7
「ミズキ大丈夫?何かあった?体調悪い?」
「大丈夫だよ。ちょっと疲れたから座ってただけ」
ミズキは自分が心配される事が不思議だというような口調でそう言った。自分の目の事も黒い煙の事も気づいていない様子だった。
「そうか良かった……」
そう言ってみたけれど、全然良いわけなかった。信じたくないけれど、このぬいぐるみが悪影響を及ぼしているのは明らかだった。この凄く気持ち悪いぬいぐるみからミズキを引き離した方がいい。でもミズキはとても大事そうにぎゅっとぬいぐるみを抱きしめている。
とにかく話しをしなくちゃいけない。いったい何から話せばいいのか。どう切り出したらいいのか。ぬいぐるみのこと。身体の新しいアザの事。
まずは私もミズキと同じように地面にお尻をつけて座る事から始めた。
「ミズキ最近稼げてる?」
色々と思い悩んだ末に出た言葉がそれだった。
「あんまり稼げてなーい」
ミズキは道行く人達をぼけっと眺めながら抑揚なくそう言った。
「マイナちゃんが仕事してる間に三人の男の人に声かけられたけど、この子がしょうもない男にはついていくなって言うから断ったよ」
「この子って誰?」
「この子だよ」
そう言ってミズキは抱きしめているぬいぐるみを指で差した。
私は言葉に詰まった。重苦しかった心がさらに重苦しなった。
「この子よく喋るんだ。うるさいくらい」
ミズキはそれが当たり前かのようにあっけらかんと話した。ミズキの心はついに壊れてしまったのか。
この子には誰かの助けがいる。誰か助けて。そう叫びたかった。でも、私たちはいったい誰に助けを求めればいいのだろう。この暮らしを続けている内に、その事がまったく分からなくなっていた。
叫びだしたい気持ちをなんとか抑えて私は話を続けた。
「稼げてないならリョウマ君の事あんまり応援できないね」
「リョウマ?別にもうどうでもいい。もう切るから」
ミズキの担当ホスト、リョウマの名前を出すとミズキのテンションが明らかに下がった。切るというからにはリョウマとの間に何かあったのだろう。暴力をふるわれている相手はやはりリョウマなのか。
「リョウマ君と何かあっ……リョウマ君に何かされた?」
思い切って勇気を出し、はっきりと聞いてみた。
「別に……マイナちゃんには関係ないでしょ」
ミズキは不満そうにそのまま黙り込んでしまった。機嫌を損ねてしまっただろうか。機嫌を損ねたらしばらく口をきいてくれないのは今までの経験で分かっていた。私もそれ以上何も言えずに、気まずい沈黙が二人の間に流れた。
数十秒後、ミズキが首を横に振り私の方を見た。
「ごめんねマイナちゃん。せっかく心配してくれたのに変な態度になっちゃって」
ミズキは穏やかな表情をしていた。今まで見たことのない安らいだ表情だった。
「もう私ね、マイナちゃんには迷惑かけたくないんだ。自立する。頑張る。だからね、私の事は放っておいて大丈夫だよ」
そう言うとミズキは微笑んだ。
大丈夫なわけない。そう言いたかった。でも言えなかった。ただ頷くしかなかった。
「このぬいぐるみとはね、友達になったの。大事な友達。ぬいぐるみもあのお兄さんじゃなくて私の所にいたいって言ってるの」
私がぬいぐるみについてどう思っているかを見透かしたかのようにミズキは強い口調でそう言った。ぬいぐるみを手離すつもりはないという強い意志が込められていた気がした。
「私今日はもう帰るね」
ミズキは立ち上がった。私も一緒に立ち上がる。このまま帰していいのだろうか。
「ミズキ今どこで寝てるの?もし良かったらまた一緒にネカフェの同じ部屋に泊まろうよ。私今お金あるから快速クラブ行こう!アイス食べ放題だよ!」
ミズキと二人狭いネットカフェの個室で体をくっつけあって寝た、楽しかったあの日々が頭に思い浮かんだ。先に眠ったあどけない寝顔。アイス食べ放題ではしゃぐ無邪気な笑顔。なんとか引き留めたかった。
「だから!大丈夫だよ!心配しないでマイナちゃん!」
「心配なんだよ!」
「私は大丈夫だよ。寝る所もちゃんとある。それにね私、目標が出来たの。」
目標?目標って何?私には目標なんてないよ。その目標に私も連れていって!
「じゃあねマイナちゃん。マイナちゃんは稼がないとだもんね。ノブナガ君の生誕祭近いもんね」
ぎゅっとぬいぐるみを両手で抱いたまま私の前を通りすぎて一番街の方へとミズキは歩きだした。
このまま行かせていいのか。いいわけない。行かないで。行かないでミズキ。ミズキの背中を私は追っていく。
「待って!」
私が叫ぶとミズキは振り返った。
そして、抱きかかえたぬいぐるみの体の部分を両手で持つと、ぬいぐるみの顔が私に見える状態で、私の顔の目の前へとぬいぐるみを近づけた。
ぬいぐるみと目が合った。ぬいぐるみから黒い煙がもくもくと吹き出してくる。黒い煙が私を取り囲んだ。そして目眩がした。ぐるぐると景色が、ぬいぐるみが、ミズキが回転する。
私は思わず目を閉じその場にしゃがみこんだ。
回転が止まって、私は目を開け周囲を見渡した。
そこにミズキの姿はもうなかった。
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