退部した後に残るのは……空っぽの自分

日野 冬夜

第1話

 授業が終わり今は放課後。特にすることもない俺はなんとなく屋上に来ていた。そこからはサッカー部が練習しているのが見える。


「………」


 うちの高校はスポーツに力を入れている。スポーツ推薦で全国から優秀な選手を集め、また、推薦が得られなくても自分に自信がある者は一般入試で自分からこの高校に入学してくる。その為うちの高校の大抵の運動部は全国レベルの強豪だ。


 サッカー部ももちろん全国レベル。今は五月で新入部員も入り練習にも気合いが入っている。うちの高校は実力主義。一年生でも実力がある奴は試合に出れるので二、三年生はもちろん一年生も入学早々にレギュラーになってやろうと真面目に練習に取り組んでいる。


 そんな彼らをぼんやりと眺めていると後ろから声をかけられた。


「あいつらみんな怪我すればいいのに…って考えています?」


 声に反応して後ろを振り向く。そこにいたのは170㎝は超えているであろう女子にしては高い身長で黒いショートカットの女子生徒。整った顔をしているがそこに表情は浮かんでおらず、右足には包帯が巻かれ、松葉杖をついていた。


「いや、そんなことは考えていないな」


「それは失礼しました。私が女バスの練習を眺めていたとしたらそう考えると思うので」


 そう無表情で言う彼女の瞳は濁っていた。初対面であろうに何故だかその瞳には見覚えがあった。


(……ああ、鏡を見るたびに見る瞳か)


 ともあれ彼女について考える。初対面だが足の怪我と女バスという単語で誰だかは想像できる。俺の一つ下の二年生で女バスの次期エースと言われていた女子生徒だろう。


 彼女は全国でも上位の選手が集まるこの高校で一年生ながらベンチ入りし、何度も試合に出ては活躍して二年生時にはエースになると期待されていた。だが現在は部活の時間であるにもかかわらずこんな所にいる。


 彼女は俺の隣に来て手すりに寄りかかり、グラウンドで部活に勤しむ人達を眺める。


「……みんな勝手ですよね。エースだなんだと持て囃しておきながら怪我して退部したら知らんぷり。復帰出来る怪我なら違ったかもしれませんが、退部した私にはチームメイトもコーチも友達も目もくれない」


「この学校ならそんなものだ」


 熾烈なレギュラー争いが行われているとはいえ全国でも上位を目指すならチームメイトの仲は大事だ。一丸となるような強固な結び付きの中に脱落者はいらない。


「チームメイト達も勝手なら医者や他の学校の友達なんかも勝手ですよね。まだ若いんだからとか、他にやりたいことを見つければいいとか、人生はこれからだとか」


 その人達は想像できないんだろう。小さい頃から一つのことにひたすらのめり込んでいた人間がそれを取り上げられた時に何が出来るか。


 時間があれば練習していたのだから他に趣味はない。勉強もろくにしてこなかったんだから基礎もままならない。胸に穴が空いたような喪失感を抱えながら新しい人生について考える?なんの拷問だそれは。


 頼れる人もいないし、これからどうしていいか分からない。そんな状態なのだろう。


「そんな訳ですることがなくなった上に孤立してしまった私にこの学校での過ごし方を教えてくれませんか?」


「………」


 俺が彼女のことを知っているように彼女もまた俺のことを知っているのだろう。


 俺もかつては眼下に見えるグラウンドでサッカーボールを追いかけていた。だがそれはもう一年程前のことだ。靭帯を痛めた俺は日常生活ならともかく、この学校の厳しい練習にはついていけない。退部し日々を無為に過ごしてきた。


 そんな俺にアドバイスを求められてもな…。


「……好きにすれば?人ってのは目的なんかなくても惰性で生きていけるものだ」


「……慰めてはくれないんですか?今の私なら簡単に堕ちますよ?」


「そんな弱味につけ込むようなことしても虚しいだけだろ」


 彼女には同情するし、気持ちが分からない訳ではない。なにせ自分も通った道だ。だからこそ彼女も同類と言える俺に声をかけてきたのだろう。


 俺もかつては彼女と同じようにチームメイト全員怪我すればいいのにって考えたし、自分を見捨てた人達やこちらの気持ちも知らずに勝手なことを言う人達を恨んだ。なんで自分だけがこんな目にあうんだと嘆いたりもした。




