覚悟
今がいくら真夏だとはいえ、布団も掛けずにパンツ一丁で寝るのは馬鹿のすることだ。
そして私こそがその馬鹿である。
目覚めと同時に激しい頭痛と関節痛に襲われ、『これはやってしまったな』と直感した。
デジタル表示の白黒液晶に二つばかり並ぶ8が目に映った。
嫌っている相手が出ていこうと言っているのに、この町という奴は一体どういうつもりなのだ?
と、さり気なく責任転嫁を図ってはみたが、どう考えてたところで自業自得だった。
幸いにも夏季休暇は今日を含めればあと三日もある。
不本意ではあるが、もう一日ばかりこの家に滞在して体調を万全にしてから、昨日行けなかった墓参りをして帰ることにしよう。
そうと決まれば、あとは薬を飲んで寝るだけだった。
古の記憶を頼りに押入れから薬箱を探し当て、あまり見慣れないパッケージの粉薬を服用する。
スポーツドリンクでもあればよいのだが、
離れの自室まで向かう気力と体力が惜しかったので、客間の押し入れから布団を一組取り出して横になる。
子どもだった時分にも今のように熱を出して、父と母が仕事から戻って来るまでの時間をひとりで過ごした日があった。
その時は目が覚めるたびに柱の時計を見上げては、時間の流れの悠長さに不安と苛立ちを覚えたものだ。
それは二十六歳になった今の私も同じで、望みもせずに貴重な休みの時間を寝て過ごすことへのもどかしさにため息が漏れる。
そればかりか、一昨日の夜に考えていたようなどうしようもなく惨めな思考が、何度追い払ってもブンブンと音を立てながら頭の上を飛び交う。
それは一見哲学のようで、その実とてもリアルな点が悪質だった。
「……寝るか」
次にまぶたを開いた時には、薬の力で今よりも楽になっているはずだ。
そして一刻も早くこの町を去り、都会の家へと戻ろう。
次に気がつくと、窓から差し込む陽の角度が若干低くなっていた。
先ほどまでの私は昼前の時間を生きていたのだから、太陽が気まぐれに高度を上げ下げしてさえいなければ、今が午後だということだけは間違いない。
再び目を閉じれば、さらにもう数時間はワープできるような気がしたが、その前に済ませておかねばならないことがあった。
立ち上がろうとすると頭の芯が激しく痛む。
しかし、頭痛は気合で我慢できたとしても、尿意はそれほど甘くはない。
頭を揺らさないように慎重に立ち上がり、寝間着のズボンを履いてトイレへと向かう。
用を済ませて客間に戻ったちょうどのタイミングで、枕の横で添い寝させていたスマホが振動しながら画面を点した。
ディスプレイには名前ではなく、見覚えのあるような無いような番号が表示されている。
「……またあの子か」
仏の顔も三度までというが、仏ではない私は二度が限界だった。
五回六回と鳴り続けるスマホをただ眺めていると、十回目のコールでようやく沈黙してくれた。
その直後、今度はドアフォンのチャイムがけたたましく鳴り響く。
今の私にとって玄関までの道のりは、十万億土の彼方に等しい。
よって居留守を使う決意をしたのだったが、さらに次の瞬間には、この客間から玄関が見通せることを思い出した。
それは即ち、あちらからもこちらが見えるということでもある。
玄関がある方角にゆっくりと顔を向ける。
案の定、網戸の向こうの来訪者とばっちり目が合ってしまった。
「本当に……すいませんでした」
玄関の土間に立つセーラー服の少女は謝罪の言葉を口にすると、小さな頭を深々下げた。
それに合わせて絹糸のような黒髪が、清流のような滑らかさで体の前に垂れる。
「そんなことを言いにわざわざ来てくれたの?」
「きのう電話を切ったあと、朝まで考えてて。それで後悔してたんです。中原さんにひどいことを言っちゃったって」
それはまあ実際その通りだったように思う。
ただ、彼女が私に押し付けようとした理不尽は、姉を思う気持ちとその
それを踏まえた上で、大人気のない対応をした私のほうにも非はあった。
「こちらこそごめん。発信履歴や写真のことから推測したら、水守さんがそう思ったのも仕方がないよ」
それでも私が今こうして生きている以上、最前提である『死んだ』の部分に当てはまらないのだが。
もっともこのまま長話でもしようものなら、後付けながらにその条件までをも満たしてしまいそうではあった。
彼女の姉との数少ない思い出話でも聞かせて、早いところ帰ってもらおう。
「とりあえず、こんなところだとあれだから」
玄関の
「……おじゃまします」
それにしても父と母が留守にしていてくれて本当によかった。
少女を居間の座布団の上に座らせてから台所に向かい、冷蔵庫の中に一本だけあった無果汁のオレンジ風味飲料をグラスに注ぐ。
あまり見かけない銘柄のそれは、どうやら当地の農業協同組合が生産販売しているものらしい。
だとしたら無果汁である意味がまったくわからないが、今はそんなことに頭のリソースを割いている場合ではなかった。
「よかったらどうぞ」
謎のジュースの入ったグラスを少女の正面に置く。
「ありがとうございます」
「水守さんにひとつ聞いてもいいかな? なんでお姉さんの恋人って人のことを知りたいの?」
それは初対面に等しい相手にするような質問ではなかったし、そもそも他人が立ち入っていい領分ですらないように思えた。
しかし、私がいま少女にしてやれることといえば、まさにその禁忌の内側に覚悟を決めて足を踏み入れることくらいしかない。
声が届いていないということはないと思うが、彼女は長い髪を顔の前に垂らしたままでいた。
ならば不躾なのは承知で、こちらから一方的に話を続けるしかない。
「お通夜に顔を出させてもらった連中、みんなお姉さん同級生なんだけどさ。やっぱり、どうしてもその話になってね。でも誰も何も知らないみたいだった」
在学中は女子グループの中心にいた芝川さんでさえそうだったのだから、もし件の恋人がいたとすれば、それは高校卒業後に交際を始めた相手なのだろう。
「お姉さんのスマホに僕の番号が残っていた理由はわからない。ただ、連絡先は同級生全員で共有していたから、考えられるのは押し間違いとか」
仮にその通りだったとしても、それが何度も行われたのはなぜなのか?
自身で持ち出した仮説ではあったが、その説得力は若干弱いような気がした。
「写真のことは――それもわからないんだ。ゆうべ電話でも言ったけど、僕とお姉さんはあまり親しいとはいえない間柄だったから」
それが唯一の真実であり、実際に心当たりはまったくなかった。
だが、世間一般的なものの考え方をするのであれば――。
「……もしかしたらおねえちゃん、中原さんのことが好きだったんじゃないのかなって」
まあ、そういうことになるのだろう。
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