泥生む沼

 沼への道は、獣道を拓いたものだった。


 道の脇に暗渠なり開渠なりがあるのかと思ったが、どうやら水路と沼への道は別々になっているらしい。道の両脇は切土で造った法面になっており、地面には大小様々の岩や石を埋めこみ、舗装した跡がある。石畳は苔で緑に染まっており、わずかに残った土からはカタバミが生えていた。人の往来がなくなったことで、徐々に自然に帰っているようだ。石畳の隙間で生きるには、たくましさの足りない花草は岩石に押しこめられ、道端に追いやられ、かつての住まいを眺めるように斜面の下で首を伸ばしている。人間は住処を拡げるとき、動物だけでなく植物も放逐する。


 しかし、世界の覇者たる樹木はそうはいかない。かつては辛うじての抵抗として、《シカロ》の住民は根を切るなり、斜面に盛土をするなりして道を維持していたのだろう。道の両脇に聳える木々には、ときおり不自然に折れくねった根が露出しているものがあった。だが、たかが十数年で樹々はその権威を取り戻している。


 舗装に使われた岩石は、根により下から押しあげられ、ところどころでひっくり返っている。それでもやはり、柔らかな土を好むのか、ほとんどは岩の間を縫って生えている。 掘りだされた岩石と地面から露出した根のせいで、水平な階段のようになっている道は、お世辞にも歩きやすいと言えるものではなかった。


 ことさらに片足で歩くには辛い道で、歩きはじめてすぐにキノエは水緒に追いつけなくなってしまった。あまりにもこちらの足が遅すぎたのか、それとも気遣ってくれたのかは表情を読み取れなかったが、水緒は途中で黙ってキノエの背嚢を奪い取り、代わりに背負ってくれていた。


「水、飲む?」


 キノエとは対照的に息一つ上がっていない水緒が、竹筒の水筒を差しだしてくる。


「ありがと……」


 キノエが喉を潤すと、水緒はせがむような目を向けてくる。


「話の続きね……」


 片足が折れて牛歩のような足取りで進むキノエに、水緒は文句一つ言わずに沼への道案内をしてくれている。さりげなく先導し、道を示しながら。その理由は至極単純で、自分の知らない外の話を聞けるからだろう。加えて、キノエの足取りが重ければ重いほど、話を聞ける時間は延びるのだ。わざと歩きにくい道を教えているのではなかろうかと勘ぐる程度には、水緒は話を楽しんでいるようだった。


 大した話はしていない。今まで見てきた〈怪もの〉のことだけでなく、キノエが腰を落ちつけている集落ムラの話をするだけで、水緒は興味津々に聞き入っていた。特に、普通の集落ムラは樹上に家を建て、木々の枝から枝に橋を架けて暮らしている点には、大層羨ましそうに「〈蜘蛛矢〉で集落ムラの中を飛びまわれる?」と訊かれた。樹上集落の構造に幼い想像力を膨らませ、大きな遊具のように思っているようだった。「たぶんね」と濁しながら、きっと見られることのない光景を夢想する少女に、喉になにかつまるような感じがした。


「そう言えば、沼の〝声〟って知ってる?」


 道中で、水緒は不思議なことを訊いてきた。


「いや……聞いたことはないね」


 こちらの返答に、水緒は少し嬉しそうにする。


「知らないなら教えてあげる。なんかね、お母さんが言うには、沼のことがなんとなく解るんだって。これって〈怪もの〉かな?」

「あぁ、そういうことなら、たぶん違う」


 永く沼の近くで生活していた《シカロ》の住民たち特有の感覚だろう。山を見て日和見をするように、自然からなにかしらの兆しを捉えるのはよくあることだ。直感が無意識の経験則の発露であるように、根拠のない積み重ねでも、何度も繰りかえすうちにくれば、それが正しいと思うようになる。それが迷信と呼ばれるか、信仰と呼ばれるか、あるいは風習とされるかは、度合いの問題だ。


