終わりから始まりへ

再会

「お正月はご家族と過ごされるんですか?」

 帰りの道中でそう聞かれ、そういえばいま両親は機上の人であったことを思い出す。

「いや。うちの親、旅行に行ってるから」

「え、またですか?」

「そう、またみたい。今度は沖縄だって」

 母などは水牛に乗ってみたいのだと意気込んでいた。

 実は私も以前、仕事で行った時に水牛車には乗ったことがあった。

 正直なところ、あれは少し離れたところから見ていたほうが夢があるなと、少しだけ残念に思った記憶がある。

 それはそうと、そんなわけで私の今後の予定は未定であった。

「かなたさん。前に別れ際、私が言ったことって覚えてますか?」

 それは言うまでもなく今年の八月のことなのだろうが、正直にいえばまったく覚えてなどいなかった。

 何せあの日は、あのあと七菜と一悶着も二悶着もあったのだから。

「……ごめん。なんだっけ?」

「今度こっちに帰ってきたらどこかに連れてってくださいって、そう言いました」

 ああ、そういえばそんなことを言っていたような気がする。

「どこか行きたいところがあるなら行くよ」

「じゃあ、このまま真っ直ぐでお願いします」


 少しだけ頼りのないナビに案内されて着いたのは、この町にある唯一のスーパーマーケット『ニューロマン』だった。

 ここは昭和時代の遺構のような古いスーパーだったが、今日は大晦日なだけあり所々ひび割れたアスファルトの狭い駐車場には、中古車展示場よろしく車がびっしりと並んでいる。

