新宿警察署保安係 草間カズエ

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「おお!ついにホスト殺されたかぁ!」

 会議室ドア横の〈歌舞伎町ホスト殺人事件特別捜査本部〉と、躍動感溢れる達筆な文字で書かれた張り紙を見て、思わず私は素っ頓狂な声を出してしまった。

 我ながら不謹慎であると思うが少しだけ胸のすく思いがした。口元も心なしか自然と緩んでしまった。法の番人である警察官としてあるまじき反応である。

 ホストなどという、下衆を絵に描いたような商売をしている輩でも家族はいる。大事に大事に育てた親御さんもいる。悲しむ人がいる。殺人はどんな理由があったとしても許される事ではない。

 それは重々承知の上で、それでも心が踊るような思いを隠しきれなかった。


 ホストは憎むべき女の敵である。

 

 ホストという商売の実情を知れば知るほど、こいつらは全員地獄に落ちるべきではないか?という極端な思考が頭の中で浮かび上がってしまう。

 あいつらにとって女は、自分の利益のために使い捨てる雑巾か何かなのだ。

 男の利益や欲望のために女は搾取され続けている。その搾取の構造は今も昔も、どんな世界にも残念ながら存在している。それを堂々と公然に、最も醜悪な形で可視化しているのがホストの世界ではないかと思う。

 悲しむ女たちが少しでも減るように、ホストの世界はいずれ潰すべきだと本気で思っている。


「しかしあれですねぇ。自分たちの努力も報われないですねぇ」

 私と同じ保安係の山根が、溜め息まじりに話し掛けてきた。

 山根は入庁五年目の若手で、私の息子よりも少し若い。まだまだ頼りなさが残るが仕事熱心で真っ直ぐ純朴な青年である。

「話し掛ける前に、挨拶ぐらいしなさいな」

「それはそれは失礼しました。草間お母さんおはようございます」

 山根は嫌味っぽくそう言うと深くお辞儀をした。

 普段から礼儀に関して口酸っぱく山根には指導している。山根はそれを少し疎ましく思っているらしい。それ自体は別に気にしてはいないのだが、お母さんみたいだと思われるのは心外だ。

 歳を重ねた女を全員お母さんと呼ぶ世間の風潮はどうかと思う。私はあくまで先輩警察官として指導しているのだ。属性ではなく一個人として見て欲しいと思う。

 でもこういう事を口うるさく言うとフェミだなんだと揶揄される。それもまた女を属性に当てはめる行為だろう。

 

「路上売春をする女の子を減らしたい、助けたいと思って頑張ってるのに。何度も摘発して、立ち直りを支援してきたのに、結局助けられずに殺人させちゃったんですから、なんというか徒労感が凄いですよね。草間さんもそう思いませんか?」

 山根が下げていた頭を戻すと、すかさずそう言った。

「容疑者は路上売春してた子って断定されてるんだ?」

「そうみたいですよ」


 路上に立ち買春客を待つ女性、いわゆる立ちんぼの増加に危機感を持った警視庁と新宿警察署は、この問題の解決のため、最近になって本腰を入れ対策を始めた。

 警視庁保安課風紀係と連携してその対策を実行しているのが私たち新宿警察署の生活安全課保安係だ。

 路上に立つ女性たちを定期的に摘発し、拘束した。しかし逮捕、送検するのが目的ではない。基本的には検察には送検しない。

 最大の目的は、拘束した女性一人一人と面談をし、更正のための様々な支援策を提示する事だ。それを聞いた女性が希望をすれば、行政や民間の女性支援団体、NPOへと取り次ぐ。


 私は拘束した女性との面談を数多くこなした。

 しかし、支援を受けたいと希望する女性は少ないのが現状だ。

 釈放されると、だいたいの女性がすぐにまた路上へと戻っていってしまう。

 将来の事よりも目の前にいるホストに貢ぐ事が優先なのだ。刹那的な生き方しか出来ない。そんな女性が多い。

 だから、山根が抱いている徒労感も理解できた。私もこの仕事に意味があるのかと思い悩んだ事もあった。

 

 それでも路上に立つ女の子たちへの支援の提示をやり続ける事は大きな意味があると今は確信している。

 今、支援はいらないと思ったとしても、何かあれば助けてくれる人がどこかにいるのだという事実を彼女たちが知ることができれば、それが困難な状況に陥った時に彼女たちの希望になると思うからだ。

 もし今回の事件の容疑者が、本当に路上に立つ女性だとしたら本当にいたたまれない。

 支援の提示が出来ていれば極端な行動に走ることはなかったかもしれないじゃないか。

 救いの手からすり抜けてしまっていたのだとしたら、私は容疑者に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになるだろう。


 その後も捜査本部入り口付近であれこれと山根と喋っていると、保安係長の永島さんが早歩きで近づいてきて捲し立てた。

「草間さん、山根君、十時から捜査会議が始まるんだけど、保安係も出席してほしいって本店の方から連絡あったからよろしくね」

 そう言うと忙しいのかそそくさと何処かへ行ってしまった。

「捜査会議出れるのかぁ。ワクワクするなぁ」

「こらこら遊びじゃないんだからね」

 嬉しそうに色めきたつ山根の頭に、私はゲンコツをくれるポーズをした。

 

 

 


 



 

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