真相

 彼女がすべての答えと言い差し出したそれは、書類を入れるのに使うような角2サイズの茶封筒だった。

 高畑の名と住所が書かれたそのオモテ面には、配達日を指定する赤枠のシールが貼付されている。

 その日付は八月十八日で、消印の年号は去年のものであった。

 それはつまり、水守さんが亡くなった日の一週間後に高畑の元へと届けられたことを意味していた。

「中身をみてください」

 茶封筒の中には二枚の紙のような物が入っており、まずはそのうちの一枚を手に取り目を落とす。

 それは白と黒の二色だけで構成された写真で、中心には瓢箪のような形状の白い塊が写っていた。

 隅にはアルファベットとアラビア数字が何行にも渡って記載されている。

 その中で唯一理解できたのは、撮影された日付と思しき数列だけだった。

 もう一枚の紙は一見にして、何かの誓約書だということはわかった。

 内容を確認するために手を伸ばすと、一番上にひときわ大きく印字された文字列の中の『中絶』という字が目に飛び込んでくる。

 配偶者の欄は未記入で、緊急連絡先の名前欄には『水守裕子ゆうこ』と記入されていた。

「裕子は私たちのお母さんの名前です。でもたぶん、おねえちゃんが自分で書いたんだと思います」

 そういわれれば確かに遺書の筆跡とよく似ている。

「ネットで調べました。叶多さんが最初に手に取った写真の、その左下のAGE7Wっていう数字。それが妊娠の週数だそうです。右下の0402というのが撮影された日だと思います」

「妊娠……」


「高畑さんはいつ亡くなったんですか? なんで亡くなったんですか?」

 食って掛かるような彼女のその物言いは、まるで『あなたの口から姉を殺した犯人の名前を聞かせてください』と言っているように思えた。

「今年の六月の終わりくらいだよ。……自殺だったって」

「え……? それじゃ、おねえちゃんは高畑さんのあとを追ったってわけじゃ……」

 高畑は去年の五月に籍を入れたと言っていた。

 それは所謂『授かり婚』というやつで、年末には子供が生まれるとも言った。

 高畑が二股を掛けていたのか、あるいは元々、どちらかは割り切った関係だったのか。

 真実を知る可能性があるのは高畑の奥さんだけだが、たとえいまさらそれを知ったところで、誰かが幸せになれるとは到底思えない。

 ただ、ひとつだけ言えることがあるとすれば、彼は子を授かった女性を選び、もう一方の相手を切り捨てたのだ。

 そして、水守さんはそのほとんど直後に、自身のお腹にも命が宿っていたことを知り――。

 もし、私の想像が当たっているのだとすれば。

 水守さんが会いに行った、『死んだ恋人』というのは。

「君のお姉さんはきっと……生んであげられなかった自分の赤ちゃんに会いに行ったんだ」

「……そんな……」


 小刻みに震える肩にそっと手を置くと、やがて少女は大声をあげて泣いた。

 彼岸へと姉が旅立っていったあの夏の日より始まった日々は、この少女の人生において二度と起きなどしない、過酷な時間だったことだろう。

 そして今、この瞬間こそが地獄の底であるとすれば、私がその場に立ち会えたことを居もしない神に感謝した。

 過ぎ去った過去はもう変えられはしない。

 だが、まだ訪れていない未来は違う。

 かつて父と母がそうしてくれたように、今度は私がこの少女を必ず守り続けていく。

 いつしか少女を胸に抱きながら、そんな身勝手も甚だしい誓いを密かに立てる。


 時計の長針がそのサイクルの半分を刻み終えた頃になって、彼女はようやく顔を上げた。

「……もう、大丈夫です。すいませんでした」

 そう言って私のもとから離れようとした彼女を、即座に引き戻すと抱きしめる。

「このまま聞いて」

「……はい」

「お姉さんが高畑に出した遺書には許すって、そう書いてあったよね。それに許して欲しいとも」

「……ええ」

「その許してほしい、ってさ。高畑に言ったんじゃなくて、生んであげることのできなかった赤ちゃんに、言ったんじゃないのかな、って」

「……」

「お姉さんがもし本当に高畑に許してほしいって思っていたなら、きっと手紙だけを出したと思うんだ」

 もっと言えば、高畑には遺書を書かないという選択肢もあったはずだ。

 実際のところ、それが本当に合っているのかはわからない。

 ただ、もし彼女が納得してくれるのであれば、必ずしも真実である必要などないのだ。

 すべてはもう、終わってしまった出来事なのだから。

「……私も。私もきっと、そうだと思います」

 彼女ははっきりとした口調でそう言うと、再び私の胸に顔を深く埋めて小さな体を震わせる。

「あいつだけが。高畑だけが悪かったんだよ」

 私とて死人に鞭を振るうような真似をしたいわけではない。

 だが、ここまできて『誰も悪くなかった』などと抜かせるほど私は出来た人間ではなかったし、何より無責任な部外者でいたくもなかった。


 全一周の行程を先ほど折り返したばかりだったはずの時計の針が、いつの間にかまた元の位置にまで戻ってきていた。

 その頃になってようやく、少し顔を寄せれば触れてしまうような距離にある少女の唇がゆっくりと開かれる。

「かなたさんにお願いがあります」

「うん。なんでもきくよ」

 なぜなら僕は、君の幸せだけを願うランプの精なのだから。

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