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十時になる五分前に捜査会議に出席する新宿警察署の面々は皆、捜査本部に入り着席した。本店の捜査一課と共に捜査を担当する刑事課強行犯捜査係と鑑識の面々は堂々と前の方に陣取って待機している。
保安係は場違いだと身の程をわきまえ、後方に慎ましく固まっていた。私と山根は一番後ろの席を選んだ。
「俺たち保安係は何するんでしょうね」
そうする必要もないのにわざわざ内緒話をするように山根は小声で耳打ちしてきた。しきりに視線をあちこちに向けて落ち着かない様子だ。
「容疑者が路上に立ってた子だから、その関係で確認したい事があるんでしょ。保安係は別に捜査に参加するわけでもないし、大したことするわけゃないんだから、慌てず騒がず目立たずやり過ごせばいいのよ」
私の投げやりな言葉につられるように山根も「ですよねぇ」と投げやりに返した。
そうこうしているうちに勇ましい足音が聞こえてきた。警視庁捜査一課の面々が到着したようだ。
新宿警察署長の鍋島に導かれて、今回の捜査の指揮を取る皆川管理官を先頭に、十名の捜査員がやってきた。
皆川管理官と鍋島署長が上座に座り私たちに顔を向けた。
皆川管理官は短い髪を綺麗にオールバックにして縁のないクールな眼鏡をしている。切れ長の目も相まってその風貌は、さながら任侠物Vシネマの登場人物かというような強面だった。
「えぇそれではさっそくですが捜査会議を始めさせて頂きます。皆川管理官どうぞ」
肩書きとしては捜査本部の副本部長である鍋島署長がそう切り出して会議が静かにスタートした。鍋島署長の実質的な仕事はこれで終わりである。ほっとしたのだろう鍋島署長の緊張が解けたのが表情筋の緩みで分かった。
「みなさんお疲れ様です。今回の捜査の指揮を取らせて頂く皆川です。よろしくお願いします。早期解決に向けて力を合わせて頑張りましょう」
強面な外見とは裏腹に皆川管理官の声と喋り方はとても穏やかで柔和だった。
会議の始まりはまず事件の概要についての説明だ。新宿署の刑事課の一人が立ち上がり紙を見ながら話し始めた。
概要はこうだ。
昨日夜、二十三時頃、歌舞伎町のラブホテル、ラ・フランスの一室にて男が血を流して倒れているのが発見された。
第一発見者は歌舞伎町のホストクラブ「クラブ維新」従業員の二十代の男性だった。
倒れていたのは、第一発見者と同じホストクラブの従業員、佐久間リョウタ、二十五歳。店での源氏名はリョウマだった。
第一発見者の男性によれば、被害者は客の女に会いにラ・フランスに行くと言い残して二十時頃に店を出た。しかし数時間経っても店に戻らず、連絡も取れなくなった。不審に思った男性がラ・フランスに様子を見に行ったところ、被害者が倒れているのを発見したという。
通報を受け、歌舞伎町交番の巡査が最初に現場に到着し死亡を確認。事件性が高いとして新宿警察署刑事課に連絡した。
連絡を受けた新宿警察署刑事課強行犯捜査係と鑑識班が現場に到着。被害者に多数の刺し傷がある事を確認し殺人事件と断定した。その後、警視庁捜査一課庶務管理官が現場に入り状況を確認。そして特別捜査本部の立ち上げとなった。
被害者が会いにいった客の女が事情を知っていると見て、初動捜査により付近の路上やネットカフェ、ラブホテルをすぐに捜索したが女性の行方は掴めなかった。
被害者が会いに行ったとみられる客の女はミズキと名乗る若い女だという事が、ホストクラブの従業員の証言と、被害者の携帯電話の通話記録によって確認されている。
ミズキと名乗る女の顔はSNSに投稿された動画で確認出来た。その動画をラ・フランスのフロントスタッフに見せた所、その日ホテルへ十九時頃に来た女と似ているという証言が取れた。
容疑者はそのミズキという女でほぼほぼ間違いないだろうと断定された。
概要の説明が終わると、捜査員全員にミズキと名乗る女の顔が写された紙が渡された。動画から切り抜かれた画像であろう。
「保安係のみなさん。この女に見覚えは?路上売春しているという証言が取れてるんだが」
皆川管理官の言葉に保安係の皆が一斉に顔を見合わせる。誰もピンと来ていない様子だ。私も覚えがなかった。
山根が一度躊躇して引っ込めた手を、しばらくしてから思い切り上げた。
「どうぞ」と言って皆川管理官が右手を上げて山根を指名した。
「な、内偵の時に大久保公園で見かけた気がしますが、摘発の時にはその場にお、おらず、この女の事は今まで一度も拘束した事はないと思われます」
山根がつっかえつっかえなんとか言い終わると、保安係長の永島さんが見かねたのか補足するように続けた。
「記録を確認しましたが、ミズキという名前は見当たりませんでした」
「そうですか。ありがとうございます」
皆川管理官が私たちに向かってニッコリと微笑んだ。
「私たちはこれでお役御免ね」
今度は私が内緒話しをするように小声で山根に耳打ちした。山根は深く溜め息をついた。
私たちの役割は終わったが会議は続く。
「女の足取りの捜索については、現場付近の防犯カメラの解析をまずは進めよう」
皆川管理官はそう続けると本店と新宿署から一人づつ刑事を指名し、その捜査にあたるよう指示した。
「それと容疑者についてもっと知る必要があるな。それによって逃走先の洗い出しができるかもしれない。ホストクラブの従業員や路上に立っている女性たちへの聞き込みも引き続きやっていこう」
どの刑事がその捜査に指名されるだろうか。私はすっかり部外者になったつもりで気楽に見守っていた。
「常田君頼むよ」
本店から指名されたのは、まだ若い三十代くらいの刑事だった。本来この手の聞き込み捜査にはベテランが指名されると聞いた事があるが、若くして指名されるとはよっぽど優秀なのだろう。
新宿署からは誰が選ばれるか。
皆川管理官が口を開いた。
「そこの保安係の女性の方、お名前は?」
一瞬何の事だか分からずに私はその言葉を聞き流した。
山根が私の肩を思い切り平手打ちした。
「そこの保安係の……」
皆川管理官の視線が私に向いていた事にそこでようやく気づいた。私を呼んでいた。思いがけず無視をしてしまっていた。その事に思い切り動揺した。
「あっ、すいません!草間と申します!」
「草間さん。常田君と一緒に聞き込みをお願いします」
「えっ……。私ですか?」
予想だにしなかった展開に私はただただ戸惑うしかなかった。
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