「漁師や狩人が海や山の様子を見て〝機嫌〟を感じ取るのと同じで、〝声〟っていうのはある種の比喩だろうね」

「なんだ……つまんないの……」


 水緒は明らかにがっかりした様子だった。水緒からすれば、なんでも知っているキノエに、自分の知識をひけらかしたかったのだろう。とぼけた振りをして、年相応の自尊心を満たしてあげるべきだったかな、とキノエは苦笑した。


「水緒は、その〝声〟っていうのは聞こえるの?」

「わたしには聞こえない。でも、沼の〝声〟は知らないけど、お母さんのいる場所なら、なんとなく解る」


 それは雑談の中の思わぬ言葉だった。


 沼の〝声〟とやらとは違い、明らかに経験則とは異なるものだ。〈泥人〉としての感覚――母体との繋がりがあるのだろうか。赤子として起こる〈泥人〉は、単独では生きていけない。そのために、自らを育ててくれる母体の位置を知る術を持っているのかもしれない。


 なんにしろ、これ以上は〈泥人〉について踏みこんだ話をしなければならないので、キノエは深く触れないにとどめて、適当な相槌を打った。


 それから三十分ほど話をし、水を飲みを繰りかえし、ゆっくりと進んでいると、突然目の前の道が開け、森の中にぽっかりと穴が開いたように青空が現れた。


「着いちゃった……」


 残念そうに水緒が呟いたのを耳にするまでもなく、目にした光景で目的地に辿りついたのは一目瞭然だった。


 芙蓉の花のような沼だった。


 決して大きくはないが小さくもない。対岸は目に見えて、ぐるりと周囲を歩くだけならば一時間もかからないだろう。植生や地形としては、さしたる特徴もない。足がつくほどではないが、水深は浅いほうで、一番深いところでも簡単に潜れそうだ。水の透明度は高く、奥に行くほど柳色をした水の緑が濃くなっていく。濃淡のついた水は、沼がすり鉢状をしていることを教えてくれていた。


 目を引くのは、沼の中央に生えている木だ。


 すり鉢状の水底の花弁に立つ花柱のようだった。周囲の森の木ほどの背はないが、立派な幹をしている。水際に流れつく特徴的な扇状の葉からして、イチョウだろう。しかし残念なことに、昔に落雷でも受けたのか幹は中程から裂けていた。裂けた根本から二股に分かれており、自重を支えられなかったのか、枝垂しだれている。奇跡的な釣りあいで、真っ二つになっていない様は、枝葉で均衡を保つ天秤のようだった。


 それだけでも十分奇矯だが、さらに目を引くのは、天秤イチョウは二股の根本から


 こんこんと、ささらに水は流れだしており、幹を伝い静かに沼へと落ちている。水の通り道の湿った幹は、うっすらと青く、ちらちらと光っていた。水に溶けた〈あおまし〉が析出しているのだ。沼をぐるりと見ても、《シカロ》へ続いているであろう用水路に続く下流しかなく、上流から合流している河川の道筋は見当たらない。とすると、少なくともあの天秤イチョウが、この沼の水源であるようだった。


「キノエ、あれ解る?」


 天秤イチョウを見つめていると、水緒が言った。


「いや、珍しいね。あんなのは初めて見る」

「〈怪もの〉?」

「違うね。あれは自然の神秘ってやつだ」


 不思議そうにする水緒に言う。


「たぶん湧水だよ。裂けた幹がうろになっていて、そこから溢れだしているんだろうね」

「なんだ……」


 つまらなそうにする水緒へ、キノエは微笑う。


「十分珍しいものだよ。あの木が生えた真下に涌泉があった、なんて単純な話じゃない。ある程度まで成長した木が、落雷かなんかで幹に洞を作って、その上で真下から水が綺麗に湧きでないと成立しないんだから。しかも、あの様子だと、あの木は沼ができる前から生えてたはずだよ。色んな偶然が重なってできた、すごい木だ」