 でも今は全てがどうでもいい。



 怒って、泣いて、恨んで、後悔して、忘れようとして、新しい生きがいを探そうと思って、だけどできなくて、諦めた。


 今までの人生の大半を注ぎ込んだものをなくしてまた別のものに目を向けれるほど俺は強くなかった。


「バスケに代わるもの、見つかるといいな?」


「代わりなんてっ…!」


 そう挑発するように言ってやると今までの無表情はどこへやら。怒りに満ちた表情で俺を睨みつけるがすぐに鎮静化してしまう。


「代わり…なんて…」


 先程と同じセリフだが声に力が無い。そうだよなぁ。そう簡単に切り替えられないよなぁ。個人的には見捨てたチームメイトやコーチより何か新しいものを見つければいいって慰めてくる連中に腹が立った。


「っ!失礼します!」


 俺から顔を逸らすようにしてそう言った彼女は屋上を後にしようとする。怒りのためか悲しみのためかは知らないが松葉杖をついて歩く彼女の歩みは乱れている。いらん世話かも知れないが俺の所為なので一応声をかける。


「階段は気をつけて降りろよ」


「分かってます!」


 いや、分かってないだろ。念の為彼女の後を着いていく。案の定階段の中頃で彼女はバランスを崩した。慌てて近づいて落ちようとする彼女を助けようとするも俺も一緒に落ちてしまう。


 ダッセエ…。彼女の下敷きになるくらいしか俺には出来なかった。クッションのほうが優秀じゃね?


「あ、ありがとうございます…」


 自分の存在意義について考えているとお礼を言われた。


「俺が原因みたいなものだから気にするな。怪我はないか?」


「大丈夫です。ですのでその…手を離していただけると…」


「ん?」


 彼女の言葉を聞いて自分の手を見れば彼女の胸を鷲掴みにしていた。階段から落ちていく彼女を抱きとめるように体に手をまわしたが、まさかそんな部分を掴むとは。どこぞのラブコメかよ…。


「こいつは失礼。ワザとではないので通報はやめてくれ」


 謝りつつ手を離し、床に寝たままホールドアップ。


「…なんか随分あっさりしてますね?もう少し慌ててみたらどうですか?」


 そんな俺の反応が不満なのか彼女が面倒くさいことを言い出した。どうしろってんだよ。


 思わず溜め息が出る。情緒不安定だな。


「なに人の胸を触っておいて溜め息を吐いてるんですか。ガッカリしたんですか?確かに私の胸は控えめですけど」


 俺が溜め息を吐いたのを別の意味で捉えたのか彼女が捲し立ててくる。そんなこと思っていませんが?それよりいい加減俺の上からどいてくれないかな?


「いいじゃないですか胸が控えめでも。むしろ控えめでよかったですよ。肩が凝ったりもしないし、視線を向けられたりしないし、なによりもバスケする時に邪魔になら…ない…し…」


 俺の反応をよそに捲し立てていた彼女の言葉が尻すぼみになっていく。


「まあもう私には関係のない話ですけど…。今から大きくなってくれても問題は…ない…し…」


 自分で地雷を踏んだ彼女は俺に顔を見せないように俺の胸に顔を埋める。体を震わせている彼女が顔を埋めている部分が湿ってくるが好きにさせてやる。というか話題が話題なので下手なことが言えん。


