会遇

 まだ十七時を少し回ったばかりだが、私の心はもう今日という一日を終えたがっていた。

 ただ、昼前に菓子パンをひとつ与えられただけの体がそれを許してくれなかった。

 再び車に乗り込むと、緋色に染まった西の方角へと向かい走らせる。

 行き先は市街地のスーパーマーケットで、目的は今夜の晩飯と明日の昼飯を手に入れること。

 本来はコンビニで済ませられる用事だったが、残念ながらそんな近代施設はこの町には存在しない。


 ひび割れたアスファルトの狭い駐車場に車をねじ込み、閉店時刻が十五分後に迫るスーパーに駆け足で入店する。

 かつては両親とよく買い物にきた馴染み深い店だが、こうして大人になってから利用するのは初めての体験だった。

 商業施設としては天井が異様なまでに低く、そこに取り付けられた暗い照明が照らすリノリウムの床はよく磨き込まれてこそいるが、ほんの少しだけ波打っている。

 そう広くない建屋内に存在するパン屋や衣料品などのテナント店舗は、本体たるスーパーの閉店を待たずに本日の営業を終え、頭上の照明も落とされていた。

 明日の墓参りに備えて供花を二束確保してから、惣菜売り場で主婦客に混じり煮物や揚げ物を物色する。

 半額シールの貼られた弁当を二つと、それに数種類のサラダが盛り付けられたプラスチックトレイを選び、買い物カゴの底にそっと横たえる。

 返す刀でビールと清涼飲料水の類を入手してから、1レーンだけ開いていたレジの列に並んだ。


 五円で購入したレジ袋Mを手に駐車場まで戻ってくると、若い女性のものと思しき下半身がミニバンのスライドドアから生えている光景が目に映った。

 おそらくはチャイルドシートに子を括り付けている最中なのだろう。

 今どきの女性らしく肉付きの薄い臀部が右へ左へとせわしく揺れ、そのたびにローウエストのチノパンの上部からペールオレンジが見え隠れしている。

 それは悪いことに、私の車の運転席側で行われていた。

 仕方なく自分の靴先を凝視したまま立ち尽くしていると、スラドドアが閉まるピッピッというブザーの音にやや遅れて、「あ、ごめんなさい」という女性の高い声が耳に届く。

「あ、いえ」

 手にした菊の花を横に振りながら顔をあげる。

 女性は私と目が合った途端、雷にでも打たれたかのように身を弾ませた。

 そして、それは私にあっても同様だった。

「え? 叶多?」

「……七菜なな


 ここは小さな町だが、面積だけでいえば下手な市よりも広いそうだ。

 人口は減る一方ではあったが、確かまだ一万人を大きく割り込んではいない。

 そんな場所にあるスーパーの駐車場で隣同士になった相手が、人生でたった一人だけの元交際相手である確率というのは、一体どのくらいのものなのだろう。

「叶多、ひさしぶり。こっち、帰ってきてたんだね」

「ああ、うん。水守さんの件で」

「あ、そっか……」

 地元民の彼女がそのことを知らないはずなどなかった。

「私もお通夜の前に少しだけお邪魔して会わせてもらったの」

「そうなんだ」

「彼女とは高校の三年間、委員会が一緒だったから」

「へえ」

「……うん」

 そこで会話が途切れる。


 彼女――河合かわい七菜と出会ったのは、高校に入学してすぐのことだった。

 そのきっかけは、私が当時やっていたバンド活動ごっこで使用していた楽曲が、彼女が好きなグループのそれだったからという、極めてありがちなものだった。

「私、その曲大好きなんだ」

 金髪のロングヘアーという、高校生としてはあるまじき容貌をした初対面の人間に対し、彼女はまるで旧知の友のように話し掛けてきたのだった。

「自宅で練習してるの? 今度見学しに行ってもいい?」

 出会って二分でこの台詞が飛び出したものだから、最初はからかわれているのかと思った。

 ところが彼女は今度どころか、その日の放課後に本当にうちまでやって来ると、その後も足繁くやってきては、たった一人のオーディエンスとして、私たちバンドもどきの練習を応援をしてくれた。


 それから数か月後の、高校一年の夏休みが始まってすぐのことだった。

『おい叶多。ちょっと付き合ってくれや』

 バンドメンバーの藤田に突然呼び出されて向かった先は、帰宅部の私たちが来る必要などまったくない夏休みの学校だった。

「何だよ。こんなところに呼び出して」

「俺だって好きでお前とこんなとこにいたいわけじゃねえよ」

『自分で呼び出しておいてそれはないだろう』

 相手が彼以外の誰かであれば、私はきっとそう口にしていたはずだ。

 だが生憎なことに私は、彼が常識の枠から逸脱した存在であることを知っていた。

「あいかわらず意味がわからん野郎だな。用事がないなら俺は帰るぞ」

「まてまてまて! 説明は出来んがとにかく叶多はしばらくここにいてくれ。もし帰ったら許さんからな!」

「……なんだよ、それ」


 やがて五分が経ち、そして十分をわずかに過ぎた時だった。

 路地植えのコニファーの影から突如として現れた少女は、真夏の日差しをその背に受けながらこう言った。

「ごめん、待った?」

「え? 七菜? 藤田は?」

「え? 藤田くんから『叶多が七菜ちゃんに話したいことがあるらしいから昇降口の前に来てくれ』って、さっき電話もらったんだけど――」

「……あいつ」

 彼女の話を聞いた私は、ものの四十秒ですべてを理解するに至った。

 要は私たちの普段の挙動から何かを察したやつが、柄にもなく気を利かせお膳立てしてくれたのだろう。

 すごく雑ではあったが。

 ただ、当事者たる私をして一概に彼を責める気になれなかったのもまた、事実だった。

 もし自分が逆の立場であっても、あまりの焦れったさに似たようなことをしたかもしれない。

 それほどに私と彼女は、『誰がどう見ても』というレベルで明け透けとした日々を送っていた。

 

 結局のところ、私たちはその日のうちに交際をスタートさせ、さらにその翌日には藤田に昼飯を奢る羽目になったのだった。

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