「そうなの?」

「そうさ」

「……そっか」


 心なしか、水緒は少し誇らしげにしているように見えた。地元のものが褒められて嬉しがっているのかもしれない。


「キノエが食べた魚、わたしがここで獲ったんだよ」

「結構でかかったろ。一人でよく獲れたね」

「簡単。罠を仕掛ければいいんだもん」

「罠か。自分で考えたの?」


 水緒は首を横に振った。


「お母さんから教えてもらった。なんか、お母さんはとかいうのをしてたから、そういうのに詳しいんだって」

「へぇ……」


 おそらく、水取もいとりのことだろう。水の管理者を表す言葉として伝わっているものだ。水源の重要さから考えるに、生家か婚家かは知らないが、しょうこの家は集落ムラの長のようなことをしていたのだろう。しかし、水取という一般的ではない――というより、普通はそんな言葉を知っている人間自体いないだろう――し、職名にそんな洒落た名をつけるような知識人が偶然いたとは考えにくい。もしかしたら、過去に《一族》の《貢献派》が訪れて、《シカロ》の住民に治水の知識を与えたのかもしれない。間接的に先祖の尻拭いをさせられている可能性があると思うと、時の巡りあわせに苦笑いが込みあげてきた。


「水緒はここでの生活はどう……」


 先祖の失敗やらかしが関わって母娘の現状いまがあると考えると、肚の底にしこりのようなものを感じる。幼いころから慣れた環境で、豊富な水があり、水場で魚が獲れても、母娘だけで暮らすには厳しい環境だろう。自分のせいではないと解ってはいた。だから、これは責任感ではない。森の木々や鳥獣、虫たちが奏でる自然の揺らぎに耳を澄ませるような、生きるものへの愛しさに似ている。ただせめて、幸福であってくれれば、という願いだ。


 キノエの質問に、水緒は首を傾げた。


「別に普通」


 呼気のような相槌でキノエは曖昧に返事をした。普通。言われてみればそうだろう。幸福に物差しはない。個々人が今以上を望み、維持と達成ができれば、それが幸福だ。その閾値は数量化できないし、規定できたとしても目盛りの始まりの零は互いにずれる。人間に虫の幸福は計れない。いっそ、誰かを憐れむこと自体も無意識の幸福となりえる。


「沼の魚食べて、森の中で遊んで、たまに獣を狩ってる。お母さんも、沼の水を飲むだけで元気」


 確かに、〈泥人〉の影響で近隣の森は豊かなのだろう。加えて、天秤イチョウから湧きでる〈あおまし〉が溶けだした水は栄養豊富に違いない。魚も育つし、過剰に摂取しない限り、人体への害もないはずだ。。それが不幸でないのなら、それ以上でも以下でもないのだ。


 なら、まぁ、いいか――悪い癖だなと、キノエは頭を掻いた。どうしようもないことを考えこんで腑に落とそうとしてしまう。自分は特殊なだけで特別ではない。呪文のように心の中で呟いた。


「さて……」


 キノエは沼のほとりへ行き、水面を覗きこむ。水はほんのりと碧色を帯び、水底で陽の光が穏やかな水流に合わせて踊っていた。ゆらゆらと揺れる水草はどれも大きく、合間を小さな魚が泳いでいる。体全体に黒い点があり、真ん中に紅梅の横縞模様が一本ある。ニジマスの稚魚だ。そこから少し離れた深水に、きらりと光るものを見つけた。青い木だ。かつて、この地を住まいとしていたものだろう。全身が〈結晶キノコ〉に覆われており、青い珪化木となって水底で煌めていた。


 水の跳ねる音がし、顔を上げると、顔ほどはありそうな魚が、水中に戻るところだった。飛沫と共に小さな波が起きる。水面に十重二十重の輪を描いたが、こちらに来る前に静かに水へ溶けた。杖で体を支えながら、キノエは片手で水を掬い、口へ運ぶ。よく冷えており、潤いが喉を下っていくのがよく判った。


 口を拭いながらキノエは水緒を呼ぶ。


「私の荷物持ってきてくれる?」


 水緒は背嚢を持ってきて、キノエの横に置いた。


「なにするの?」

「標本採集」


 水葬された赤子が蘇ったという話がある以上、〈泥人〉が起こった原因はこの沼だ。この場所でなにかしらの形で〈灰泥〉が溜まっており、それを元にして〈泥人〉は発生したはずだ。


