第7話

 女神様がパンパンと手を叩くと、目の前に立派な姿見の鏡が現れ、私が身に着けている服が一瞬で変化した。


 亡くなる前は囚人用の服だったが、幽霊になってからは普段よく着用していた無地で紺色ワンピースだった。

 それが今まで着たことがないような、水色の可愛らしいデザインのワンピースなった。

 ふわりとしたスカートと、控えめについたレースとリボンの装飾が素敵だ。

 派手過ぎず、可愛らしくも落ち着いた雰囲気で、とても私の好みに合う。


「よかった、気に入ってくれたみたいね。次は、髪まずは髪を下ろして――」


 女神様にまとめていた髪をほどかれ、腰まである長い髪が広がった。


「こんなに綺麗なチョコレート色の髪なのに、本当にもったいない」

「そう、でしょうか。生まれたところでは、よくある髪色ですが……。目の色も……」

「よくあろうがなかろうが、綺麗なものは綺麗なの! キンモクセイみたいなオレンジの瞳も可愛いしね」


 いつの間にかクシを持っていた女神様が、鼻歌まじに私の髪を梳く。

 たくさん褒めて貰い、なんだかくすぐったくなる。

 女神様にこんなことをして頂いてもいいのだろうか。

 心配になってきたが、女神様は楽しそうだ。


「……そうね、ハーフアップにして飾りをつけましょう」


 女神様が器用に髪を編み込みながら、上部の髪をまとめている。

 その仕草も美しくて見惚れてしまう。


「飾りはー……あなたはエステルだから、星をモチーフにしたものにしましょう。こんなのはどうかしら?」


 そう言って見せられたのは、ネモフィラの花と星をモチーフにした飾りがついたリボンだった。


「とても可愛らしいです……」

「でしょう?」


 女神様はごきげんな様子でその飾りを、私の髪につけていく。


「あとは……その足を守ることだけに徹した、何の面白みもない靴は捨てましょうね」


 履いていた黒い靴が、綺麗でおしゃれな白い靴に変わる。

 こんな可愛らしい靴も初めてだ。

 しかも履き心地が良い……。


「まあ、最低限……こんなものでしょう!」


 私越しに鏡を見た女神様が満足げに頷いた。

 ……最低限?

 かつてこんなにおしゃれをしたことはなかった。

 聖女として着飾って貰ったことはあるけれど、こんなに心が躍ったことは初めてだ。


「ありがとうございます。とてもドキドキしています……」

「控えめな笑顔から溢れる照れ、かわゆっ」

「川湯?」


 また、女神語だろうか。

 とにかく、幽霊の身ではあるが、このような素敵な体験をさせて頂いたことにお礼を言いたい。


「こんなによくして頂けるなんて、夢のようです。本当にありがとうございました」


 こんなに幸せな気持ちにして貰って、本当にもう思い残すことはない。


「こらこら。『これで成仏できます』みたいな顔をしているけれど、まだだからね?」

「え?」


 考えていたことを読まれて、どきりとした。


「わたくしはね、あなたに『もうちょっと生きてもいいかも』って、思って欲しいの」

「…………」


 女神様がそう思ってくださっていることは感じていた。

 それでも――。


「……じゃあ、本日のおしゃれはこれくらいにして、良トメに会いにいきましょう。……馬鹿息子もいるようだし」

「馬鹿息子?」


 もしかして、アルマス様のことだろうか。

 そんなことを考えている間に、景色は王都にある公爵家の別邸になっていた。


 立派な絨毯が敷かれた廊下の上に立つ。

 女神様もシマエナガの姿になり、私の肩に戻ってきた。

 邸の中は明かりはついているが暗く、窓の外では雷鳴が轟いている。


 それを眺めていると、二人のメイドが会話しながらやってきた。

 この別邸にはよく来ていたので、私も面識があるメイド達だ。


「あちらこちらに雷が落ちているらしいわよ」

「本当に女神様の天罰かもしれないわね」

「……私達もエステル様に冷たくしてしまったし……罰があたったりしないかしら」

「そうなっても、受け入れるしかないわ」

「……そうね」

 

 確かにこの二人には、昔は普通に接してくれていたのに、カレン様が来てからは、話し掛けても聞こえていないフリをされたこともあった。


「天罰かましておく?」

「……いいえ。かましません」


 女神様の言葉に苦笑いで返す。

 私への態度を悔いてくれているようだったから……もうそれでいい。


「それにしても……花畑は晴天だったのに、天候が悪いですね」

「あの花畑はわたくしが作った場所だから、実際の天候の影響は受けないわ。この国の天候が今、荒れているはあなたがいないからね」

「え?」

「聖女がいないから不安定なの。それに、わたくしは怒っているの」


 女神様は「ぴ!」と可愛らしく怒りを表しているが、私はとても不安になった。


「天候が不安定なのは、いつまで続くのでしょうか」


 私は死んだから、このままいなくなるわけで――。

 そうなるとずっとこの天候……?


