第9話 (クリスティアン)

 地下牢から出ると、私は王族のみが立ち入ることができる書庫へと向かった。

 カレンは女神ネモフィラに神罰を与えられたが、『聖女』であることは間違いない。

 そして、エステルは生き返らせることができるかもしれない……。

 この二つについて、思い当たることがあるのだ。


「エステル……」


 私達が出会ったのは、お互いまだ子どもだった頃――。

 エステルは聖女として神殿にきたばかりの時だった。


 私の身近にいた子どもは貴族ばかり。

 農民だと聞いて興味湧き、近づいたのが始まりだ。

 エステルは私の周りにいるご令嬢達とはまったく違った。

 まず、纏っている空気が違った。


 私に近づいてくるご令嬢は、身に着けているものや所作もすべてが美しい。

 ……表面上は。

 でも、中身は皆同じ。

 純粋な気持ちで近づいて来る者もいたが、そういった者は排除され、私の周りに残るのは下心を持つものばかりだった。

 だから、そんな者達がいくら着飾っていても美しいとは思えなかった。


 だが、出会った頃のエステルは、髪は痛んでいたし、顔にも日焼けがあったのに『美しい』と思った。

 爪も手もボロボロで生活の苦労が容姿に現れていたが、まっすぐに前を見える姿が凛としていた。

 だが、よく見ると本当は心細いようで微かに体が震えていて……。

 でも、不安を必死に隠し、一人で戦っているような目がかっこいいと思った。

 彼女のことをもっと知りたい――。

 そう思った私は、王子という立場を使い、エステルに会うためよく神殿へ通うようになった。


 私はエステルに好感を抱いたが、やはり周囲から浮いているエステルに対する風当たりは強いようだった。


 『元農民』『マナーをしらない』『美しくない』


 本当にくだらない批判だ。

 幸い仲がよかったアルマスも、エステルを批判するようなつまらない人間ではなかったので、私達はよく三人でいるようになった。


 お互いを高め合えるような、よい友人関係だったと思う。

 ひたむきに頑張るエステルを見ていると、私も頑張らなければいけないと身を引きしめることが多かった。


 だが、そんな中――。

 私は恥ずかしいことに、王子としての重責に耐えられなくなり、エステルに八つ当たりをしてしまったことがあった。


 私の「この国を良くしたい」という言葉に、「クリスティアン様はすごい」と返したエステルに腹が立ってしまったのだ。

 誰もが私にお世辞で「すごい」「素晴らしい」と称えるが、私の何を理解しているのだ、と――。


「何が『すごい』だ」と怒りを見せてしまった私に、エステルは静かに微笑んだ。


「畑を耕していた頃の私は、この国がもっと良くなるといいなと思っていました。ですが、こうして何の因果か聖女の役目を頂いて、自分が良くしなければいけない立場になったことで、それがいかにむずかしいことかを知りました。この重圧に幼い頃から向き合わなければいけなかったクリスティアン様が仰る『この国を良くしたい』と言う言葉に重みがあります。相当の覚悟がなければ、口にはできないと思いました。ですから、『すごい』です」


 エステルは淡々と、自分の言葉の意味を私に教えてくれた。

 お世辞ではないと分かるエステルの言葉は、スッと私の中に入ってきて――。


「私も……クリスティアン様がつくる『良い国』の力になれるように精進いたします」


 私やアルマスでなければ笑っていると分からない、いつものエステルの真顔のような笑顔に救われた。

 それからエステルは、私の中では『友人』以外の意味を持つ大切な存在となった気がする。


 そして時は更に進み、そろそろ私の婚約者を決めなければいけないという話になった。

 父である国王陛下にその話をされたとき、私の頭に浮かんだ女性はエステルだった。

 私には婚約者を決める権利はないだろう。

 だが、エステルの名を言わずにはいられなかった。


「……陛下、エステルはどうでしょうか」


 私の言葉を聞いた瞬間、陛下が顔を顰めたことで、返事を聞かずともすべてを悟った。


「あの子は、聖女だが元は農民だ。今は我々王族と同じ地位を与えられているとはいえ、王家の血を残していく者としては相応しくないだろう」


 ……くだらない。

 そう思ったが、私は抵抗せずに受け入れた。

 抵抗しても無駄なのだ。


 ただ、エステルを取り込んでおきたい思惑はあったようで、王家を支持しているアルマスの家――ヘルレヴィ公爵家に嫁ぐことになった。

 つまり、アルマスとエステルが婚約することになったのだ。


 ……アルマスが羨ましかった。

 でも、エステルが幸せになるならそれでいいと思っていた。

 いずれ夫婦になるアルマスとエステル、そして友人である私という苦しかった関係性が、時が経って落ち着いてきたころに……異世界の聖女、カレンがやって来た。


 この世界にはない知識があること。

『黒髪黒目』などの珍しい特徴があることなどや、異世界人が現れた史実があることを考慮して、異世界人であることが認められた。

 そして、偽造できない女神の紋章があること、癒しの力があることで聖女とも認められた。


 最初は、『エステルではない聖女』ということで興味が湧いた。

 カレンはエステルとは違い、よく喋ってよく笑う女性だった。

 私への好意も積極的に示してきた。


 その頃から、エステルがカレンをいじめているという話を聞くようになった。

 私やアルマスが、新たな聖女であるカレンをサポートすることに嫉妬している……?

 あまり感情を出さないエステルが、アルマス……そして私にも執着があるのかと思うと嬉しくなった。


 歪んでいる自覚はあったが、この喜びを味わっていたくて、私はエステルを庇うようなことはしなかった。


 そんな日々を過ごしている内に、私とカレンとの婚約が進んでいた。

 エステルを妃に迎えることができないのなら……誰でもよかった。

 得体のしれない『異世界人』は未来の王妃になっても許されて、『元農民』が相応しくないとされることに疑問はあったが……。


 そんな不満やエステルへの歪んだ想いが、カレンにつけこまれることになったのだろう。


 カレンに『エステルより私を選ぶ理由が、あなた達の中にあった』と言われたとき、私はすぐに自分の罪を自覚した。


 エステルが処刑されることになった時も、カレンの悪影響はあったのかもしれないが「アルマスと結ばれるくらいなら……」と、そんな考えに支配されていた。


 だが、カレンが青い炎に焼かれたことで、自分を覆っていた靄のようなものが一気に晴れた。

 正気になり、歪んだ想いに突き動かされていた愚かな自分を悔いた。


「もう間違わない。私がエステルを取り戻す。『女神が救った聖女』なら、陛下も妃に迎えることを許してくださるだろう」


 限られた者のみ入ることができる貴重な書物が並んだ書庫に入る。


「確かここに…………あった」


 子どもの頃、この本で読んだこと記憶がある。

 青い花と赤い花と、二人の女神の伝説を――。

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