珍しくありません。
馬児は女性に近寄ると、彼女が手で押さえている左の脹脛の赤味を帯びている箇所をすぐさま指で強くつまみ、毒液をしぼりだしました。
これでいくらかマムシの毒は取り除かれたでしょう。しかし、痛みと腫れはこの先、増していきます。このままにはできません。
馬児は女性に話しかけます。
「お送りします。お住まいはどちらですか?」
すると、女性は沢の上流を指差します。
沢の上流には、まとまった集落はありません。粗末な家が一軒あると聞いているだけです。
馬児はちょっとためらいましたが、女性を背負子に乗せ担ぎ上げると、女性が指差す方角に向かって進みました。
道は沢に沿って続きます。急な登り道です。
と、いきなり、
「すいません。馬児さん」
馬児はびっくりして立ち止まりました。
どうして、彼の名前を知っているのか。彼は女性を知りません。
女性の顔を見ようとすると、
「振り向かないでください……」
女性の体が少し重くなったように感じられます。
「どうして私の名前をご存知なのですか?」
「馬児さんは有名でしょう」
妻を殺害された男として、村中の噂になったことがあります。しかし、それはもう一年も前のことです。
女性は何を言いたいのか。馬児は不気味なものを感じます。
「私、恥ずかしいのですが……」
少し、言いよどんだ後、女性は、
「馬児さんの、赤ちゃんが生みたい……だめですか?」
馬児は驚いて、女性を背負子から下ろしました。
すると、女性は何事もなかったようにすっくと立っています。
「もう、痛くないのですか?」
女性は顔を赤らめながら、
「馬児さんが毒を吸い出してくださったから……」
「吸い出したのじゃないが……」
女性は、いきなり、「うれしいィ」と言うと、背伸びをして馬児の首に両手を回し、馬児の厚い胸板に頬をぴったりと付けました。
馬児は抵抗せず、そのままの姿勢で、
「お名前はなんとおっしゃるのですか?」
「サキ、です」
「サキさん。私にはすでに妻がいます」
「知っています。若くてお美しい奥さまが……」
馬児はほぼ1年前、いとという後添いをもらっています。そのため、村ではあらぬ噂が立っています。
いとは、サキと同じくらいの若さ。馬児とは20才も年下です。しかし、美しさでは、いとはサキに比べるとわずかに劣ります。
「私、きょうだけでいいのです。今夜だけ、馬児さんのお嫁さんに……」
馬児は村いちばんの腕を持つ鍛冶屋ですが、女性から注目されるような男ではありません。そのためか、いとは、馬児にお金で買われたのだと噂されています。
「私の家は、もうすぐです。ご案内します」
サキが前を行きます。
着物の裾から覗くサキのふくらはぎが、馬児の目にまぶしい。馬児は完全に冷静さをなくしています。
自分を振り返る余裕があれば、彼女の狙いが見えたはずなのですが……。
やがて、藁葺きの小さな家が現れ、サキはその家に馬児を招き入れました。
土間があり、馬児が囲炉裏を切った居間にあがると、サキは「こちらでお待ちください」と言って、板戸を開け、隣の間に消えます。
馬児は囲炉裏の前に座ると、部屋の中を見回します。部屋の中は整っているというのでしょうか。
生活臭がほとんどありません。居間の周囲の板壁には、ふだん使う蓑や笠がかけてあるものですが、そういったものもありません。囲炉裏の周りも、円座が二つあるきり。
「お待たせしました」
サキがそう言ってお盆を手に現れ、馬児の向かいに座ります。
馬児はお盆の上を見て驚きました。1丁の鉈です。柄の形に馬児には見覚えがあります。
「それは……」
馬児が言葉を失っていると、サキは笑みを浮かべて、鉈を裏返しにします。
すると、隠れていた柄の反対側が現れました。
『イヌキ』と、武骨な文字が深く彫られています。
「ご推察の通り、私はあなたに殺された猪貫の妹です」
「私に殺された!?」
「そうでしょう。あなたの策略で、兄は人殺しの罪を着せられ、処刑されたのですから」
サキは険しい表情で馬児を見据えます。
「いったい、何の話ですか。私にはわからない。失礼します」
馬児は身の危険を感じ、立ちあがります。
「馬児さん、ここから出ることはできません。表の扉は、一度閉めると開かないように細工がしてあります」
「エッ!」
馬児は慌てて土間に下り、扉に手をかけます。しかし、サキが言った通り、扉はびくともしない。恐らく、猿と呼ばれる落とし錠が巧みに隠されているのでしょう。
馬児は、扉の周囲を探りましたが、仕掛けが見当たりません。扉は分厚い欅(けやき)の一枚板でできており、馬児の体重では歯が立ちそうにありません。
「サキさん! あなたは私をどうするつもりですか。マムシに噛まれたというのは、お芝居だったのですか」
「そうです。あのマムシはあらかじめ毒を抜いておきました。噛まれた跡は、紅で細工をしました」
「沢で水を浴びていたのも……」
「あなたは若い女性にからきし弱い、と聞いたからです」
「私をワナに掛けてどうしようというのですか」
「私は本当のことが知りたいだけです。あなたの奥さまが亡くなられた本当のいきさつです」
