6
私は思わずその場にへたりこんでしまった。恐怖で震えていた。今のは何だったんだ。あの女の子は誰なんだ。あれはひょっとして幽霊?
「草間さん!大丈夫ですか!」
常田が部屋に戻ってきた。ちょうど部屋の前に着いた時に私の悲鳴を聞いたらしい。常田はしゃがみこんで私の背中に手を回した。
「どうかしましたか?」
「小さな女の子が……出ました。たぶん、幽霊が……」
「幽霊?」
私の突拍子もないように思える言葉にも常田は冷静だった。
「ここはちょっと嫌な気を感じますね。もう出ましょう。さぁ」
常田は私を支えながら起立を促した。私はどうにかして立ち上がった。常田のおかげで平静を取り戻しつつあったが、足は若干まだ震えていた。
やっとの思いでホテルを出て車までたどり着いた。
助手席に座ると一気に気分は落ち着いた。外の空気が気持ちを入れ替えてくれたようだった。
「またもや迷惑かけてすいません。幽霊を見たなんて変な事を言ってしまって」
「いえいえ。私も見たことありますよ。殺人事件の捜査をやってると、まれに現場でそういう不思議なことを見たりするものですよ」
常田みたいなエリートがオカルトめいた事を肯定するとは意外だった。
「やっぱり殺人現場には強い念みたいなものが残るんでしょうね」
でも不思議だ。あの部屋で殺されたのはホスト、若い男だ。なのに出てきた幽霊は熊のぬいぐるみを抱いた小さな女の子だった。ホストの幽霊が出るなら分かるが、なぜ熊のぬいぐるみを抱いた小さな女の子だったのだろう。
私はその疑問を常田に話した。
「容疑者の女、ミズキが怪談師の男から熊のぬいぐるみを盗んだっていう証言が取れてるんです。SNSに怪談師の男とミズキが揉めている動画が上がっていて確認済みです。その熊のぬいぐるみは呪われてるらしいんですが」
「それが影響を与えてるんですかね?」
「分かりません。ミズキが盗んだ熊のぬいぐるみと草間さんが見たものが一緒の物かは、はっきりしないので」
「そうですね」
安易に断定しないのはさすが刑事だ。
「熊のぬいぐるみについても調べてるみたいです。逃走先や動機の解明に繋がるかもしれないので。ただ持ち主だった怪談師の男とは連絡がつかないみたいなんですが」
ホストと客のトラブル。それだけにおさまらない何かオカルトめいた因縁がこの事件にはあるのだろうか。私はこの事件に漠然とした得体の知れなさを感じて、気が重くなった。
「草間さんもう落ち着きましたか?大丈夫そうなら大久保公園に向かいましょう」
常田が微笑みながらそう言った。
「ありがとうございます。大丈夫です。頑張ります」
「良かった」そう言って常田はエンジンをかけた。
狭い路地をしばらく行くと明治通りに出た。そこから北に向かい職安通りにぶつかると左に曲がった。
「最初は公園の周辺を車で流して様子を見ましょう。何か気づいた事があれば教えてください」
「分かりました」
事件の捜査だという雰囲気が一気に高まった気がして緊張してきた。
大久保公園についた。
狭い路地で、さらに人も多いので自然とスピードが落ちる。じっくりと様子を見られそうだった。
昼の二時でも、客を待っている女の子がいた。見たことのある顔もあった。
「草間さんどうでしょう?」
「ナオミって子が立ってました。その子は毎日欠かさず朝から晩まで立ち続けて頑張って稼いでるんです。あの子なら何か知ってるかもしれません」
「じゃあまずその子に話を聞いてみますか」
ナオミはちょっとした有名人だ。毎日欠かさずどんな時間も客を待っているせいで、大久保公園の様子をカメラで撮影するユーチューバーの動画に必ずといっていいほど映っているのだ。なので、その手の動画をよく見る人たちにとっては「名物立ちんぼ」のような存在になっていた。
「私は顔バレしてるのでいきなり行ったら摘発だと思われて逃げちゃうかも」
常田は私のその言葉に「なるほど」と軽く言った後に続けた。
「それじゃあ僕が買春客を装ってホテルまで連れていくので、草間さんはホテルの入り口に隠れて待っていてください」
「分かりました。ナオミは白いワンピースを着て髪を二つに結んでいる痩せ型の背の高い子です」
待ち合わせのホテルを「リンゴ」というホテルに決めると、車をパーキングに停めた。
常田は大久保公園に、私はリンゴに向かう。上手く行くだろうか。緊張しながら五分ほど待つと、常田とナオミがやって来た。
ナオミは待ち構えていた私を見て「えっ!」と声を出して驚いた。常田はポケットから警察手帳を取り出してナオミに見せた。
「うそっ!摘発?マジかよ!」
ナオミは泣きそうな顔になりながらそう大声を出した。
「ナオミちゃんお久しぶり。でも今日は摘発じゃないから安心して」
私の言葉を聞いても信じられないのか、ナオミはまだ泣きそうな顔をしていた。
「騙してごめんね。昨日ホストが刺されて亡くなった事件知ってるかな?それについて話を聞きたくて。ナオミさんのことは捕まえないので本当に安心してください」
常田がなだめるようにそう言った。ナオミは少しまだ不安そうだが、少し気を取り直したようだ。
「刺されたのって維新のリョウマでしょ?ホスクラもその話題で持ちきりだよ」
ホスクラとはホストやその客、その他の水商売に関する事を語り合う、インターネットの掲示板サイトだ。
「ナオミちゃんミズキって地雷系の子知ってるかな?その子も大久保公園で立ちんぼしてたんだけど」
常田はメモ帳とペンを持って話しに聞き入っている。
「ミズキ?分かるかも」
「どんな些細な事でもいいから知ってることない?」
「その子、路上喫煙女とめちゃくちゃ仲いいよ。いつも一緒にいたみたいだし、その子に聞いた方がいいんじゃない?」
カイシュウとトシミチが言っていたマイカだかマイナだかいう女の子だろうか?
「ありがとうございます。その路上喫煙女は今日も来るかな?その子の特徴とか教えてくれる?」
黙って聞いていた常田がそうナオミに尋ねた。ナオミは溜め息をついた後、早口で喋り出す。
「ほぼ毎日みかけるし、そろそろ来るんじゃない?ジーンズにレザーのジャケットとかを着てることが多いかな?髪はボブ?肩くらいまでの茶髪で。ハイジアの駐車場出口横の植え込みの所によく立ってる。背が高くてすらっとしてる。煙草をぷかぁっていつも大久保公園の方見ながら吸ってるよ」
ナオミの過不足ない説明に感心した。
「ありがとう。感謝します」
私は頭を下げてナオミにお礼を言った。
「もういい?私稼がなくちゃいけないからさ」
ナオミは不機嫌そうにそう言った。
「お時間取らせちゃってすいませんでしたね。ご協力ありがとうございました。もう大丈夫です」
常田のその言葉に、ナオミはくるっと勢いよく回転すると私たちに背を向け、早足にホテルから出ていった。
「路上喫煙女を待って話を聞きましょう」
私と常田は大久保公園の中に入り、そこで路上喫煙女を待つことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます