闇夜

「ありがとうございました。唯さんと最後にもう一度会えてよかったです」

 頬に幾筋もの涙痕をつけた芝川さんが水守さんの母親に礼を言い、その背後にいた私たちも黙したままでそれに倣った。


 いよいよ漆黒に包まれた山道を往路よりもさらに慎重に歩みながら、少し前を行く高畑の背中に声を掛ける。

「高畑はさ、水守さんと最後に会ったのっていつ?」

「今年の春の同窓会だった……と、思う。そういえば叶多君は欠席だったんだっけ?」

 彼の言葉に他意がないことはわかっていたが、適当な理由をつけて参加しなかった私としては耳が痛かった。

「あの夜が多分……最後だったよ」

「じゃあ、彼女に恋人がいたかどうかなんて知らないか」

「……さあ。そういうのは女子に聞いたほうがいいんじゃない?」

 それは彼が言う通りで、こと色恋沙汰にかんして言えば女子たちの情報収集能力は大国の諜報機関と比肩するものがあった。

 だとすれば、卒業後に交際をしていた彼氏がいたということになるのだろうか。

 彼女も私と同様で、確かどこか都会の大学に進学していたはずだ。

「何らかの事情で恋人が亡くなってしまって、彼女はそれを追うかたちで、ってことなのかな」

 自分で言っておいてあれだったが、いよいよ下世話もいいところだった。

「叶多君あのさ、それ以上詮索するのはさすがに野暮じゃないか? 彼女には彼女なりの事情があったって、それだけのことなんじゃないの? それに僕たちはたった今、その彼女の通夜に行ったところなんだよ?」

 その口調こそ穏やかではあったが、私のくだらない質問はどうやら彼の癇に障ってしまったようだった。

「……悪い。高畑の言うとおりだよ」



「私は明日のお昼過ぎから仕事だから、悪いけど今日はこのままゴメン。同窓会って来年の一月だったよね? その時にはまた帰ってくるから」

 スタート地点の校舎が間近に見えてきたところで、本日のリーダーであった芝川さんがパーティーからの離脱を宣言した。

「みんなはどうする?」

 サブリーダーの高畑の問い掛けに、残りのメンバーは互いに顔を見合わせ首を傾げた。

 なにせこの町で今から遊びに行けるような場所など存在していないことは、ここの住人である我々が一番よくわかっていた。

「じゃあまあ、お開きとしますか」

 特に反対意見が出なかったこともあり、来年一月の同窓会での再会を約束すると解散と相成る。

「あ、ねえねえ中原くん」

「ん?」

「あのね、申し訳ないんだけど駅まで送ってもらえないかな?」

「ああ。ぜんぜんいいよ。高畑もいいよね?」

「もちろん」


 テレビのニュースで今年の夏は冷夏だと聞いていたが、私の住んでいる都会の街においては例年とさして変わりのない灼熱の日々が続いていた。

 緑が多いとはいえ、四方を山に囲まれた盆地に存在するこの町もさぞ暑いのだろうと覚悟を決めてやってきたのだが、実際に訪れてみたら季節をひとつ前倒しにしたかのように涼しかったので驚いてしまった。

 今もこうしてエアコンも使わず窓を開けているだけで車内の熱は即座に排出され、入れ替わり入ってきた涼し気な風が汗ばんでいた首筋を早々に乾かしてくれる。

 ふたりの同乗者と二、三言葉を交わしているうちに、あっという間に高畑の家まで戻ってくることができた。

「あ、叶多君。帰る時でいいからもう一度寄ってってよ。うちで採れた野菜、食べてもらいたいからさ」

 そう言って笑顔を見せた彼の白い歯だけが暗闇の中に浮かんで見えた。

「わかった。その時にまた連絡するよ」

「高畑くん、また来年ね!」

「うん。芝川さんもまたね」


 高畑の家をあとにした私たちは、次の目的地である隣町の駅へと向かった。

 学校を出発する前に調べた経路では、このまま県道をひたすらに走って山をひとつ越えればたどり着けるはずだった。

 車が山道に差し掛かる直前、ドライバーシートの対角の後部座席に座っていた芝川さんが突然声をあげる。

「中原くんごめん。そこの自販機、よってもらってもいい?」

 言われるがままに、漆黒の闇の中で煌々としたLEDの白い光を放つ箱の前に車を寄せる。

「中原くんはどれがいい?」

「自分で買うよ」

「どれがいい?」

 彼女の押しの強さは相変わらずの様子だった。

 さすが元クラス委員長なだけある。

 普段ならコーヒー一択だったが、早朝に起こされて半日もステアリングを握っていた体が、まるで目の前の自販機に群がる蛾や甲虫たちの嗜好を真似るように糖分を求めていた。

「じゃあ……メロンソーダ」

 子どものようなオーダーを黙って受け入れた彼女は自販機へと詰め寄る。

 どうせ一服するのであればと、私も彼女に続いて星空の下へと打って出ると、自販機から少しだけ離れた路側帯脇の縁石に腰を下ろす。

 日中に蓄えられた熱がズボン越しに伝わってくる。

 それはまるで水泳の授業中にプールサイドのコンクリートの上に座った時のような、少しだけ懐かしさを感じるような温かさだった。


「おまたせ。はい、コレ」

「ありがとう」

 キンキンに冷えた缶に入った黄緑色の液体を喉に流し込む。

 メロンソーダなどという代物を飲んだのは子供時代以来であったが、大人になった今であれば断言できる。

 これは絶対にメロンの味ではない。

 あえて言うならメロン味味だろうか。

 そもそも色味以外にメロンの要素を感じる部分がないような気すらする。

「相変わらずいい飲みっぷりだね」

 彼女はそう言って小さな声で笑うと私のすぐ隣に座り、甘酒でも飲むように小さな缶に入ったオレンジジュースをチビチビと口に運んだ。


 暗闇の道路脇に座り込み、黙々とジュースを飲む礼服姿の若い男女。

 この光景を通りかかったドライバーが目にしたらどう思うだろうか。

 時期が時期だけに不安な気持ちにさせてしまうかもしれない。

 そんなどうでもいいことを考えながら、飲み終わった缶を自販機の横に設置されたリサイクルボックスに捨てるために立ち上がろうとした、その時だった。

「叶多くん」

 唐突に芝川さんに呼び掛けられ、縁石から腰を数ミリだけ浮かした状態で彼女のほうを向く。

「あのね。私ね。三日前の夜にね、電話をもらったの」

「電話を? 誰から?」

「……唯ちゃんから」

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