「ウシはあなたのお兄さんの鉈で殺された。それだけです。私が知っているのは……」
「馬児さん、ウソは困ります。私がこの一年間、何をしていたと思いますか。あなたはウシさんが亡くなってから、わずか半月後、いまのいとさんと一緒になった。いとさんとは、ウシさんが亡くなる半年前からのつきあいです。違いますか」
馬児の態度が急に変わる。
「そ、それはそうだが……」
サキは、馬児が腰に差している鉈を見つめながら、
「あなたはいとさんと言い交わした。『ウシさえいなければ、すぐにでも一緒になる』と……」
「そんなこと、だれが言ったンだ。いとか!」
「ウシさんを殺したこの鉈は兄のものですが、兄がウシさんを通じてあなたに研ぎを頼んだものでしょう」
「そんなことは知らない」
「ウシさんは洗濯物と一緒に、この鉈を沢から持って帰るところを村の人に見られています」
「それがどうした」
「兄が鉈を持って押し入り、ウシさんを殺したという話はおかしいということです。この鉈は、そのときすでにあなたの家にあったのですから」
「……」
「事件のあった夜、あなたはウシさんと激しい言い争いをした。原因はいとさん。いとさんがその少し前、あなたの家に押しかけてきたからです」
「知らん!」
「いとさんは、『赤子を身ごもった』と言って、あなたに迫った」
「だから、ウシを手にかけたというのか! おれとウシはそんなやわな関係ではない。おまえは若いから仕方ないが、夫婦のあいだは一筋縄ではいかないンだ」
サキは、射るような目で馬児を見つめています。
「第一、いとの話はでたらめだ。あいつは始終、そんなことを言っている。ウシがまともに相手にするわけがない」
「そうでしょうか。ウシさんは息を引き取る間際、あなたに何と言いましたか?」
「それは役人にも話したことだ。ウシは『どうして、おまえに殺されるンだ。猪貫、おまえという男は、ロクデナシだ』と言ったンだ」
「本当にそうでしょうか」
「なにッ!」
「本当は、ウシさんは『どうして、おまえに殺されるンだ。馬児、おまえという男は、ロクデナシだ』。そう言ったンじゃないンですか」
「ナニィ!」
「そのときはだれもそばにいなかった。死人に口なしで、あなたはお役人に、ウシさんは、本当は馬児と言ったのに、猪貫と変えて話した。違いますか」
「だれも知らないことだ。おれしか知らないことだ。でたらめを言うな!」
「あなたはそのことを得意げに、だれかに話しませんでしたか?」
「! それは……」
「あなたはその方に、ほかにもいろいろ話していますね」
「言ってみろ」
「まだ、わからないのですね。あちこちの女性に話したから、だれに、何を話したのか、思い出せない。言ってあげましょうか。あなたはこう言った。『ウシは働き者でいい女だが、ガキができない。ガキが生めない女が、おれの女房では困るンだ』と」
「……」
「しかし、あなたは、いまはいとさんにも飽きて、私のような女に手を出そうとしている」
「飽きたンじゃねえ」
「赤ちゃんができないから、でしょ」
「ウッ……」
「ウシさんとは20年連れ添ってもできなかった。いとさんにも、まだその兆しがない。押しかけたとき赤子ができたと言ったのは、もちろん彼女の作り話。あなたはその後、女性をとっかえ、ひっかえ、オモチャにしている」
「おれはもう年だ。いま作らないと、ガキは育てられない。腕のいい鍛冶屋といわれているが、跡継ぎがいない。せっかくの腕をこどもに伝えたいと思って、何が悪い」
「弟子をとれば、いいでしょ」
「弟子は来ないのだ」
「それは女性の弟子ばかりを待っているから。ウシさんが追い出すンです」
「弟子がこどもを生んでくれたら、おれにはこれ以上のことはない」
「赤ちゃんができない理由で、ウシさんを邪魔にした」
「ウシは事故だったンだ。口論の弾みで、鍛えている最中の鉈に、頭を打ちつけた。それで、猪貫の鉈をそばに置いて。あとは役人がバカ野郎なンだ」
「あなたは、赤ちゃんができないのは、奥さんのせいばかりにしているけれど、あなたはどうなンですか。あなたのせいじゃないンですか」
「どういうことだ!」
「いとさんは、あなたと一緒になる前、こどもを産んでいます」
「本当かッ!」
「死産だったけれど、女の子をね。だから、1年たっても赤ちゃんができないのは、あなたのせいなンです」
「おれが、おれの体が、おかしい、っていうのか」
ガックリと肩を落とす馬児。
「それが自然な考え。あなたは、大バカよ」
馬児、悔しそうに立ちあがると、腰に手をかけ、怖い目をして鉈をスルリと引き抜きます。
「そんなものを出してどうするつもり! 危ないじゃないですか。戸をぶち壊すつもりですか」
馬児は鉈を下げたまま、無言でサキに近付いていきます。
サキは、猪貫の鉈を手に持ち、身構えると、
「それとも、それで私を……」
「おまえに鉈の鍛え方と研ぎ方を教え、おれの弟子にする」
(了)
鉈と弟子 あべせい @abesei
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