青空
ことし最後の太陽が、西の山並みから真っ赤な顔を出した、大体その頃。
隣町の駅に両親を送り届けると、その足でファーストフード店へと向かった。
ガラ空きの店内で朝食を取りながら、持ち帰っていた簡単な仕事に手を付ける。
そうこうしているうちに、彼女と約束した時間までおおよそ三十分と、ちょうどいい頃合いになっていた。
道すがらで必要なものを買い揃え、時間ぴったりに待ち合わせ場所に到着する。
少ししてやってきた彼女を助手席に乗せ、黒い塗装面に真冬の青空を映しながら走ること、ざっくり五分。
「運転お疲れさまでした。それにしてもすごくよく晴れましたね」
それは本当にそのとおりで、この冬で一番といっていいような晴天だった。
後部座席に置いてあった荷物を左手に持つと、空いていたもう片方の腕に彼女が取り付いてくる。
「あっちです!」
小さな体に似合わない力強さでグイグイと引っ張られながら、いくつもの古びた墓石が立ち並ぶ墓地の間を進んでいく。
やがてその突き当りに、たった一基だけ真新しい洋風の墓石が見えてくる。
どうやらそこが目的の場所のようだった。
「おねえちゃん。今日はね、かなたさんを連れてきたよ」
水守とだけ彫られた横長の石碑に語りかける様子は、まるで一人暮らしをしている姉の家に遊びに来たかのように明るかった。
「水守さん久しぶり」
水守唯とは十数年来の付き合いがあった割に、こうして名指しで挨拶をした記憶はほとんどなかった。
幼稚園の遠足で彼女を負ぶり山を降りた時も、中学の勉強会で姉妹を家に送った時も、私たちはあんなにも近くにいたのに。
山のように買ってきた花を供えてから線香を手向けていると、それは何の前触れもなく突如としてやってきた。
餅が喉がつかえたかのように息が詰まり、自分の意思とは関係なしに目から涙が溢れてくる。
去年の春。
愛する人との間に子を授かったことを知った彼女は、本来であればその瞬間にも喜びに打ち震えるはずだった。
それなのに。
それなのに、その相手に裏切られただけでなく、人生で最大の愛情を注ぐはずであった存在をも諦めるまでに追い詰められ、そして――。
彼女が最期に残した言葉を聞いた私は、まるで美しい一行詩のようだと、そう思ってしまった。
それは幼い日に両親を亡くした私が、物心を手に入れて以来、ほとんど無意識下で有していた背徳的な価値観に、あまりにも自然に合致したからだった。
それでも私には、私のことを愛してくれる人たちがいた。
それでも私には、私のことを救ってくれる人たちがいた。
彼女にもそういった人たちは大勢いたはずだが、逆にそれゆえ悩みや苦しみをひとりで抱え込んでしまったのかもしれない。
そんな恵まれた自分と、そんな悲しい彼女のことを、並べ見でもしていた自分が恥ずかしかった。
「かなたさん……」
「大丈夫。でもごめん……少しだけ」
もう少しだけでいいから、どうか詫びさせてほしかった。
墓前で祈りを捧げること五分。
どうにか自分で納得できるだけの気持ちを、天国にいる彼女に送ることができたように思う。
「ごめん、待たせちゃったね」
「いえ。私もおねえちゃんとお話をしてましたから」
雲ひとつない今日の空と同じように、穏やかに透き通った笑顔でそう言った彼女は、まるで幼い子が父親にそうするように、しゃがんでいた私の背に覆いかぶさりながら言葉を続ける。
「おねえちゃんと赤ちゃんの分も、私とかなたさんでいっぱい幸せになるからねって。そう言っちゃいました」
それはひとえに今後の成り行き次第なのだが、少なくとも現時点では一片たりとも異存はない。
「じゃあ、そうしちゃおっか?」
「はい!」
相変わらずいい返事だった。
「それじゃおねえちゃん。来年また、今度はお母さんたちとくるからね」
その来年というのはもう、ほんの十数時間後のそこにまで迫っている。
きっと明日のいま時分にはまた、母親や親戚たちと一緒にこの場所に立っているのだろう。
「花、だいぶ余っちゃったね」
「かなたさん、あの。もう少しだけ付き合ってもらえませんか?」
自他ともに認める察しの良さゆえに、これから彼女に何処に連れて行かれるのかは、すぐにでもわかった。
その場所は同じ墓地の二つ隣の区画にあった。
旧家の歴史を感じる苔むした大きな墓石の花刺しには、すっかりと枯れて茶色く変色した供花がコバルトブルーの青空の下で、そのあまりに憐れな
「高畑お前さ……この馬鹿野郎が」
「かなたさん! 亡くなった人にそんなこと言ったらダメです!」
「だってさ」
「もうぜんぶ終わったことです。かなたさんだって昨日、そう言ってくれたでしょ?」
「……言ったけどさ」
おそらくは十近くも年齢の離れた少女にたしなめられた私は、口を尖らせながら旧友に言葉を掛け直す。
「……昨日、高畑のとこの子みせてもらったけど、むちゃくちゃかわいかったよ。これからもまたたまに、会いに行かせてもらうつもりでいるから」
供花の交換を終えて花刺しに水を注いでいた彼女が、しれっとした表情で「毎週会いに行きます」と横から口を挟む。
それは彼女なりの冗談だったのかもしれないが、その横顔は試験当日の受験生を思わせるほどに真剣に見え、大変申し訳ないことに私は笑ってあげることができなかった。
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