災難

 隣町のハンバーガー屋で遅い夕食を済ませた私たちは、相変わらず交通量の乏しい県道を一路帰宅の途に就いていた。


「レバニラバーガー、すごくおいしかったです」

 期間限定と銘打たれたその異形をノータイムで注文するのを目撃した私は、若さゆえの怖いもの知らずっぷりに度肝を抜かれたのと同時に、先ほどとは逆に今夜は私が彼女の看病をすることになるのではないかと、そんな予感すらしていた。

 だが、バンズから巨大なレバーがはみ出したブツに一口かぶりつくなり彼女が見せたあどけない笑顔によって、それが杞憂であったことに心底安堵したのだった。

「中原さんが食べていた塩辛バーガーはおいしかったですか?」

「あれ、多分すぐにメニューから消えるはずだから。もし挑戦するなら早めにしたほうがいいよ」

 未だ生臭い呼気と一緒にそう吐き捨てた。


 後部座席にセーラー服の少女を乗せた夜のドライブには、馬鹿をやっていた学生時代によく感じていたような高揚感と背徳感があった。

 もっともそれは、凡そ大の大人が抱いて褒められるような感覚ではないように思う。

 我らが町へと続く山道に入る直前のコンビニで幾らかの食料品を購入すると、そこからさらに三十分ほど車を走らせ、どうにか官憲のお世話になることなく自宅へと帰ってくることができた。

「中原さん、体調はどうですか?」

「おかげさまで絶好調」

 さすがに『背中に羽が生えたよう』とまでは言えないが、それでも数時間前とは比ぶべくもなかった。

「お風呂沸かすから先に入ってもらってもいい? 寝間着は――」

「あ、持ってきました」

 どうやら本当に泊まる気まんまんで来ていたようだ。


 客人が風呂に入っているうちに、先ほどまで私が闘病生活を送っていた客間に来客用の布団を一組敷いて居間へと戻る。

 たいして面白くもないテレビ番組を観つつ、彼女が風呂から戻ってくるの待っていた時だった。

 台所の奥にある脱衣所の戸が開く気配を感じ、暗がりになっているそちらに顔を振る。

 果たしてそこにいたのは待ち人だったのだが、その異様な出で立ちに腰を下ろしたままで腰を抜かすという、なかなかレアリティーの高い体験をしてしまった。

「お風呂お先にいただきました。ドライヤーってお借りしてもいいですか?」

「いいけど……その格好は?」

「え? なにかヘンですか?」

 風呂上がりに学校の体操服を着るのが変でないというのなら、確かに彼女には何ひとつ変なところなどない。

「あ、これですか? 今朝お母さんのお見舞いに行くとき、まだ部活に出ようかどうか迷ってたんです」

「いや、事情はわかったけど」

 これだけは断言できる。

 たとえ相手が姉の知り合いだとはいえ、ほとんど初対面の成人男性の家に泊まる時にしていい格好ではない。

 もっとも、『ほとんど初対面の成人男性の家に泊まる』という前提が有する大問題に比べれば、それはあまりに些細すぎる問題なのかもしれないが。

「中原さんは学生のころ、家で体操服って着ませんでした?」

「そういえば着てたかも」

「体操服って楽じゃないですか?」

「確かに楽かも」

「ですよね!」

「……うん」

 たった3ターンの会話で私が意見する機会を奪い去った彼女は、髪を乾かすためか脱衣所へと戻って行ってしまった。


 やがて戻ってきた彼女に麦茶を提供してから風呂へと向かう。

 浴槽の天井を仰ぎ見ながら私が考えたことはといえば、自身のあまりの覚悟不足だった。

 かの少女が幾ばくかの安息を得る手助けをしたい。

 私は今回の件を、そんな程度に甘く見積もって考えていた節がある。

 だた今のなって考えてみれば、この行いは家出少女に宿を与えていることとさしたる違いがないようにすら感じた。

 実際、先ほどの彼女の出で立ちを目にして心を乱したこと自体、私自身にとってはイレギュラーな事態だった。

 そういえば私はまだ、彼女の実年齢すら知ってはいない。

 今日彼女が着ていたのは我が母校たる高校の制服だった。

 では昨年、初めてその姿を目撃した時に身にまとっていたのもそれだったか、それとも中学のものだったか。

 いずれにせよ、私や彼女の姉ととおほど歳が離れていることは間違いない。

「だからといって、今さら帰れとは言えないしな……」

 だとすれば私にできるのは、再び覚悟をもって彼女と対峙するしかないのだろう。


 冷水を被ってから浴室をあとにすると、脱衣所の洗濯機の上に真四角に折りたたまれたセーラー服が置かれているのが目に入った。

 そういえば着替えや下着類は持参しているのだろうか?

 もしないようならば明日の朝にでも一度、着替えを取りに彼女を家に連れて行ったほうがいいかもしれない。

 そんなことを考えながらふと足元に視線を向けると、先ほど自分が脱いだ衣服の傍らに見覚えのない色彩を見つけた。

「ん゛」

 息を呑むとはまさにこのことだろう。

 それはフロント部分にかわいらしいリボンの付いた、小さな小さな水色のショーツだった。

 即座に振り返り周りに人の気配がないことを確かめると、すぐさまその水色を洗濯槽の中に放り込む。

 さらにその上からバスタオルを被せてることで、ようやく視界の中から青い悪魔を消し去ることに成功したのだった。

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