5
路上駐車した車の横で私は思い切り後悔していた。
確かにホストに対して強い憤りを感じていたのは確かだが、あんなに取り乱してしまうなんて。自分のみっともなさに少し落ち込んだ。
こんなことだから女はヒステリーだと言われてしまうのだ。
男たちに隙を見せてしまったことが本当に悔しい。
しばらくすると常田が店から出てきた。
「いやぁ。草間さんの啖呵凄かったですね。みんなびびってましたよ」
常田は私の前に来ると笑顔でそう言った。
「これ一応貰ったんで渡しておきます。ストレスたまってるなら話し聞きますよ。だそうです」
そう言って常田は私にカイシュウとトシミチの名刺を手渡した。
私はそれを二つ折りにしてパンツのポケットに入れた。誰が行くもんかホストクラブなんかに。収まりかけていた怒りが再沸騰しそうになった。それを押さえ込みつつ私は無言で車に乗り込んだ。
常田も運転席に乗り込むと、シートベルトを締めながら真剣なモードに戻ってこう言った。
「次は大久保公園に行きましょう。ミズキの友達の子、マイカかマイナ……。その子を探しましょう」
「そうですね。そうしましょう。なんか取り乱してしまってすいません……」
常田のモードの切り替えによって私も頭が冷えてきた。
常田がエンジンをかけ発進しようとした直前、何かを思い出したようだった。
「あっ、そうだ。現場のラブホテルすぐ近くですけど、見てみますか?」
素人の私が事件現場を見たところで何かを見つけ出せる訳でもないだろう。でもせっかくなら見てみてもいいかもしれないと思った。ただの好奇心かもしれない。
「はいじゃあ。お願いします」
「分かりました」
そう言うと常田は車を発進させた。
狭い路地をくねくねと五分ほど行くと、事件のあったラブホテル「ラ・フランス」に着いた。
ホテルは事件を受け、特殊清掃が終わるまでの間は休業に入るという。入り口には警備のために警官が一人立っていた。
その警官に挨拶をし、ホテルに入った。
殺害現場となった部屋は二階にあった。
常田がホテルのスタッフに鍵を借りてきた。
今時珍しくルームキーを直接ドアの鍵穴に差し込んで、手動で開閉するアナログなドアだ。
昭和の名残りがそこにあった。
鍵を開け中に入る。
全面鏡張りだった。前後左右、そして上にも私が映っている。昭和レトロな雰囲気だ。
床の絨毯の色がおかしい所がある。もしかしたらそこに被害者が倒れ、血が流れていたのかもしれない。そう想像すると背筋が寒くなった。
「僕はホテルの従業員の人と話してきますね」
そう言って常田は部屋から出ていった。
部屋に一人きりになった私は、意味もなく部屋の中を歩いてみる。絨毯以外に変わった所はないように見えた。ただただここで凄惨な事件が起きた事実の重みを噛み締めていた。
もういい。私も部屋を出よう。そう思ったその時。
(おかあさああん───)
声が聞こえた。小さな女の子の声だった。
こんな所に小さな女の子がいるだろうか?それとも外からの声がここまで聞こえてきたのだろうか。
(おかあさああん───)
さっきよりはっきりと聞こえた。声は部屋の中でしていた。不安が胸にうずまく。
(ドダダダダダダダダダッ)
今度は何かが部屋の中を駆け回る足音のような音が聞こえた。それと同時に視界の端で何かが動いたのが分かった。
寒気がして鳥肌が立った。不安が恐怖に変わった。
「誰?誰かいるの?」
(おかあさああん───)
私が見ている方の壁の鏡に、部屋を走り回る、熊のぬいぐるみを抱えた小さな女の子が映った。
私の後ろにそれはいる。足がすくむ。逃げたいのに逃げられない。
(おかあさああん!おかあさああん!おかあさああん!ぼがあざああああん!)
何かが私の足にぶつかり、そしてまとわりついた。私は視線を下げ足元を見る。
小さな女の子が片手で私の右足に抱きついていた。そして、もう片方の手で熊のぬいぐるみを抱きかかえている。
女の子がゆっくり顔を上げて私の顔を見た。
女の子の顔の皮膚は、腐ったバナナの皮のように真っ黒だった。目が合うと、女の子は真っ赤な血を目から流しながら微笑んだ。
「いやあああああああ!」
私が悲鳴を上げると、その女の子は姿を消した。
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