告白

 それはあまりに唐突な告白だった。

 三日前といえば水守さんが自ら命を絶った、その前日になるはずだ。

 空になった缶を手にしたまま彼女の座る縁石の傍らまで移動し、さらに詳しい事情を聞くために質問を投げ掛ける。

「水守さんとはどんな話をしたの?」

「……ふつうの話」

「普通? 世間話ってこと?」

「うん。久しぶりだねーって。そのあと少しだけ昔の話をして、それで時間も遅かったから、またねって言って……。それだけ」

 四十人ほどのクラスが二つあっただけのうちの高校に於いて、各々の人間関係は否が応でも漏れ伝わってきた。

 私が知る限りで芝川さんと水守さんの関係性はといえば、私と高畑のそれによく似ていたはずだ。

 少なくとも、仲の良い友人同士というようなことはなかったと思う。

 だとしたら、なぜ水守さんは彼女のところに電話をしたのだろうか?


「唯ちゃん、ね」

 暗く人気のない県道に響いた声に、思考の淵に落ちかけていた私は現実世界へと引き戻される。

「唯ちゃん、本当はもっと話をしたかったんだと思うの。でも私、次の日が早番だったから。それで話を切り上げて電話、切っちゃったの」

 彼女は泣き笑いのような表情で、尚も言葉を続けた。

「もしね? もしあの時、私がもっとちゃんと唯ちゃんの話を聞いてあげていたらね? そうしたら……」

 アスファルトの地面に幾つもの小さな黒い染みが広がっていく。

 膝を抱えた格好で体を震わせる彼女の、その正面に座り語り掛ける。

「たとえそうであったとしてもさ。それでもきっと彼女はああしたって、僕はそう思うんだ」

 決して気休めで言ったわけではなかった。

「水守さんの顔、さっき見せてもらったでしょ?」

「……」

「彼女のお母さんも言ってたよね。家族の人が見つけた時から、ずっとあの表情のままだったって」

 だからきっと、仕方がなかったのだ。

 そうでなければあんな、まるで掴まり立ちをする我が子を見守る母親のような、あんなにも幸せそうな表情で永遠の眠りに就くということはないはずだった。


 次に気がついた時、私は胸の中にショートボブを抱え込んでいた。

 ふわふわとしたその髪からは夏の夜に似つかわしい、りんご飴のような甘い香りがした。

「……ごめんなさい」

 果たしてその言葉は私に向けたものだったのか、それとも亡きクラスメイトにあてたものだったのか。

 たとえそのいずれであったとしても、彼女が詫びる必要などはもともと何ひとつない。

「そろそろ行こっか? 電車の時間もあるし」

「……うん」

 弱々しく返事をして顔をあげた頬に残る涙の筋を、ポケットから取り出したハンカチでそっと拭う。

 見た目通りに柔らかな頬の感触と体温が、白く薄い布を介して指に伝わってくる。

「ごめんね、叶多くん。もう大丈夫だから」

 彼女の言葉が嘘でないことは、自販機の明かりに照らし出されたその表情からも明白で、私はようやくにして胸を撫で下ろすことができた。


 道の脇に等間隔で直立する杉の木をLEDの鋭い光で撫でながら、先ほどよりも幾らかエンジンの回転を上げつつ車を走らせる。

「中原くんはいつまでこっちにいるの?」

 さてそういえば私は、いつまでこちらにいるつもりなのだろう?

 いったん頭の中で予定を整理してから口を開く。

「明日の朝にでも実家の墓参りに行って、それで午後には戻ろうかなって。休みは十六日までなんだけど、特にこっちでやりたいがあるわけでもないし。一応着替えは何着か持ってきたけどね」

 正しくは『やりたいことがない』ではなく、『できることがない』といったほうがいいだろう。

 もっとも今回の帰省は車という足があるので、隣町まで出張でばれば幾らか文化的な休日を送ることは可能かもしれない。

 だがそうまでするくらいなら、都会の我が家に戻って同じことをしたほうが何かと気が休まる。

「じゃあ、結婚は?」

「は?」

 まったく女性という生き物は、なぜこうも文脈というものを軽視するのだろう?

