終止
よく『渋滞に巻き込まれた』という表現が用いられるが、あれは『渋滞に参加している』が正しいのではないだろうか?
そして、今まさに私たちはその渋滞に参加している真っ最中だった。
「意外と近くだったから日が暮れる前には着けると思うよ」
「無理を言ってすいません」
通常であれば叶えることの難しかった彼女の願いだったが、旅行代理店勤務の私にはいくつもの裏技が存在していた。
今もそのうちのひとつを用いて、超繁忙期の
「全然。それより次のサービスエリアで何か食べてく? 激混みだとは思うけど」
「だったら私、ソフトクリームがいいです」
帰省客であふれかえるサービスエリアでソフトクリームをふたつ入手すると、いよいよ混雑のピークに差し掛かった高速の車列に並びなおす。
それからさらに渋滞に参加し続けること一時間。
ようやく目的地の最寄りインターチェンジに到着した私たちの車は、グルグルと回る道路に強い横Gを受けながら下道へと降り立った。
そこからの旅はといえば、高速道路の何倍もの速度が出せたおかげで快適そのものだった。
「私、こっちのほうって初めて来ました」
「僕もここには来たことがなかったな」
私の住む街からさして遠くはなく存在自体は知ってはいたが、町域の中心を高速道路が貫通する小さな自治体がゆえに、用事がなければ訪れる機会自体がない場所でもあった。
「もうそんなに遠くではないと思うんだけど。ちょっと電話で聞いてみるよ」
ストレッチも兼ねて車から降りた私は、家を出る前にアポイントメントを取っておいた相手に電話を掛ける。
六度の呼び出し音のあと、その相手は電話に出てくれた。
「――はい。あと五分ほどで着くと思いますので。お待たせして申し訳ありません」
電話を切って車に戻りスマホのナビに表示された地図を確認する。
「おまたせ。やっぱりもうすぐそこみたい」
田舎でなければ都会でもない。
そんなどこにでもあるような地方都市の郊外のファミレスは、この時期のこの時間帯にしては
それでも七割ほど埋まっている席を見回し、約束の人物が待つボックス席へと歩み寄る。
「お待たせさせてしまってすみませんでした」
膝の上に座らせた子の頭を優しく撫でていた女性は、私たちの姿を認めると座ったままで深く頭を下げた。
「高畑君の同級生だった中原といいます。こちらは――」
「水守唯の妹の、水守茉千華です」
牛革を模したビニールでできた座席に腰を下ろすと、向かいに座る女性が再び
「
旧姓を名乗った女性は高畑の元奥さんで、今は実家に戻り両親と子供と四人で暮らしていると、ここを出る前に取次ぎをしてもらった高畑の父親から聞いていた。
「お忙しいところを突然お呼びたてして申し訳ありません。彼女がどうしてもあなたと話がしたいと言っておりまして」
私の横の座席に座る少女は、その大きな瞳でただ真っ直ぐに川島さんを射抜いており、無表情であるがゆえにその感情は読み取れなかった。
「水守さん。先日は唐突にすいませんでした。それに彼が……本当に申し訳ありません」
そう言って川島さんは
ややあってその瞳の位置から落ちたいくつもの雫がテーブルの天板を濡らす。
「川島さん」
対して少女は至って平坦な口調で相手方の名を呼ぶと、リュックから取り出した分厚い封筒をテーブルの上に置いた。
「これはお返しします」
数センチもの厚みがあるその中には、先日川島さんが水守家に持参したお金が入っている。
「せめて……それだけでも、どうか受け取っていただけませんか?」
しかし少女はほとんど間を置かずにこう言い切った。
「いいえ。受け取れません」
茉千華ちゃんが高畑の元奥さん――川島さんに会いたいと私に申し出た際、その一番の目的はお金を返すことだと言った。
それは川島さんの謝罪を受け入れないという意味ではないということは事前に聞いてはいたのだが、到底いまの言い方で先方にその意図が伝わるはずもない。
「茉千華ちゃん。まずはちゃんと説明し――」
子を諭すような口ぶりで隣に目を向けるもそこには誰もおらず、少女はいつの間にか私の背の陰に身を隠すと声を殺し泣いていた。
ほんの数秒前までの毅然とした振る舞いはいったい何だったのだろう……。
それはともかく、とてもではないが話ができるような状態には見えなかった。
「えっと、私は水守さんのご家族と縁がありまして、大体の事情は教えてもらっています。そのうえで彼女ともよく話し合いました」
本来はオブザーバーを決め込む予定であったのだが、止むを得ず自ら水守家の代理人を買って出る。
「まず、そちらのお金は受け取ることができません。仮にその出処が高畑君の家からだとしてもです」
「でも……」
「私たちは私たちなりの真実を知っています。もちろん、そのすべてが合っているとは思っていません。その上で彼女は――茉千華さんは姉の唯さんとあなたは同じだと、そう言っています。彼女は考え抜いた末に、そういう結論に達したんです」
思わず熱が入ってしまったが、急拵えで構築した台本だと思えば及第点だろう。
ただ、待ち合わせ場所をファミレスにしたのは大失敗だった。
私の背中と座席の背もたれの間では、誰がどう見ても十代にしか見えない少女が肩を震わせて号泣しており、加えてテーブルを挟んだ正面では幼子を抱いた若い女性がやはり涙を流している。
この光景を傍から見たら、どこをどう転んだところで私が何かやらかしたようにしか見えないに決まっている。
もし私が、先ほどからチラチラとこちらを覗き見ている隣席の中年女性の立場だったなら、まず間違いなく絶対確実にそう思う。
「……川島さん」
私の肩口からひょっこりと顔を出した少女は、続けざまにその小さな口を開いた。
「もう、誰かが悲しい思いをするのはいやなんです。それは私もだし、私のお母さんもだし、それにあなたと赤ちゃんにもです。だってもう、ぜんぶ終わったことですから」
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