 階段の踊り場で仰向けのまま手を上げている俺とその上で嗚咽を漏らす彼女。側から見れば一体どんな状況だ?と首を傾げるだろう。






「ご迷惑をおかけしました…」


「ああ」


 しばらくして落ち着いた彼女が立ち上がろうとするがケガの為か上手くいかず、結局彼女の下からなんとか抜け出した俺が立ち上がらせてやった。


「足は大丈夫か?」


「ええ、先輩が庇ってくれたので今以上の悪化はしていないと思います。ありがとうございました」


「ならよかった。これからは感情が荒ぶってても階段を移動する時は気をつけろよ」


 感情を乱すようなことを言ったのは俺なのにどの口が言ってるんだ。


 そう自分を嘲笑いながら彼女と別れた。彼女が同類の俺に慰めてもらおうと思ったのかは知らないが、アテが外れたのだからもう関わることもないだろう。





_______________________________





「またここにいたんですね」


 そう思ってたが一ヵ月程経ったある日、彼女はまた屋上にやってきた。足には相変わらず包帯が巻かれ、松葉杖もついている。


「……やっぱり未練があるんですか?」


 前の時と同じようにグラウンドを眺めていた俺の隣にやってきた彼女が問いかけてくる。確かにこんな風にグラウンドを眺めていればそう思われるかもしれないが別にそんなことはない。


「そんなことはない。あそこで練習してるのが野球部だったとしても同じように眺めてたさ」


 ただなんとなくここにいるだけなので屋上から眺めることに意味なんてない。未練なんてものはとっくに断ち切れている。


「そうですか…」


「………」


「………」


 そう彼女が言ってから俺達はしばらく無言で佇んでいた。どれだけそうしていたか、やがて彼女が口を開いた。


「この一ヶ月いろいろ新しいことに手を出してみました。足の怪我がまだ治ってないので体を使うものには手を出してませんが」


「そうか」


「ネットで一般的な高校生の生活を検索してその通りにしてみたり、流行っているものを片っ端から試してみたり、今更授業についていけるように勉強してみたり」


「何かしっくりくるものはあったか?」


「いいえ」



 端的な返答。



「それなりに楽しめるものは多かったですよ?一部何が楽しいのか理解出来ないものもありましたが」


「趣味なんてそんなものだろ。好きな奴以外から見ればなんでそんなに熱中できるのか分からないものさ」


「私にとってのバスケもそうだったんでしょうね」


「だろうな」


「そこで平然と返す先輩はすごいですね」


 自分でキラーパスを放ってきたくせに何を言う。普通は返答に困るのかもしれないが俺は気を遣ってやるほど優しくない。


「何をしてても心の底から楽しめないというか、夢中になれないと言うか…。楽しんではいるんですけど冷めてる自分がいるんですよね」


「その感覚は分かるなぁ」


 俺も経験したものだ。あとは夢中になってたとしても唐突に冷めたりもする。なにやってんだろ俺…って感じで。


「軽く試しただけの私がこんなこと言うのは本気で好きな人達に悪いとは思うんですけどね」


「そう思えるだけ上等だろ」


「………」


「………」


 再びの沈黙。俺達は風に吹かれながら並んでグラウンドを眺めていた。


「……なんかいろいろどうでもよくなってきちゃいました」


「そうか」


「もしここから飛び降りたらどうなりますかね?」


「明日の新聞やニュースを賑やかすだろう。女バスは大会参加を自粛するかもしれないし、他の部活にも影響があるかもな。そして屋上は立ち入り禁止になり俺がこうしてここから景色を眺めるのも今日が最後になるわけだ」


「マジレスされるとは…。さては先輩も考えたことありますね?」


「まあな」


 死のうと思ったことはある。だが結局は惰性で生きている。


「……一緒に死んでって言ったら死んでくれます?」


「……いいぞ」


「……聞いといてあれですけどいいんですか?」


「惰性で生きているだけだしな。理由がないから生きているだけで」


 理由があるなら別に死んでも構わない。同類な可愛い後輩に一緒に死んでって言われたりとかな。


「………」


 黙って考え込んでしまった彼女は何を思うのか。勢いで言っただけなのか、止めて欲しかったのか、少なくとも本気で今すぐここで死のうと思った訳ではないだろう。だが俺が肯定したことで本気になるかもしれない。