 それにしても彼女が口にしたその問は、私が今回の帰省でもっとも懸念していたものでもあった。

 というのも、このあと実家に顔を出して一泊することになっているのだが、まず間違いなくうちの母親からも同じ詰問を、少なくとも五回は受けることを覚悟していた。

 それはそうとして、別におかしな質問をされたわけではないことなどは、私にだってよくわかっている。

「彼女はいないの?」

「いない」

 敢えてそっけない態度で即答する。

「えーホントに? 中原くん、モテそうなのにね」

 この『モテソウナノニネ』というのは、昔から老若男女を問わずに本当によく言われてきた。

 ただ、この二十五年の人生を振り返ってみても、実際にモテた記憶など一切なかった。

 他人の言動などというものは斯くも当てにならないうえに、無責任なこと甚だしい。

「私の友達にもいたよ? 中原くんのことが好きだって子」

「当時の僕を? こういっちゃあれだけど、もの好きにも程があると思うよその子」

「そうそう! その子ちょっと変わってたから!」

「……あっそ」


 山水で路面を黒く濡らした峠の道を三十分も車を走らせ、ようやく隣町の中心を走る幹線道路までたどり着く。

 窓を閉めエアコンを入れると、コーという低い風切り音を伴いながらダッシュボードのスリットから冷気が吹き出す。

「芝川さん、時間って大丈夫?」

「あ、うん。ギリギリだけど」

 彼女が住まう町は、ここから西に八〇キロほど行った場所にあるそうなので、今からだと帰宅は深夜に近い時間になってしまうことだろう。

「ね? 叶多くんさ。私、来年のお正月はもう少しゆっくりできそうだから、その時はドライブに行きたいな」

「うん、いいよ」

 相づち感覚で返した言葉によって、次回も車で帰省することを自ら確定させてしまった。


 人気のない駅のロータリーに車を駐め、後部座席から彼女の荷物を取り出す。

「やっぱり今夜は中原くんの家に泊めてもらって、明日の朝いちばんに帰ろっかな……」

「さよなら芝川さん。また来年」

「もう! もう少しくらい優しくしてくれてもいいのに」

 彼女は口をとがらせそう言いつつも、少し遠慮がちに右手を差し出してくる。

 私はほとんど反射的に、その小さな手に自分の手をそっと重ねた。

「……あの、荷物どうもありがとう」

「あ! ごめん!」

 とんでもない勘違いをしたことに気付いた途端、全身の血液が沸騰しながら顔に昇ってくるのがわかった。

「あははは! やだちょっと中原くんかわいい!」

 慚愧に堪えないとはまさにこのことだった。

「え、なになに? もしかして私と手繋ぎたかったの?」

 今どき小学生でも使わないような子供じみた煽りが彼女の口から飛び出す。

「芝川さん。その野次って当事者じゃなくて外野が飛ばしてなんぼの奴だから」

「照れなくてもいいのに! じゃあせっかくだし、このまま改札の前まで送ってもらってもいい?」

「……まあ、うん」

 かつてのクラスメイトと仲良く手を繋いだまま、たった五〇メートルほどの距離を寄り添い歩く。

「中原くん、あのね」

 肩の少し下あたりから聞こえた声に視線を落とす。

「なに?」

「唯にあんなことがあって、それで今日はみんなで集まったわけじゃない?」

「うん」

「それなのにこんなこと言うのって、良くないのはわかってるんだけどね。私、中原くんと久しぶりに会えてすごく嬉しかった」

「……うん。僕も芝川さんたちと会えて良かったよ」

 改札には利用客どころか駅員の姿すら見当たらなかった。

 彼女は小さな声で「よし!」と言うと、繋いでいた手をそっと解く。

 そして両手でハンドバッグの把手を握り、少し大袈裟にお辞儀をしてみせる。

「中原くん、今日は色々とありがとう。気をつけて帰ってね。それじゃまた来年ね!」

「うん、芝川さんもお疲れ様でした」


 彼女の姿が見えなくなるまで手を振って見送ると、なんだか急に体が重くなった気がした。

 それは単純に今になって長距離移動の疲れが出たのだろう。

 駅前のロータリーに駐めてあった車に乗り込む前に、両手のひらを重ねて思い切り背伸びをしながら天を仰ぎ見る。

「……」

 頭上の遥か上には、プラネタリウムにも勝るほどの星空が広がっていた。

 それも周辺には人工の光が灯っているにもかかわらずだ。

 ここでこれほどというのなら、田畑のど真ん中にある実家の星空はどんなことになってしまうのだろうか?

 その光景を想像した私はといえば、なぜかわからないが少しだけ怖く感じてしまった。

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