新たな出会いとマングローブ(二)

「よし、終わり」


 最後のチラシを投函し終えた私は、才に向き直った。二週間も待ちぼうけをさせてしまったんだよね。仕方が無い、話くらいは付き合ってあげよう。


「で、何の話をしたいの?」

「そりゃ、あの事件についてですよ」


 まぁそうか。日常とはあまりにもかけ離れた出来事が起きてしまったのだから、誰かと話し共感を得ることで、ストレスを発散したいのだろう。

 私も正直言って苦しかった。夫には事件について大まかな説明しかできなかった。惨たらしい他殺体の詳細など、とてもじゃないが家族に明かせない内容だ。自分の中だけに秘して留めることは大きなストレスとなっていた。


「せっかくなのであそこに寄って話しましょう。ここから近いですし」


 才が言うあそことは一つしかない。事件の起きたアパートだ。私は彼に先導される形で、再びあのアパートに向かった。

 今日は仕事ではないので敷地内へは立ち入らず、出入り口の塀の前で立ち止まった。


「立ち入り禁止のビニールテープは、もう貼られていないのね」

「先週始めにすぐ剝がされてましたよ。他の住人の邪魔になりますからね」

「そっか、殺人事件が起きた場所でも、他の人は住み続けなくちゃならないのか。そうそう引っ越しなんてできないもんね」

「あ、でも、隣りの部屋の人は引っ越すそうですよ」

「へっ? 隣りって、最初に遺体を発見したあの人?」

「そうです。武藤ムトウさんって名前なんですって」


 寝癖マンの名字が判明したが、心の底からどうでもいい情報だった。


「あの人にまた会ったんだ? 才くんは事件の後、度々ここへ来ていたの?」

「はい、仕事のついでに観察してました。犯人は現場に戻るって言うからそれも含めて」


 自分も周りから不審者だと思われるとか、そういった心配はしないのだろうか。


「武藤さんに事件の前後、怪しい人物を見掛けなかったかどうか聞いたんです。そうしたら、遺体を発見する二日前にアパートの入り口、今ちょうど俺達が居るこの辺りで、雰囲気イケメンとすれ違ったそうです」

「雰囲気イケメン?」

「相手はマスクとサングラスをしていたそうで」


 顔の大部分が隠れてんじゃん。


「それでどうして武藤さんは、その人をイケメンだと思ったの?」

「あくまで雰囲気だけですよ。コートを含めた着こなしがお洒落だったそうです。夜勤明けで周辺はまだ暗かったけど、電灯に浮かび上がったその人の立ち姿はとてもスマートで、印象深かったと」

「その人も、ここの住人なのかな?」

「武藤さん曰く、見たのはその日だけだったって」


 寝癖マンは隣人のことも知らなかったからなー。彼の証言はあまり当てにできない。


「イケメンが何処かの部屋に遊びにきた客人だとしても、明け方に帰るって不自然ですよね?」

「そう? 飲みに来て終電逃して、始発までお邪魔していただけかもしれないよ?」

「来訪日も怪しいですって。遺体発見の二日前。何かピンと来ませんか?」

「特には……」


 才は人差し指をたててポーズを取った。


「あの目覚まし時計ですよ。俺達が遺体を発見した日に時計のアラームが鳴っていたでしょ? 武藤さんが言ったこと覚えてますか? 昨日も一昨日も鳴ってたって」

「あ……」


 確かにそのようなことを言っていた。


「イケメンが犯人で、二日前の未明に被害者を殺害したと想定したら計算が合うんです。その日から、止める人が居ない時計が三日分鳴ってたって」


 得意気に推理を披露する才に、私は一抹の不安を覚えた。


「才くん、気になっちゃうのは解るけれど、あまり首を突っ込んじゃ駄目だよ? これは殺人事件で、まだ犯人は捕まっていないんだから」


 老婆心から忠告をしたが、この若者に果たして届くかどうか。自分から死体に向かう無鉄砲な子だからなぁ。


「カナエさん、事件を扱ったニュースを見ましたか?」

「うん」

「被害者は、キリング・ノヴァの元メンバーだったそうですね」

「うん。私ね、現役時代の彼らをテレビで何度も見ていたんだ。まさかあの人が……そうだったなんて」


 キリング・ノヴァ。かつて一世を風靡したロックバンドだ。驚くことに私達が発見した絞殺遺体は、リーダーでベーシストだった木嶋友樹キジマトモキむくろだったのだ。


「元だけれど、有名人が殺されたってことで、ワイドショーが大々的に報道してますね」

「うん……」


 ハッキリ言って眼前に建つのは安アパートだ。壁の塗装は色あせ、鉄製の外階段には錆がそこかしこに浮いている。かつて売れっ子だった芸能人の、終の棲家としては哀しい佇まいだ。

 ちなみにキリングとは終わらせる者、ノヴァは新星を意味する。終わらせるけど新しい、結局どっちですか? とりあえずカッコイイ音を繋げて名前にしただけだろうと、つい邪推したくなる。


「俺が生まれる前の話だけど、彼らはアレを歌ってたんでしょう?」


 才はキリング・ノヴァの出世作のことを言っているのだろう。


「そう。マングローブは原生林。アレは彼らの曲よ」


 私達が遺体の有る部屋で見つけたシングルCD。コタツテーブルの上に置かれていた、彼らにとって最初で最後のヒット曲。殺される瞬間、被害者はどんな気持ちでそれを見つめていたのだろう。


「あの曲、ちょっと変じゃないですか?」

「ちょっとどころじゃなくて、だいぶ変でしょうよ」


 私は当時のことを思い出して答えた。


「学校でもよく話題になっていたよ。あのふざけたタイトルと歌詞は有り得ないって。バンドの雰囲気はクール系なのに、歌詞がコミカルでちぐはぐしていたんだよね。そこが面白いってヒットしたっぽいけど」

「いや、そういうことじゃなくて、一番と二番の歌詞が……」


 才が何やら説明しようとした時、私達は背後から声を掛けられた。

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