「まあ今すぐ死ぬこともないだろ。どうせ時間は無駄にある」


「そうですね…とりあえずまだやってみようと思ってたことはありますし」


 そう言った彼女は何故か俺の腕を掴む。


「先輩も暇なんですよね?ならちょっと付き合って下さい」


「なんで俺が…」


「女一人じゃ入り辛いお店もあるんですよ。今の私には一緒に行ってくれそうな人はいませんし」


「………」


 なんともまあ返答に困る物言いだ。


「さあ行きますよ」


 そう言って腕を引っ張る彼女に溜め息一つ。まだ返事してないんだけど。





_________________________________






 それから毎日のように彼女に引っ張り回された。彼女が松葉杖なしで歩けるようになったら遠出もするようになった。時には学校をサボってまで。


「平日の昼間に県外まで来るなんて悪いことしてるみたいでドキドキしますね」


「世間一般的には普通に悪いことだろ」


「これで私達も立派な不良ですかね?」


「俺は付き合わされてるだけなんだがなぁ」


「着いてきている時点で言い訳できませんよ」


 ごもっとも。同級生達は数学の時間だろうか?真面目に先生の話を聞いたり、諦めて寝ている生徒達とは違って俺は後輩と海を眺めている。


「………」


「………」


 水平線付近に見えるのは漁船か?潮の香りのする風が体に吹き付け、遠くからはうみねこの鳴き声が聞こえる。海にいることを全身で感じる。


 あとは海の水でも舐めれば五感をコンプリートだな、とどうでもいいことを考えていると腕を引かれた。


「先輩、せっかくですから海に入ってみましょうよ」


「水着なんて持ってきてないぞ」


「別に泳ぐつもりはありませんよ。靴を脱いで浅瀬を歩くくらいでいいんです」


「それならいいか」


 二人揃って靴を脱ぎ、ズボンを捲って海に入る。足に感じる波は思っていたよりも冷たかった。シーズン前だからか、単に平日の真昼間だからか俺達以外誰もいない浜辺を並んで歩く。


「なんかこうして他に誰もいない浜辺を歩いていると世界に私達しかいないような気がしてきますね」


「この辺は道路から離れているせいか波の音とうみねこの鳴き声しか聞こえないしな」


 砂浜に足跡を残しながら歩いていく。もっともその足跡は寄せては帰る波によってすぐに消されてしまうのだが。


 まるで俺達が部活をしていた過去のように。






____________________





「ごゆっくりどうぞ」


「…どうも」


「…ありがとうございます」


 女将さん?に案内された部屋に入ると彼女はさっさと戻って行ってしまった。残されたのは気まずげに立ち尽くす俺と後輩。どうしてこうなった?


「…とりあえず座りましょうか、先輩」


「…ああ」


 先に動き出した後輩に続き座布団に座る。ついでにちゃぶ台の上にあった緑茶を淹れる。


「ほれ」


「ありがとうございます」


 後輩にも緑茶を渡してやり、自分の分を飲む。


「あつっ⁉︎」


「ふふっ…」


 淹れたばかりの緑茶は熱かった。ふーふーと冷ましていた後輩に笑われる始末。子供みたいで恥ずかしい。


「…民宿があって助かったな。危うく野宿するはめになるとこだった」


「そうですね、猫舌の先輩」


「スルーしてくれ…」


 何事もなかったかのように話しかけたがニヤニヤと笑いながら揶揄ってきた。いい性格してやがる。


 本来なら日帰りの予定だったがせっかく県外まで来たんだからと寄り道しまくっていたらいつの間にか日が暮れていた。そろそろまずいと思って帰ろうとしたのだが途中で事故があったらしく電車が止まった。まだ家までは遠く、いつ動くか分からない電車を待っていても家まで辿り着けるか分からなかったので見知らぬ駅で降りた。


 タクシーで帰ると料金が凄いことになりそうなので宿を探したが近くに満喫なんかはなく、なんとか宿を見つけることは出来たが寄り道等で金を使い過ぎて二人の財布の中身を出し合っても一部屋しか借りれなかった。


「今更だが同じ部屋でよかったのか?」


「何回も言いましたけど一部屋しか借りられなかったんだからしょうがないじゃないですか。先輩だけ野宿させる訳にもいかないでしょう?」


「いや、お前が野宿するっていう手もあるが」


「同じ部屋に泊まるより酷いこと言ってますよ」


 ちょっとふざけたらジト目で睨まれた。流石に冗談ですよ?


