矛盾

「……ごめんなさい。私、嘘をついてました」

 座卓の向かいに座る少女はそう切り出した。

「うちに電話をしたって言ったの、嘘です。私の家、今は誰もいないんです」

「誰もいないって? ご家族は?」

「うちはもともと私とおねえちゃん、それにお母さんの三人家族だったんです」

 そういえば通夜で彼女の家にあがらせてもらった時にも、弔問客への対応は母親が行っていた。

「お母さん、お葬式が終わってからもしばらくのあいだは色々な手続きとかで大変だったみたいで。でも、それも四十九日の法要が終わった頃ようやく落ち着いたんです」

 人が亡くなるというのはそういったことまで含めて、本当にとてつもない出来事なのだと思う。

「それからでした」

「それから?」

「はい。お母さんが誰もいない部屋で誰かと喋るみたいに独り言を言ったり、夜中にとつぜん大きな声を出して泣き出したりするようになって」

 たった一人きりになった肉親の、それも唯一の大人で彼女の保護者でもある母親が日に日にメンタルヘルスに不調をきたしていく。

 彼女は事もなげに話しているように見えるが、それは十代の少女にとってとてつもなく不安な日々だったろうに。

 故に掛ける言葉をすぐに見つけることができなかった。

 今の私には少女の真っ直ぐな視線から目を逸らさず、その話を漏らさず聞くというのが関の山だった。


「親戚のおじさんたちがお母さんを病院に連れて行ってくれて、お薬を出してもらったらしばらくはよくなったんです。でも、六月くらいからまた悪くなってしまって。それで先月の終わりから隣町の病院に入院してます」

「そうだったんだ……」

 やっと絞り出した言葉がこんな程度だとは、私はなんて情けのない大人なのだろう。

「本当は今日も部活じゃなくって。お母さんのお見舞いに行った帰りに親戚の人に学校まで送ってもらって、そのあとに歩いてここまで来ました」

 そこは半分が嘘で、残りの半分は本当だったわけだ。

「……私」

 淡々と話し続けていた彼女の表情と声色が一気に曇る。

「なに?」

「私。最低なんです」

「最低?」

「はい。お母さんが入院したあと、近所に住んでいる親戚のおばさんが『お母さんが戻ってくるまでうちにおいで』って言ってくれたんです」

 それを聞いた私は、彼女が孤立無援でなかったことに少しだけ安心した。

 しかし、だとすれば何が最低だというのだろうか?

「でも、断ったんです」

 話がまったく見えなかった。

「なんで断ったの? その……あんまり良い親戚ではないとか?」

「いえ、ものすごくいい人たちです。小さな頃から私とおねえちゃんのことを自分たちの子供みたいにかわいがってくれて」

 私がもともとない頭で類推したところで、彼女の話の複雑さには手も足も出るはずもない。

 理解が追いつくまでの間、もうしばらく聞くことに専念したほうがいいだろう。

「それで?」

「はい。その親戚だけじゃなくて、他の親戚もみんなすごくいい人ばかりで。今日も本家にみんなで集まってて。私もそこにお呼ばれしていたんです」

 映画やドラマでしか聞いたことのない『本家』という言葉に、なぜだか高畑家の大きな屋敷が脳裏に浮かんだ。

 もっとも彼女が言った本家とは、横溝正史の小説に出てくるような因習を伴うそれではなく、要はおじいちゃんおばあちゃんが住まう家のことだ。

「私、それがどうしても嫌で。だから今夜はお友達の家でお泊まり会をするからって嘘をついて。でも、お盆でお友達のうちもみんな親戚の集まりがあって。それで行くところがなくて」

 ここまできてようやく理解が追いつく。

「それでうちに来たの?」

「はい。本当はいま話したことを中原さんに正直に言って、遠くの親戚が帰る明後日まで泊めてもらおうと思ったんです。でも中原さん、体調が悪いみたいだったから。それで看病をするためにお泊りするって言えば、中原さんも納得してくれるかなっ……て」


 何もそこまで洗いざらい話す必要もないだろうに。

 そう呆れる反面、私はそんな彼女の不器用さ――いや、実直な人間性を好ましく感じて始めていた。

 もう少しだけ、もう少しだけ疑問点を教えてもらうことができれば、彼女が親戚の親切心を無下にしてまで赤の他人である私を頼ろうとしたのかがわかりそうだった。

「親戚の人たちはいい人なんでしょ? じゃあ、なんでお世話にならないの? なんでそのいい人たちである親戚の集まりに行きたくなかったの?」

「自分でもうまく説明できないんです。でもきっと、親戚のみんなが本当にいい人たちばかりだからだと……思います」

 それは一聴にして二律背反であり、普通であれば何の説明にもなっていないようにも聞こえるかもしれない。

 だが、私にはその意味が痛いほどに理解できた。

 なぜならそれは私も同じであり、自分の家族に対して彼女とまったく同じ矛盾を抱えていたからだ。

 誤解がないようにいえば、私は自分の両親のことが好きだ。

 でも、一緒にいると息が詰まる時がある。

 それは、二人があまりにも良い人すぎるから。

 それは、二人があまりにも優しすぎるから。

 二人が私のことを心から愛してくれているのが、まるで手にとるようにわかったから。


「話してくれてありがとう」

「……本当にすいませんでした」

 何もすまないことなどない。

 おかげで私も覚悟を固めることができたのだから。

「茉千華ちゃん、晩ごはんってまだでしょ?」

「あ……はい」

「どこかに食べに行こうか」

「……いいんですか?」

「うん。看病してもらったお礼だよ。明後日の夜には今度こそ車で送って行くから」

「……ありがとうございます」

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