第10話

 私と女神様は何もない白い空間に戻ってきた。

 棺には私の亡骸が横たわっている。

 体の修復は進んでいるのか、首に入った赤い線が少し減っていた。


「まだ時間がかかるわ」


 棺の横で佇む私に、人の姿に戻った女神様が話しかけた。

 女神様は私を励まそうと、色んなところに連れて行ってくださる。

 でも……もう私はどこにも行きたくない。


「『終わりの時』まで、私はここにいてはいけないでしょうか」


 そう尋ねると、女神様は苦笑いを見せた。


「……ねえ、エステル。あなたは聖女としての使命のみを果たす日々を送っていたでしょう? 何かやりたいことはなかった?」

「やりたいこと、ですか?」


 決められたことをこなしていく忙しい日々の中で、思ったことといえば……。

 また三人で過ごしたいと願ったことはあったが、それ以外が浮かばない。


「—―すみません。これと言って、特には……」

「そう……。じゃあ、とりあえずお茶にしましょうか」


 女神様がパンパンッと手を叩くと、景色はまたネモフィラの花畑になった。

 爽やかな風と、花の香りが気持ちを落ち着かせてくれる。

 改めて見ても素敵な光景だ。


 今回は、花畑の中にある芝生の広場に立っていた。

 広場の中心には真っ白なテーブルクロスを敷いた丸いテーブルがある。


「エステル。こちらにいらっしゃい」


 対に置かれた椅子の一つを引いた女神様が私を呼ぶ。

 女神様にエスコートされるなんて恐れ多い。

 遠慮したかったのだが、断るのも申し訳ない。

 礼をして座らせて頂いた。


 それを見て満足げに頷いた女神様がパンパンッと手を鳴らすと、テーブルの上に色とりどりのケーキと紅茶が表れた。

 美味しそうであることはもちろん、食器もケーキもすべてが華やかで可愛い。


「すごい……。このケーキを立体的に収納する入れものも素敵です」


 金の鳥かごのようなデザインで、ここにもネモフィラの装飾がついていてお洒落だ。

 一番下には、サンドイッチがある。


「それはケーキスタンド。これはわたくしが人として生きていたときに、自分への豪褒美にしていたオキニのお店のアフタヌーンティーよ」

「オキニ……」

「お気に入り、ね」

「なるほど……」


 向かいの席に腰掛けながら、女神様が説明をしてくれた。

 女神様が大切にしていらっしゃる思い出を共有させて頂けるなんて光栄だ。


「素敵です」

「ふふっ。遠慮しないで食べてね」


 そう言うと、女神様は優雅に紅茶を飲み始めた。

 私も頂こうかと思ったけれど……やはり気が引ける。


「本当によいのでしょうか。そもそも私は幽霊ですが……食べられるのですか?」

「このわたくしが作った空間では、生きていた頃と変わりなく過ごせるわ。フォークも持てるでしょう?」


 女神様が私の前にあるフォークを見ているので持ってみる。

 公爵家の別邸ですり抜けたように、フォークにも触れられないかもしれないかと思ったが……。


「持てました!」


 女神様にその様子を見せると、にっこりと微笑んでくださった。

 あ……フォークをこんな風に持って、行儀が悪かった。


「……失礼しました。こちらを頂くときは、作法やマナーなどはあるのですか?」

「あるけど……気にしないで好きに食べて。でも、ちゃんと零さずに食べるのよ?」


 女神様は私をからかっているのか、小さな子に言い聞かせる母のように笑った。

 少し恥ずかしくなっていると、フォークに刺した苺を前に差し出された。


「ええっと……?」

「苺は嫌いかしら?」

「好き、です」

「よかった。どうぞ、あーん」


 女神様にこんなことまでして頂いてもよいのだろうか。

 熱心に女神様を信仰していた神殿の神官長がこの光景を見たら、卒倒しそうだ。

 苺を差し出したまま、女神様は引く様子がないので、恐縮しながら苺を頂く。


「! 美味しい……」


 こんなに甘くて美味しい苺は初めでびっくりした。


「そうでしょう? 苺はやっぱりあまおうよねえ。さあ、食べましょう」

「はい!」


 神殿での食生活は質素で、甘味をとることはほとんどなかった。

 稀に参加したパーティーなどで頂けることはあったが、こんなに「好きに食べていい」と言われたことはない。

 美味しい……いくらでも食べられる……! 

 夢中になって食べてしまっていたが、にこにこしながら私を見ている女神様に気がついてハッとした。


「す、すみません……はしたないことをしてしまいました」

「ううん、そうやって一緒にもりもり食べてくれると安心するわ」

「安心?」

「わたくしは神だから太ったりはしないんだけれど、こんなにカロリーを取るのは罪悪感がすごいのよねえ」

「確かに、こんなに素晴らしいケーキをたくさん頂くのは罪悪感があります」

「うーん……罪悪感違いだけどまあいいか。とりま、道ずれで爆食かますわよ!」

「? はい!」


 よく分からなかったけれど女神様が気合を入れたので、私も身を引き締めた。

 でも、幽霊だからかそれほどお腹が膨れることはなく――?

 女神様はお腹がいっぱいになり、しばらくケーキはいい……と、遠い目をさていたけれど、私は割と難なくテーブルの上にあるものを残さず食べることができた。


 食後は少し、女神様と花畑を散歩することにした。


「はあ、食べたわね~。なんだかあの雲、ケーキに見えるわ……早く風で散ってくれないかしら」


 そう言ってお腹を押さえる女神様に思わずにこりとしてしまった。


 私もたくさん食べて、花の香りに包まれ……隣には女神様がいる。

 こんなに幸福なことがあるだろうか。

 本当にこのまま逝けたら――。


「ちょっと? またよくないことを考えているわね? 女神の天罰!」

「ふわっ!?」


 急に横腹を人差し指で刺され、びっくりしてしまった。


「す、すみません……」


 ドキドキしながら謝る私を見て、女神様は優しく微笑んでいる。

 私が暗くなっていたから、和ませてくださったのだと悟った。

 女神様は本当に『友人』のように接してくださる。

 ……本当にありがたいことだ。


 女神様は私の『したいこと』を聞いてくださったけれど、私にもできることはないだろうか。


「女神様が『したいこと』ないのでしょうか。私にできることならお手伝いしたいです」


 そう伝えると、女神様はきょとんとしていたが、すぐに目をキラキラさせた。


「なんていい子なの! 死んでいるというのに、わたくしの希望を聞いてくれるなんて!」

「あ……そうです、ね……死んでいる私にできることは、あまりないかも……? 申し訳ありません……」


 思わずそう言うと、女神様はまた天罰だと横腹を刺してきた。

 謝るな、ということらしい。


「じゃあ、手伝って貰える? ――わたくしの天罰祭りを」

「はい! ……って、え? 天罰……祭り……?」

「ええ……」


 女神様は不敵に微笑んでいる……。

 私に対する先ほどの天罰は冗談だったけれど、これは冗談ではなさそうだ。

「女神様が天罰を下す」ということを改めて考えると、その重さに思わず息をのんだ。


「天罰の対象は……」

「王都の神殿」

「!」


 王都の神殿—―。

 そこは私の長年の生活の場所だったところだ。


「エステル。わたくしはあなたに、たくさんの可能性を与えたの。今までの聖女よりもね」


 突然の女神様の告白に驚く。


「そう、なのですか?」

「ええ。それなのに、死なせてしまうなんて……。わたくしの怒りを知って貰いましょう」

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