「それは……わたくしの機嫌次第ね」


 それを聞いてホッとする。

 女神様次第とはいえ、回復するのならよかった。

 そう思ったのだが……。


「今のところ、わたくしの機嫌がよくなる見込みはないわね」

「そ、そんな……」

「とにかく、トメさんを見に行きましょう。ちょうど馬鹿息子と話しているようよ」


 パタパタと羽ばたいて進み始めた女神様のあとを、慌てて追いかける。

 女神様が先に入ったのはユリアナ様の部屋だ。

 幽霊だから扉は開けなくても通り抜けることができた。


 中に入ると、すぐに窓際に佇む女性に目がいった。


「……ユリアナ様」


 アルマス様と同じ、艶やかな黒髪が素敵だが、体調がすぐれないのか顔色は悪いように見えた。

 以前より、少し痩せたようにも見える。


「母上」


 馬鹿息子とは、やはりアルマス様のことだったようだ。

 アルマス様はユリアナ様に体を向け、まっすぐに立っていた。

 その表情は、とてもつらそうで――。


「俺が間違っていました。エステルは無実です。……申し訳ありませんでした」

「私に謝ってどうするのです。何も意味がありませんよ」


 そう話すユリアナ様の声はとても冷たい。

 アルマス様は、必死に悲しみを堪えているように見える。


「……はい」


 アルマス様は、何か私のことを思っているのだろうか。

 思っていたとしても、何かが変わるわけではないけれど……。

 私はなんだか胸がざわざわした。


「周囲の者がエステルから離れ始めた頃、エステルは時折あそこにいたわ」


 ユリアナ様の視線の先には庭があり、大きな木がある。

 その木の下が、私の心が安らぐ場所だった。

 別邸にきたときは必ず、あの場所で息抜きをさせて貰っていた。


「あの木の下で、あなたとエステル……そしてクリスティアン様は、よく話をしていたわね」

「……はい」


 ……もう、遠い昔のことのように思う。

 三人で楽しく過ごした時間が、私の心の支えだった。


「あの子は……エステルは、弱音を吐かないわ。でも、あの場所にいたのは……あなた達に助けて欲しいという気持ちの表れだったんじゃないかしら」

「…………っ」


 ユリアン様の言葉に、アルマス様は俯いた。

 拳を握り、震えている。

 そんなアルマス様をちらりと見ると、ユリアン様はため息をついた。


「……あなたばかりを責められないわ。私はあの子を救えなかった。生きている間にも、もっとあの子に寄り添うことはできたのに……」

「母上……」

「私は男爵家の娘で、身分のことで苦労することが多かったわ。あの子も聖女ではあるけれど、身分のことで苦労するだろうと……必要以上に厳しくしてしまった……。あの子に必要なのは、厳しさではなかったはずなのに……」


 そう言うと、ユリアナ様は顔を覆って泣き始めてしまった。


 ユリアナ様は元女性騎士で、公爵様とは愛し合って結婚された。

 だが、公爵様はもっと身分が高い女性と婚約する話が出ていたそうで、そのことからユリアナ様はとても苦労されたと聞いている。

 だからこそ、ユリアナ様は身分のことで足元をすくわれないようにと、私に厳しくしてくださったのだろう。

 思い起こせば、ユリアナ様は厳しかったけれど、決して理不尽なことは言わなかった。

 ユリアナ様からの愛情を感じて……私も涙が込み上げてきた。


「ユリアナ様! 信じてくださっていた方がいて……私は嬉しいです! どうか、そんなにご自分を責めないでください!」


 思わずそう叫んだが、幽霊である私の声が届くこともなく――。

 ユリアナ様の嗚咽を聞くことしかできない。


「エステル。彼女には、あなたの気持ちを伝えてあげなさい」

「……女神様?」


 女神様が「ぴっ」と一鳴きすると、私の体がわずかに光った。

 ……何が起きたの?


「…………っ!?」


 ユリアナ様が息をのむ声が聞こえ、そちらを見る。

 すると、私の方を見て目を見開いていた。


「……エステル、なの?」


 もうしかして……私が見えている?


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