「まったく、これだから先輩は…」


 溜め息を吐きお茶をチビチビ飲み出す後輩。出会った頃より俺の扱いが雑になってきている。俺に慣れたのか、多少なりとも心を開いたのか。もしくは舐められているのか。


 出会った頃に比べれば随分と感情豊かに見える。本来の彼女はこんな感じだったんだろうな。相変わらず目は濁っているが。


 飯食って風呂入って枕投げして汗かいたからもう一度風呂入ってそろそろ寝るかとそれぞれ布団に入り電気を消した。


「……先輩まだ起きてます?」


「寝てる」


「起きてるじゃないですか」


 電気を消してしばらくしたら後輩が話しかけてきた。


「先輩って退部した後もサッカー部の大会結果って気にしたりしてました?」


「突然どうした?」


「実は今日女バスの地区大会があったんですよね。スマホで調べたらウチの学校は地区大会を突破したみたいです」


「そうなのか?流石と言うべきか」


「そうですけど退部する前ならともかく今の私は素直に喜べないんですよね。人から見たら私の心が狭いって言われそうですけど」


「お前からしたらそう思うのもしょうがないだろ」


「そう言ってもらえると多少は気が楽になりますね」


 そう言ったあと彼女は何かを堪えるように黙ってしまった。暗闇の中で彼女がどのような表情をしているか俺には見えない。ややあって再び彼女が口を開いた。


「……次期エースって言われていた私がいなくても勝てるんですね」


「………」


「自惚れてたなぁ…」


 女バスにとって次期エースが抜けるのは痛手ではあっただろう。だがウチの学校の選手層は厚いのだ。彼女の代わりにエースと呼ばれる人間が出てくるくらいには。


「私っていてもいなくても大差ない程度の存在だったんだと現実を突きつけられましたよ」


 その気持ちは俺にも理解できる。俺もかつてはレギュラーだったが退部した後に俺のポジションに別の人間が入ってなんの問題もなく試合をしているのを見た。俺の代わりなどいくらでもいるのだとその時に悟った。


「私達似た者同士ですね」


 そう言う彼女の言葉には力がなかった。そのまま黙ってしまったので寝ようとしているのかと思い、俺も目を閉じる。だが少しして物音がしたかと思うと何故か俺の布団に後輩が潜り込んできた。