 問題は、それがどこなのか、ということだ。


 沼のなにがどのように〈怪もの〉を起こしたのか、それが判らなければ〈祓い〉を行うべき対象も手段も見えてこない。それを知るためには、怪しいものを片端から調べる必要がある。天秤イチョウから〈あおまし〉の溶けだした水が流れこんでいる以上、単純に考えれば、最も疑わしいのは沼の構成要素だ。すなわち、水質と底質――水と土だ。


 キノエは折れた足を伸ばしながら地面に座りこみ、自分の股元に背嚢を置いて中身を漁りはじめた。かちかち、きしきし、と器具が擦れる音がする。耳慣れない質感の音が珍しいのか、背中越しに水緒が覗きこんでくる。彼女の黒髪が横に垂れてきて、あの甘い匂いがした。


「その、透明なの、なに?」

「これは合成樹脂。人工的に作った松脂みたいな容器だよ。持ってみな」


 樹脂製の管を一つ、水緒に手渡す。掌に乗った物が、予想以上に軽くて驚いたのだろう、小さく瞠目していた。キノエはその様子に小さく笑いながら、管に沼の水を注いでいく。その傍らで水緒は物珍しそうに、管を陽にかざして、しげしげと眺めていた。


 沼の水の味は普通だったが、見た限りで考えられる生物相と、実際の生態系が微妙に一致していない。


 沼の大きさから考えられる栄養量に対して、生物はどれも大きい。小魚と言えるのは稚魚くらいで、水棲昆虫もよく育っており、どれも普通の一回り以上はある。水草は透明な水の中で、目視して判るほどに長く繁茂しているが、大量の枯草で水質を濁らせてはいない。


 見た目以上の栄養があることは間違いない。しかし、藻類が大発生して水面を緑色に染める、いわゆる『水の華』はできていない。過栄養になっているわけではなく、自然な意味で水に溶けこんだ栄養は、均衡が保たれている。採った水も濁りもなく綺麗なもので、目に映るものだけでは、水が原因かどうかは判らない。


 じゃ、次だな――採取した水を背嚢にしまい、新しく別の道具をキノエは取りだす。持ってきていた竹筒の水筒のうち、往路で空になったものを一個、それと布切れ、縄、紐だ。


 小刀で竹筒の両端の節を切り落として管にし、片端を布切れで覆い、外れないように紐で縛る。もう片端には適当な穴を開け、縄を通して結わいた。


 工作の様子を隣で見ていた水緒が訊いてくる。


「なに作ってるの……」

「採泥器。これで沼の底の土を採るんだよ」


 水に浮いてこないように、その辺の砂利を重石代わりに適当に入れる。重すぎて底が抜けないか、試しに宙に持ちあげてみた。布地は張ってはいるが、紐が取れる気配はない。即席の道具としては十分だろう。


「水緒、これを沼の真ん中辺りに投げてもらえる?」

「いいよ」


 水緒は採泥器の縄を持ち、竹筒を振り回して勢いをつけはじめる。ちょっと勢いが強すぎて、布覆いがふっ飛ぶのではないかと不安になったが、水緒の手を離れた採泥器は無事に着水した。


 採泥器が沈み、沼の底に着底するまで十分に待ってから、ゆっくりと水緒に縄を引いてもらう。


「なんか、ちょっと重くなったかも」

「それでいい。筒の中に泥を入れるのが目的だから」


 じっくりと縄を引いて、水緒に引きあげてもらった採泥器は、思ったよりも汚れていなかった。水底の泥はべとつきが少ないようだ。


 採泥器をしばらく宙に浮かせて、余分な水気を切ってから中身を確認する。満杯とまではいかなかったが、器の半分ほどまで泥が入っており、量としては十分だった。


 採れた泥を少し手に取り、臭いを嗅いでみる。鼻腔の奥に重くつく、雨あがりに似た臭みがあるが、鼻が曲がるほどの悪臭はしない。腐った有機物が堆積してヘドロ化はしていないようで、沼の中の分解者はしっかりと働いているようだ。あるいは、沼の底に〈灰泥〉が溜まっており、物質循環を活性化させている可能性もあるが、やはり見た目からだけでは判断がつかない。


