第3話 ランチタイム
斎藤さんの下着チェックが終わると、斎藤さんの後ろに立った。
事務の補佐と言っても僕に与えられた仕事といえば、一昔前のOLのように、お茶くみとコピーなどの雑用しかない。
支給されたヒールが5cmあるパンプスで立ち続けるのは肉体的にもつらいが、あわただしく働くみんなを見ながら何もすることなく立ち続けるのは精神的にもつらい。
むしろ乱暴な口調でも「お茶、お代わり」と言われた方が、やることがある分だけありがたく感じる。
時計の針が11時を過ぎたところで、僕は伝票のチェックをしている斎藤さんに声をかけた。
「仕事中すみません。斎藤さん、お昼はどうします」
「そうね、エイトイレブンの照り焼きチキン弁当がいいかな」
「あ~、私、ほっと弁当の唐揚げ弁当」
「佐藤さん、また唐揚げ太るよ。私は、モーソンのチキン南蛮弁当」
「井上さんも人のこと言えないじゃないですか?奨吾、私は交差点のところにあるパン屋さんのベーグルサンドね」
「じゃ、やっぱり私、高松うどんの野菜サラダうどんテイクアウトで」
毎日ワザとのように、それぞれ違うお店のお弁当を指定してくる。聞き返すと怒られて怒られるため、必死にメモをとっていると社長室からひょっこり社長が顔を出した。
「あっ、お昼?う~ん、午後から大事な商談控えているから、がっつり食べておきたいから、私は久しぶり松牛亭のステーキ弁当ね」
よりよって社長は、このオフィスからかなり距離のあるお店のお弁当を注文してきた。
すぐに時刻を確認するが、12時までギリギリになりそうだ。
「あっ、はい。牛ステーキ弁当一つ、テイクアウトで、今から行きます」
あわててオフィスをでると、テイクアウトの弁当の注文の電話を歩きながらすませる。弁当ができるまでの間に恵梨香が注文したベーグルサンドを買うため、パン屋に入るとすでに混雑し始めていた。
混雑する店内を回り、ベーグルサンドを二つ手に取ると会計の列に並んだ。
「あれって、噂の……」
「多分、そうだよ。名札見た?」
「奨吾だった。本当に男だよ」
会計待ちの列に待っている間、後ろにいる女性二人組の会話が漏れ聞こえてくる。
居たたまれなく逃げ出したい衝動に駆られるが、ここのベーグルサンドを買ってこないと恵梨香に怒られてしまう。
買いに行った先々で男であることがバレて恥ずかしい気持ちになりながらも、注文された弁当を買って回り、オフィスに戻ってきた時には12時を過ぎていた。
「遅い、何時だと思ってるの!」
12時を過ぎたといっても5分少々過ぎただけなのに、帰ってきた僕の姿をみた井上さんの罵声が飛んだ。
「申し訳ありません。斎藤さんの照り焼きチキン弁当が売り切れで、離れたコンビニまで行っていたら遅くなりました」
「えっ、何?私が悪いって言うの?」
「いや、その……、いや、私が悪いです」
「悪いと思うなら昼休みの間、そこに立ってなさい」
斎藤さんに怒られた僕はフロアの真ん中全体が見渡せる場所に、水の入ったバケツを持たされて立たされた。
社長も含め5人全員仲良くお昼ご飯を食べている様子を、空腹を感じているのに立ったまま眺めているのは精神的に辛いものがある。
「奨吾、お腹すいたでしょ。私のベーグルサンド、一口あげようか?」
恵梨香が4分の1ぐらい残ったベーグルサンドを手に近づいてきた。その不敵な笑みから、何か悪だくみをしているのは想像できるが抵抗する権利は僕にはない。
両手はバケツでふさがっているので、彼女が目の前に差し出しているベーグルサンドを覚悟を決めて口に入れた。
「あ~ん」
「ん!」
ベーグルサンドを口に入れた瞬間、口の中に激しい痛みを感じた。
「あら、美味しくないの?私が作ってあげたハバネロサンドだけど」
恵梨香の手には「激辛ハバネロ入りタバスコソース」と書かれた小瓶が握られていた。
「まさか、私が作ってあげたサンド、吐き出したりしないよね」
小悪魔な笑みを浮かべる恵梨香には逆らえず、他の4人も愉快なショーを見るように見守る中、必死の思いで呑み込んだ。
「味はどうだった?」
「美味しかったです」
「そう、良かった。お代わりあるよ。辛いの好きなら、ハバネロ増量しておくね」
恵梨香は嬉しそうにベーグルにハバネロソースを振りかけた。
そして真っ赤になったベーグルサンドを、涙目の僕の目の前に突き出した。
◇ ◇ ◇
みんなにとっては楽しく、僕にとっては地獄のような昼休みも終わり、両手に持っていたバケツをようやく降ろすことができた。
自分の弁当を買う余裕はなかったので、みんなのお弁当のから容器を回収したとき残っていたステーキの脂身を口に入れただけだ。
午後も再び斎藤さんの後ろに立ちながら、仕事が来るのを待ち続ける。
昼間から立ちっぱなしでそろそろ足に疲れがたまってきた時、恵梨香がちかづいてきた。
「奨吾、机の中から名刺がいっぱい出てきたから、整理してくれる?」
「はい」
「じゃ、ノートパソコン貸してあげるから、名刺に書かれてある会社名とか担当者名入力して」
彼女は僕にノートパソコンと名刺の束を渡した。作業しようにもこのオフィスにはデスクは4台しかない。
「あっ、ここ使っていいよ」
彼女が指さしたのは、彼女のデスクの横に置かれてある段ボールだった。これを机代わりに使えと言っているようだ。
タイトスカートのため胡坐をかくこともできず正座して、段ボールの上に置かれたノートパソコンに名刺のデータを入力していく。
フロアに直に正座するのは、かなり堪えるが文句を言えるはずもなく、早く終わらせるために黙々と入力を続けた。
「昼からずっと立ちっぱなしだったから、きつかったでしょ。座らせてあげる私って、優しいでしょ?」
彼女の文字通り見下した視線が僕に突き刺さった。
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