第8話

「私は幻覚を見ているのかしら……そこに……エステルが……」


 ユリアナ様が驚愕の表情で私を指差す。

 死んだ私が目の前に現れるなんて、驚くだろうし怖いかもしれない。

 申し訳ないが、一言感謝を伝えたい。


「エステルが!? 俺には何も見えませんが……」


 アルマス様もこちらを見ているが、私の姿は見えていないようだ。


「馬鹿息子には可愛いエステルは見せてあげないわ」


 女神様が「ふんっ」と怒っている。

 私もアルマス様と向き合うことにならずにすんでホッとした。

 今更話すことなど、何もないもの……。

 感謝の気持ちを伝えたいユリアナ様をまっすぐに見る。


「ユリアナ様。私を信じてくださってありがとうございます。期待に応えられず、申し訳ありません……」

「やっぱり……エステルの声が聞こえるわ……!」


 ユリアナ様は、再び涙を流しながら私を見ている。

 それを見て、私も涙が込み上げる。


「俺には姿が見えない……声も聞こえない……! でも、何かの気配は……」


「あら、勘はいいのね」


 私がいることは感じている様子のアルマス様に、女神様は感心しているようだ。

 でも、私は気配すら感じて欲しくないと思ってしまう……。


「エステル……本当にあなたなのね……」


 ユリアナ様が優しい微笑みを向けてくださった。


「……はい。女神様のお力を借りて、お話しをさせて頂いております」

「そう……女神様のお力で……」


 私の言葉を聞いて、ユリアナ様はどこか安心したように頷いた。


「今のあなた……とても素敵ね」


 そう言われて、自分がおしゃれをしていることを思い出した。


「こ、これは……女神様が与えてくださいました」


 急に恥ずかしくなって俯いた私に、ユリアナ様は優しく微笑む。


「叶うなら私も……あなたにそういう顔をさせてあげたかったわ」

「そ、そんな……ユリアナ様は、私に贈り物をくださいました」

「私があげたのは、『公爵家に嫁ぐ者に必要なもの』だけよ。女神様のように『あなたを笑顔にできるもの』は、何もあげられなかった」


 寂しい笑顔のユリアナ様を見ると、胸が痛くなる。


「……エステル。あなたは誰よりも立派にやっていたわ。厳しくしてごめんなさい。私は……あなたを本当の娘のように思っています。どうか女神様の元で、安らかに……」


 そう言って涙を流しながら笑顔を見せてくれるユリアナ様を見て、我慢していた涙が零れた。

 私がもっと社交的な人間だったら――。

 ユリアナ様に甘えることができたかもしれない。

 できることなら、私も本当の母娘のように、ユリアナ様と過ごしてみたかった。


 でも……死んでからではあるけれど、ユリアナ様のお気持ちを知ることができてよかった。


「ユリアナ様、お世話になりました」


 ……早く去ろう。

 これ以上ここにいると、『未練』ができてしまうかもしれない。

 そう思った私は、深々とユリアナ様に頭を下げた。


「今までありがとうございました。……さようなら」


 そう言い残し、去ろうとしたところでアルマス様が叫び出した。


「エステル! どうか俺にも姿を見せてくれ!」


 必死な表情で私を探すアルマス様――。

 それを見ていると、私はつらい記憶が蘇ってきた。


『エステル、カレンを突き飛ばしたと聞いた』

『そんな……身に覚えがありません』

『覚えていないほど、君にとっては何でもないことだった、ということか?』

『違います! カレン様を突き飛ばすなど……。そのようなことはしておりません』


 カレンに聖なる魔法を放った時も――。


『私が使った魔法は聖なる魔法です! 危害を与えるものではありません!』

『では、カレンのこのひどい怪我は何なのだ! お前がやったのだろう!』

『そうですが……! カレン様の中に邪悪なものが……!』

『……もう何も言うな。聞きたくない!』


 アルマス様は、生きている私の言葉を聞いてくれなかった。

 信じてくれなかった!

 それなのに、死んでいる私と話がしたいだなんて……!


「今更話して……何の意味があるの?」


 思わずそう零した私は、逃げるように部屋を飛び出した。


「エステル……本当にみんなと『お別れ』でいいの?」


 肩にいる女神様が静かに問う。


「……はい。私はもう、死んだのです」




 ※

(アルマス)



「気配が消えた……!? 母上、エステルは!?」


 母上は俺に背中を向け、再び窓の外に視線を向けた。


「……もう去ったわ」

「そんな……」


 そばにいるのに、一目見ることすら叶わなかった……。

 絶望感に襲われ項垂れる俺に、母上は静かに視線を向けた。


「エステルは『さようなら』と――。別れの挨拶をしていったわ」

「!」


 それは……もう母上の前に現れない、ということか?

 俺の前にも、二度と――。


「でも、エステルはまだ存在しているのですね!? 今ならまだ……! エステルを取り戻せる可能性があるのかもしれない……!」

「……どうかしら。エステルのことは、女神様にしか分からないわ。むやみに希望を抱くのはおやめなさい」

「…………」


『エステルが生き返る』なんて、あるはずがない。

 母上の方が正しいだろう。

 それでも……!


「俺は……もう後悔したくないのです! もう一度エステルと向かい合って……謝りたい……エステルに会いたい……」

「……勝手ね」

「…………っ」


 ……その通りだ。

 つらい状況にいるエステルを見て見ぬふりをして、死なせたあとにこんなことをいうなんて……。

 静かな母上の声に、何も言えない。


「分かっています。でも、少しでもまだ、エステルに会える可能性があるなら……あきらめたくない」


 しばらく黙っていると、母上は「はあ……」とため息をついた。


「あの子に会いたい気持ちは、私も同じです。……私も何か手段はあるのか、調べてみましょう。あなたも好きにしなさい」

「母上っ!」


 思いがけない母上の言葉に喜び、顔をあげたが……。

 母上は厳しい目で俺を見ていた。


「ただ、あなたが犯した過ちの責任はしっかりと取りなさい。エステルがいなくなったことで、この国には試練が与えられるでしょう。それに最も向き合わなければいけないのは、あなたですよ」

「……はい。分かっています」

「神殿に行きなさい。あの子が果たしていたことは、あなたが思っているよりも多いのです。それをあなたの目で見て来なさい」


 神殿――。

 エステルが人生の多くを過ごした場所だ。

 俺が知らないエステルのことを、知ることができるかもしれない。


「分かりました。……母上。エステルは、どのような姿をしていたのですか?」


 姿は見えないが、母上の言葉から、エステルが最後に見たあのひどい姿ではないことが分かった。

 それで俺の罪が減るわけではないが……よかったと思った。


「ネモフィラの花のような水色の素敵なワンピースに、髪も綺麗に結っていて……。とても愛らしかったわ」

「そうですか。……見たかったな」


 記憶の中のエステルは、いつも神殿で与えられている地味な格好をしている。

 だが、同じ神殿にいるカレンは、いつも派手ではないものの綺麗な服装をしていた。

 思い起こせば、カレンとの違いに疑問が湧くところがいくつか出てくる……。

 神殿に行けば、そういった謎も解けるかもしれない――。



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