 当たり前だが、標本採集しただけで出せる結論はなにもなかった。採取したものを、より詳しく調べる必要がある。しかし、この場ではこれ以上に調べられることはないので、持ち帰るしかなかった。


 採取した泥は布の上に広げて乾かすことにした。あとで調べるときに、水が要因かどうか判断するためだ。幸い、沼の空は開けており、日光がよく当たる。この程度の泥ならば、小一時間ほどで水気が抜けるだろう。


 泥が渇くのを待つ間、キノエは周囲の散策をすることにした。


 沼の岸沿いをぐるりと目で追ってみると、やけに綺麗に整っていることに気づく。水流による浸食と、動植物による地形変化だけの自然な形ではない。その証拠に灌漑を行ったと思しき場所が二つあった。


 一つは歩いてきた道に近いところに、木製の小型の水門が置かれている。水門には縦引きの戸があり、後ろには開渠が掘られていて、緩やかにだがしっかりと水が流れていっていた。取水口だ。これが集落ムラに続く用水路だろう。


 もう一つは、右手にある岸の一部を占拠しており、台形に石積がされている。石積がされている岸は他とは違い、手前へ末広がりに掘削されていた。


「水緒、あの石が積まれている場所がなにか知ってる?」

「知らない。でも、お母さんがたまになにか調べてる」


 造りを見るに、堤防だろうか。頑強な石積の中央には、木造りの簡素な巻きあげ式の水門らしきものが設けられている。鳥居に似た形の枠の中で、頑丈に組まれた木の仕切りを上下に移動させる方式のものだ。水位調節のための排水路、おそらく樋門だろう。しかし、沼の規模に対して、過剰に大きく丈夫に作られている気がする。


「ちょっと、見に行ってみるか」

「危ないから触っちゃダメって、お母さんが……」

「近くで見るだけだよ」


 堤防に近づくと、やたらと頑丈に作られている理由はすぐに判った。


 石積の真後ろは、急な斜面になっていた。護岸をしないと、氾濫したときに沼がこの岸から一気に壊れてしまうのだろう。堤防の裏を覗くと、斜面の一部も石で舗装されており、樋門から悪水を流したときに崩れないようになっている。


 補強された斜面周りに広がる森は、傾斜に沿って傾き気味に木が生えている。木々の間はまばらで、それほど大きくはなく、周囲よりも背が一段低い。まだ若い木たちによる、空の太陽を求める領土争いの最中なのだろう。といっても、百年は下らない生存競争だ。それが今起きているということは、元々は木の生える余地のなかった土地が、になって植物たちに開拓されたのだ。


 つまり、この沼は、ため池だ。


 元々は天秤イチョウから流れでる水が、地形の傾斜に従って、ささやかな小川として樋門のほうへと流れていたのだろう。それを《シカロ》の住民が見つけ、流れを堰き止めた。あとは、この場所に水が溜まるように少しずつ底を掘り、岸に土を盛り、木を伐り、水路を掘っていった、というところだろう。養殖できるような生きた魚は手に入りにくいので、放流したとは考えられない。あとの生態系は、鳥や獣の糞便で運ばれてきた卵や種子で、自然と育まれたと考えるのが自然だ。


 事実だけを見れば、人間が自然を作り変えたよくある例だ。しかし、通常とは異なるのは、やはり天秤イチョウだ。〈結晶キノコ〉が析出している洞を通り、〈あおまし〉が濃く溶けだしている水が、この沼の水源だ。元来、小川としてあったときは、それで自然な状態でなにも問題がなかったのだろう。しかしそこに人が手を加えた結果、流れていたものが溜まるようになった。本来ならば、〈あおまし〉が濃くなることなどなかったはずの場所だ。


 集落ムラにしか発生しない〈怪もの〉の近くに、〈あおまし〉の濃い人工物がある。


 やはり〈泥人〉はこの沼から生まれたのだ。

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