「こんなところに来たかったの?」

「はい。今夜のお夕食の買い出しです」

「だったら隣町にあるショッピングセンターまで行こうか?」

 あちらのほうが品揃えも良いし、何よりここのようにうらぶれた雰囲気とは無縁で、ショッピングをするにしてもより楽しそうだった。

「いえ、ここがいいです。お母さんともよく来るのでどこに何があるかわかってますし」

「なるほど」


 人波に揉まれながらあれやこれやと商品を物色する彼女の後ろを、車輪のベアリングのグリスが切れたカートをキコキコと押しつつ追い掛ける。

「茉千華ちゃんの家ってさ、夕食は茉千華ちゃんが作るんだ?」

「いえ。お母さんが作ってくれます。私の担当は主に洗い物です」

「ん? じゃあこれは何の買い物なの?」

「だからお夕食です」

 どうにもちんぷんかんぷんだったが、彼女には彼女なりの考えがあるのだろう。

 今の私に与えられた使命はといえば、親ガモに続く子ガモのように彼女の背中を見失わぬよう、ただひたすらに追従することだけだった。


 すべての買い物が終わり、大量の食材が詰まったレジ袋Lを両手に下げて駐車場へと戻ってくる。

 せっかくの正月休みだからと、食べきれないことは承知の上でバケツサイズのアイスやファミリーパックのポテチまで買い込んでしまった。

「茉千華ちゃん、ごめん。後部座席のドア開けてもらってもいい?」

「あ、はい」

 座席の上にレジ袋Lを置いて大きく息を吐いていた私の上着の裾を、彼女がくいくいと引っ張る。

「どうしたの? なんか買い忘れ?」

「道の反対側にある薬局に寄りたいんで、ちょっと行ってきてもいいですか?」

「だったら車をまわすよ」

「大丈夫です。五分くらいで戻ってくるので」

 そういうやいなや脱兎の勢いで駆けていってしまった。


 逃げたウサギが帰ってくるのを待ちながら運転席でスマホをいじっていると、隣に止まっていたSUVに小さな男の子を連れた若い夫婦が乗り込み去っていく。

 その数秒後にはもう空いたスペースにシュコラカラーの軽自動車が入ろうとしているのが視界の隅に見えた。

 この店の年間売り上げのうち何パーセントが本日計上されるのだろうかなどと、かなりどうでもいい考えが頭をよぎる。

 薬局に出掛けた野ウサギはそろそろ戻ってくる頃だろうか。

 そう思ってスマホの画面から視線を上げると、輪を止めたばかりの隣の軽自動車のドライバーがこちらを窺い見ていることに気がつく。

 前向き駐車の私の車とバックで駐車している軽自動車の運転席は、ほんの一メートルほどの距離で近接しており、目を凝らすまでもなくその相手が誰であるのかはわかった。


「中原くん、こっちに戻って来てたんだね」

 最後に会った一年前よりも少しだけ髪を伸ばした彼女は、最後に会った一年前と同じように屈託のない笑顔を見せる。

 私はといえば――なにせ彼女とはあんなことがあったのだから――下手くそな笑顔でそれに応えるのが精一杯だった。

「ちょっと用事があってね。芝川さんは帰省?」

「あ、うんとね。私、今年の春からこっちに戻ってきてるの。中原くん、三年の時に隣のクラスだった長谷川はせがわくんって覚えてる?」

 覚えているかも何も、だ。

 彼は二年の時にわが校の生徒会長だった男で、当時の私にとってはちょっとした天敵でもあった。

「当然よく覚えてるよ。生徒大会で彼が擁する生徒会に槍玉にあげられたことがあるから」

「あはは! そういえばそんなこともあったね」

 あの時は人身御供として藤田を差し出し難を逃れることができたのだが、危うくもう少しで坊主頭にされるところだったのだから忘れるはずもない。

「で、その長谷川君がどうしたの?」

「私いま、彼のお父さんの会社で事務のお仕事をやらせてもらってるの」

「そうなんだ。長谷川君は元気でやってるの?」

 正直なところ彼の安否にはほんのこれっぽっちも興味はなかったのだが、何せ大人の話には流れというものがあった。

「うん。今日、このあと彼の家にお呼ばれしてて。それで差し入れのお酒とおつまみを買いにきたの」

 ……へえ。

「中原くんもさ。もしよかったら一緒にこない? 彼、きっと喜んでくれると思うよ」

 彼女の気遣いは嬉しかったし、こうして更生した自分を長谷川君に見てもらいたいといったよくわからない欲求もほんの少しだけあったが、二人の楽しい時間の邪魔をするほど私も野暮ではない。

「ごめん。今ちょっと人を待ってるんだ」

「あ、そうなの? 誰?」

 まさか『誰?』とくるとは思わなかった私は、咄嗟に『便利なスケープゴート』こと藤田の名前を出したのだが、「え、藤田くんってあの藤田くん? 懐かしい! 挨拶だけでもしたいな!」と、思いっきり墓穴を掘ってしまったのであった。

「ああ……なんか腹が痛いって言ってトイレに走ってったから、多分もうしばらくは戻ってこないと思うよ」

「えー残念だな」

 なんとか難局を乗り切った私だったが、直後に訪れた最悪の局面から逃れる術までは持ち合わせていなかった。


「かなたさん、すいません! おまたせしました!」

 この世界には神などいないのだから、こういうこともままあるのだろう。

「えっ? ……唯ちゃん?」

 芝川さんが驚くのも無理はない。

 それ程に彼女ら姉妹は瓜二つだったし、妹の年齢が私たちの記憶の中の姉とちょうど同じくらいであったのだから尚更だった。

「あの、おねえちゃんの知り合いのかたですか?」

「あ! もしかして唯ちゃんの妹さん?」

『で、あってる?』と彼女の目が言っていたので、視線で『合ってる合ってる超合ってる』と返してからそっぽを向く。

「水守茉千華といいます。生前には姉がたいへんお世話になりました」

 その幼い容姿とは不相応に丁寧な対応に、芝川さんも慌てて車から降りると頭を下げた。

「ごめんなさいね。本当にお姉さんとそっくりだったから」

「はい。よく言われます」

 そう言ってニッコリと微笑んだ表情すらも生き写しのようだった。

「……中原くんさ」

「なに?」

「なんで唯ちゃんの妹さんと一緒にいるの?」

 それは彼女が鋭かったのか、それとも誰もが抱くような単純な疑問なのか。

 まあたぶん、ほぼ間違いなく後者だろう。

 いずれにせよ、私が窮地に立たされたということに変わりはなかった。

「えっと。話すと長くなるんだけど――」

「私たちお付き合いしてるんです」

「え? あ……え? えええ! そうなの?」

「はい。かなたさんは私の恋人です」

 長い話どころか秒で完結したそれは、本来もっとも大事であろうそこに至った経緯を完膚なきまでにすっ飛ばしていた。


 たった五分の立ち話で、彼女らはすっかりと仲良しになってしまったようだった。

 それは間違いなく好ましいことだったが、今は私の心臓がどうかなってしまうその前に、なんとかして二人を引き離す必要があった。

「そういえば芝川さん、時間は大丈夫なの?」

「あっ! そうだった! それじゃ茉千華ちゃん。また今度、ね?」

 最後の『ね?』の部分ががすごく意味深に聞こえたが、そのやり取りの蚊帳の外にいた私には何ひとつできることなどない。

「はい。またおねえちゃんのおはなし聞かせてください」

 少女はそう言うと再び深く頭を下げてから助手席に乗り込んでいった。

 私もそれに続いて運転席に戻ろうとしたのだが、背後からした「あ、中原くんちょっと待って」という、妙に凄みのある声にゆっくりと振り返る。

「なに?」

「ウラジーミル・ナボコフって知ってる?」

「え? 裏地を見る?」

「ううん、やっぱなんでもない。まあでも、お幸せに! それと今日、叶多くんに会えてよかった! また今度ね!」


 最後の最後に私のことを『叶多くん』と名前で呼んだ彼女は、回れ右をすると駆け足でスーパーの出入り口の中へと消えていった。

 私としては生きた心地の乏しかった十数分間ではあったが、今日ここで彼女と会うことができてよかったと思えた。

 次に会ったその時には、旧友の妹とこうなった経緯をしっかりと話そう。

 心の底からそう思いながら車のドアを開けると、すでにシートベルトを締めて待っていた少女に声を掛ける。

「おまたせ。帰ろうかロリータ」

「はい? ロリータって?」

「それでは出発します」

「あ、はい!」

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