強襲

 仕事納めとなる十二月二十九日の今日は、弊社の全従業員が一堂に会するという、年にたった一度か二度あるだけの特別な日でもあった。

 もともと小所帯の職場ではあったのだが、テレワークが常態化したことにより他部署の新人などは初めて見る顔も少なくなく、なかには社員同士で名刺の交換をしている者までいた。

 それは本来あまり褒められる行為ではないのだが、新しい時代に変わりつつある今ならではの光景なのかもしれない。


 年末年始も休みなく働いてくれるカウンター業務の仲間たちのためにも、普段以上に抜かりなく仕事に精を出すこと七時間と少し。

 ようやく概ねのタスクを完了させ、デスクの周辺の整理をしながら残りわずかな勤務時間を浪費すべく努力していると、いつの間にかスマホのお知らせランプが点滅していたことに気がつく。

 そういえば午後の会議の前にサイレントモードにしたままであった。

 ちょうどトイレに行きたかったこともあり、スマホをポケットに忍ばせてオフィスをあとにする。

 個室で用を足しながら覗き見たスマホの画面に表示された人物の名前を見て、私は正直なところ少し嬉しく思い、その反面では嫌な予感がしていた。

 今年の夏に別れてから、たったの一度も連絡を取っていなかったその少女からのメッセージは、かつて彼女の姉が残した言葉と大差のない簡潔さだった。


『お話ししたいことがあります』


 彼女が私に話すことがあるとすれば、すぐに思いつくのは次の三つの可能性だった。

 一つ目は彼女の姉のことで、おそらくはこれが本命だろう。

 ただし、その場合は明るい話であるはずがない。

 二つ目は彼女の母親のことで、もしこれだとしてもやはりいい予感はしなかった。

 なぜなら、事態が好転したのであればあのような意味有りげなメッセージではなく、普通にその旨をしたためればいいだけなのだから。

 三つ目は――これはないだろう。

 もし仮にそれだとすれば、四か月もの間まったく音沙汰なしであったことの説明ができない。

 いずれにせよ急いで家に帰り、早急に彼女に電話をしてみるべきだ。

 そうと決まれば高校時代帰宅部だった経験を最大限に生かし、最小の手順と最短の時間で家路を急ぐことにした。


 年の瀬の浮かれた雰囲気に包まれた駅前の通りをあとにし、満員電車に揺られること約三十分。

 普段はここからさらに十二分ほど歩いて帰宅するのだが、今日は駅のロータリーで野良のタクシーを拾って後部座席に乗り込んだ。

 都会でもなく田舎でもない丁度いい塩梅の街並みと、そこを足早に歩く人々を車窓から眺めていると、ものの数分で自宅マンションの前に到着し、さらに三分後にはリビングのソファーに腰を下ろしていた。

 連絡帳アプリの『み』の行から目的の人物を探していた時だった。

 自分が柄にもなく緊張しているような気がして、その理由を自身に問い掛けてみる。

 これから語られるであろう話の内容に、少なからず悪い予感がしているから?

 それとも、その相手が自分に好意を寄せてくれている少女だから?

 恐らくはその両方なのだろう。


『はい、もしもし』

「茉千華ちゃん? 叶多です」

『お久しぶりです。おかわりはありませんでしたか?』

「うん。おかげさまで」

 茉千華ちゃんのほうはどう? と聞こうとして慌てて口を噤む。

 何か変わったことがあったから、彼女は数か月かぶりに私に連絡をしてきたに決まっていた。

「それで話って?」

『はい。おねえちゃんのことです』

 それはまったく予想通りで心の準備もしていたつもりだったのだが、暗い話になることがわかりきっているだけに気持ちが重くなる。

「何かわかったの?」

『はい。ぜんぶです』

「全部?」

『はい。ぜんぶです』

 彼女は同じ言葉を繰り返した。

 しかしだとしたらなぜ彼女は、こんなにも淡々とした口調なのだろうか?

 むしろ平然を通り越し、まるで断頭台に括り付けられた罪人に刑を執行する刑吏けいりのそれに近いような――というのは、我ながらさすがに想像の飛躍が過ぎる。

『あの、お時間いいですか?』

「あ、うん。今ちょうど家に着いたところだから大丈夫だよ」

『よかった。じゃあ駅の噴水のところで待ってます』

「えっ?」

『それともタクシーで行ったほうがいいですか? 住所は知ってますから』

「……いや、そこで待ってて。十分で行くから」

 電話を切ると同時に財布とスマホを握りしめた私は、今さっき降り立ったばかりの駅へと向かい、今度は自身の二本の足で走り出した。


 仕事帰りのサラリーマンたちや買い物帰りの家族連れが行き交う駅前は、いつになく賑やかで楽しげな雰囲気で満ちていた。

 小さな噴水の前に設置された石造のベンチに座り、随分と熱心そうにスマホを覗き込んでいる少女の正面に立ち、恐る恐る声を掛ける。

「茉千華ちゃん?」

「あ、すごい! 本当に十分ちょうどでした!」

 そう言いながらすっくと立ち上がった彼女を真正面に見据える。

 膝丈の真っ赤なダッフルコートを身に纏い、その背中に相変わらず美しい黒髪を垂らした少女からは、先ほどの電話で受けたような冷淡な雰囲気は一切感じられない。

 それどころか目と目が合った瞬間、これまでで見た中でも最高級の笑みをその端正な顔に浮かべて見せるとこう言った。

「叶多さん、会いたかったです」

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