「……なにしてるんだ?」


「傷心の私を慰めてほしくて。そして先輩を慰めたくて」


 そう言いながら覆い被さってきて俺と目を合わせる彼女の目は暗闇のせいか普段より濁って見えた。


「俺は慰めなんていらないし、お前を慰めるのも荷が重い」


「じゃあ傷の舐め合いでいいですよ。同類同士惨めに戯れましょう」


 その言い草に苦笑。挫折した俺達にはそういうのがお似合いか。


後輩の濁った目がさらに近づいてくるのを眺めつつ、俺に覆い被さる彼女の体を抱きしめた。










「パッと思いつく死ぬ前にやりたかったことはこれで全部ですね」


 俺の腕を枕にしつつ後輩がそんなことを言う。


「やりたいこともなくなったしそろそろ死にますか」


「…もう満足か?」


「ええ、ここまで付き合ってくれてありがとうございました。退部した時は絶望しましたが先輩に出会ってからの日々は結構楽しかったですよ」


「俺も日々をただ無為に過ごすよりは楽しかったよ」


「それなら連れ回した甲斐がありましたね」


 そう言ってクスクス笑う後輩。


「死ぬならやっぱり学校の屋上から飛び降りてですかね」


「なにがやっぱりなのか分からんがそれでいいんじゃねぇの?俺はどこでもいいしな」


「……先輩も一緒に死んでくれるんですか?」


「えっ?なに?一人で死ぬつもりだったの?」


 前に一緒に死んでって言ってたじゃん。


「まさか本当に一緒に死んでくれるつもりだったとは。死ぬ前の思い出作りに付き合ってくれているだけだと思っていました」


「それも間違いじゃないけどな」


 このままダラダラ生き続けようがとっとと死んでしまおうがどっちでもよかった。


「それじゃあ学校の屋上で決定で」


「ああ」


 軽く言う後輩に俺も軽く返した。






___________________________________




「屋上、閉鎖されちゃいましたね」


 飛び降り自殺をしようと学校に来てみれば屋上が閉鎖されていた。


「タイミングが良いのか悪いのか。学校側からすれば間違いなく良かったんだろうけど」


 本来なら屋上は立入禁止だったらしい。鍵をかけていたはずなのに何度も屋上に人がいるのを目撃され、問題視されたみたいだ。鍵なんてとっくの昔に壊されていたというのに。今は新しくなった鍵がかけられている。


「鍵を壊したのって先輩ですか?」


「さあ?俺だったかもしれないし、俺じゃないかもしれない」


「どっちなんですか…」


 正直よく覚えていない。屋上に出入りするようになったのは退部してすぐの時で気持ちが荒れていたからな。気にもしていなかった。元々壊れていた気もするし、俺が八つ当たりで壊したような気もする。屋上で目撃されたのは大半が俺だろうけど。


「あ〜あっ。せっかく屋上から飛び降りて死のうと思ったのに出来なくなっちゃったじゃないですか。どうしてくれるんです?」


「俺のせいかよ」


「屋上が封鎖された原因って先輩じゃないですか」


「俺だけじゃないだろ。お前や他の奴も屋上に出入りしてたじゃないか」


「私はここ最近だけですー。一年以上出入りしていた先輩に責任があると思います」


「一年以上出入りしていたのに今更閉鎖されたんだから最近出入りしている奴に原因があるのでは?」


 ああだこうだと責任を押し付けあう。


「んで屋上から一緒に飛び降りることは出来なくなったがどうする?別の所から飛び降りてみるか?」


「……それはなんか違うというか、負けた気がするというか。しっくりこないですね」


「心中するのにしっくりくるとかあるのか?」


 まあ屋上から飛び降りるつもりで学校に来たのに屋上が閉鎖されていたら梯子を外されたような気にはなったが。


「……はあ。自殺しようとした場所が自殺しようとした日に閉鎖されるなんてもう少し生きてみろっていう啓示なんですかね」


「なんだ?もう少し生きてみようとでも思ったか?」


「そうですね。自殺しようとしたのも勢いですし。正直どっちでもよかったというか」


 俺も彼女も何が何でも死にたかったという訳ではない。生きることに未練がある訳ではないけど今すぐ死にたいほど苦しい訳でもないというどっち付かずの状態。死ぬほうに天秤が傾いていたけど梯子を外されてまた釣り合った。


「まあもう少し生きてみますか。また死にたくなったら死ねばいいだけです」


「そうだな。どうせ時間は無駄にある」


 天秤は釣り合っただけなのでまた傾く時が来るかもしれない。それがいつ来るかは分からないし、また今日みたいに元に戻るかもしれないが。


「とりあえず今日は何をしましょうかね先輩。やりたいことは大体やってしまいましたが」


「まだ俺を付き合わせる気か?」


「何を言っているんですか」


 呆れた表情で溜め息を吐いた後輩は俺の腕を引きつつ学校の外へ向かおうとする。どうやら本日も俺と後輩はサボりみたいだ。


「先輩が一緒に死んでくれるって言ったんですよ?その時が近い将来か私がおばあちゃんになってからかは分かりませんが最後まで付き合ってもらいます」


「……早まったか?」


「こんな可愛い後輩に最後の時まで一緒にいてくれって言われてるのに失礼な先輩ですね」


「言葉通りなら映画とかで見るような情熱的なセリフなんだけどな」


「ふふっ。いつか死ぬその時までよろしくお願いしますね、先輩」



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退部した後に残るのは……空っぽの自分 日野 冬夜 @CELL

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