第2話 1か月後
午前6時まだ眠たい目をこすり、目を覚ました僕は朝の洗顔や朝食を手早く済ませるとメイクに取り掛かった。
失業期間中は毎日昼過ぎまで寝ていたので、入社してひと月が経つがまだこの早起き生活になれない。
メイクまでは強制されていないが、スカートの制服にすっぴんで通勤するのは逆に目立ってしまう。目立たずモブに紛れるための迷彩として、メイクは必要だった。
メイク道具は100均でそろえ、やり方はネット動画を毎日見て練習はしているが、一向に上達しない。
現に今も、アイメイクが右と左で微妙に違っているのが気になってしまい、やり直している。
気が付けばメイクを始めて1時間が過ぎていた。最後のリップを塗りながら、不器用な自分と、男なのにメイクするようになってしまった境遇に情けなさを覚えた。
午前8時、名札の裏に入ったIDカードでセキュリティシステムを解除すると、まあ誰も来ておらず静かで暗いオフィスへと入った。
照明をつけると、掃除に取り掛かるためロッカーから箒と雑巾を取り出した。
掃除機やモップといった便利な掃除道具は以前はあったらしいが、僕が入社すると経費削減ということでなくなった。
まず箒でフロア全体を履き掃除をした後、雑巾で机、窓、書類棚、そして最後に床と磨いていく。5人程度の事務所とはいえ、一人で掃除するには結構広い。
床を雑巾がけしているときに、営業担当の井上さんが出勤してきた。
「おはようございます」
雑巾がけの手を止め立ち上がって挨拶をしたが、井上さんは挨拶を返すことなくキャビネットの隅を指で触り始めた。
指にホコリがつくのを確認すると、その指を僕の目の前に突き出した。
「ほら、ここホコリがたまってる。どこ見て掃除してるの」
「申し訳ありません」
頭を下げ謝った後顔を上げると、井上さんのビンタが飛んできた。
大学までバレー部だったらしい彼女のビンタは強力で、意識が飛びそうになる。
「ご、ご指導、あ、ありがとうございます」
女性に叩かれたのにお礼を言うという屈辱的なシチュエーションに、半泣きを通り越して本泣きになってしまいそうになる。
泣いてばかりはいられないので、掃除を続けるが終わらないうちに、もう一人の営業担当の佐藤さんが出勤してきた。
「まだ、掃除やってるの、このクズ」
まだ掃除が終わらず床を雑巾がけしている僕のお尻を躊躇なく蹴り上げた。
高校時代、女子サッカーでインターハイに行ったことのあるという彼女の蹴りは強烈で、僕は思わずお尻を抑えて転げまわってしまう。
ようやく掃除を終えたころ、僕の直属の上司である事務担当の斎藤さんにつづいて社長と恵梨香が出勤してきた。
二人には怒られたが、他の3人に怒られずに掃除を終えることにホッとしていると朝礼が始まった。
朝礼が終わると仕事を始める他のスタッフを横目で見ながら、僕は給湯室へと向かいお茶の準備を始めた。
社長はブルーマウンテンのブラック、恵梨香はアールグレイのミルクティー、井上さんは温めの濃い緑茶などと各自好みの飲みのもの準備に入る。
5人が5人とも違うので、準備するのも一苦労だ。
そうして入れた飲み物をお盆にのせ、それぞれのデスクまで届ける。
慣れないヒールのある靴でバランスを崩しそうになるが、一度こぼしたときは「もったいないから、飲んでしまいなさい」と言われ、床にこぼれたコーヒーを拭いたぞうきんのしぼり汁を飲ませれたので、こぼさないように慎重な足取りで配って回る。
社長に続き、年配の順に井上さん、佐藤さん、恵梨香、斎藤さんの順で配り終えると、恵梨香が眉間にしわを寄せて怪訝な表情を浮かべているのが目に入った。
「奨吾!」
厳しい口調で呼び出された僕は、急いで恵梨香のもとへと向かった。
「これ、アールグレイじゃないよね」
「申し訳ありません。アールグレイが切れていて……」
恵梨香用のアールグレイの茶葉を切らしていて、代わりに来客用のダージリンの茶葉で淹れたのがバレたようだ。
「謝るときって、立ったままでいいの?」
大きな声で怒鳴られるわけではなく淡々と冷酷な口調で責めてくる恵梨香のまえに、床に膝と手をつき僕は土下座をした。
「ねえ、奨吾知ってる?ティーソーサーって、熱い紅茶をさますためにカップに添えられているんだよ」
彼女はそう言いながら、カップからティーソーサーにミルクティーを移し替えると、土下座している僕の目の前にそっと置いた。
「私ダージリン嫌いだから、奨吾が飲みなよ」
僕はティーソーサーを手に取り、皿に口を付けた瞬間恵梨香からストップがかかった。
「誰が、土下座やめて良いって言った?」
「申し訳ありません」
僕は床に手をつけたまま、犬のように皿をなめながらミルクティーを飲み始めた。
そんな僕を恵梨香や他の社員は冷酷な笑みを浮かべてみていた。
ミルクティーを飲み終えると、「今日はコーヒーで許しあげる」という恵梨香にコーヒーを淹れた後、直属の上司に当たる事務担当の斎藤さんのもとへと向かった。
「斎藤さん、お願いします」
斎藤さんは、ため息をつきながらクリップボードを手に取った。
高卒で入社2年目という彼女は僕より7つも年下だが、初日に「若いね」と言ったところ、「会社では先輩なんですから、ため口はやめろ」と柔道黒帯という彼女の締め技で失神させれた。
それ以来敬語で話しかけるようにしている。
僕はブラウスのボタンを外しブラジャーを見せた後、スカートをめくりあげてショーツを斎藤さんに見せた。
「今日は、ピンクと」
下着も制服ということで、毎朝斎藤さんのチェックを受けるように社長に言われていた。
クリップボードに「ピンク」と下着の色を書き込むと、うんざりした表情で僕を見た。
「毎日、毎日、仕事とはいえ男の下着チェックするこっちの身にもなってよ」
「申し訳ないです」
「わかってるだったら3種類のローテンションはやめて、他の下着買ってきて飽きさせないようにしてよ。ちょうど明日休みだから買っておいで」
「えっ、女性用の下着、僕が買うんですか?」
「当たり前よ。自分の下着ぐらい、自分で買ってきなさい。イヤならいいのよ、毎日男性の下半身見せられてますって、セクハラで訴えるだけだから」
社内カースト最底辺の僕は、まだあどけなさの残る20歳の斎藤さんの言うことを黙って聞くしかなかった。
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