諦めた一族
焼き林檎の香り。
子供のころ、勉強の合間に母が持ってきてくれた、おやつをキノエは思いだす。
キノエの生まれ故郷は、自らを《諦めた一族》と卑称していた。
自立して外に出てから、《一族》が異質だというのは、すぐに解った。他の
その上、隊商から仕入れるものは、特に珍しいものではなかった。
《一族》は、外の文明を測るために粗末な品を買いこんでいたようだった。とっくの昔に自分たちが作りだしたものと比較し、たまにほんの少しだけ手を加えて、放流する。そんなことを繰りかえしていた。
知識の継承だけを目的とし、それを世のために役立てようとは決してしなかったのだ。
《一族》は知識を尊んでいたので、物心ついた頃から勉強をすることは当然だった。大人も子供も学び調べることが普通。だから外には学舎が存在しないことを知った時は、面食らったものだ。
キノエは椅子に座ってなにかを学ぶよりも、自然と戯れるほうが好きだったので、家で宿題をしていたとき、なんで勉強なんかしなくてはいけないのかと、母に文句をこぼしたことがある。
母の答えは「《一族》の罪だから」というものだった。
罪、というからには先祖がなにか悪いことをしたのだろうとは、子供の時分でも解った。しかし、見知らぬ他人同然の人間のしたことを、自分が代わりに償わなければいけないことに納得できなかったし、なにより、誰に許しを乞うのか理解できず、ぐずった。
母はそれに怒るわけでもなく、逆に笑いながら「確かにそうだ」と応じた。
「先祖なんて、血が繋がっている
では、『諦めた』ことが罪なのか、と続けて問うと、これまた母は笑いながら返した。
「だったら諦観に染まるだけで、話は単純で良かったんだけどね。《一族》の罪は、その後なんだよ。世界が緑に覆われることを阻止するのを諦めたあと、《一族》は二つに分かれたのは知ってるだろう?」
そのことについては、何度も歴史を学ばされて知っていた。
約一〇〇〇年前、世界は〈
〈あおまし〉を創った祖先は、〈あおまし〉を操る術を持っていたらしいが、〈赤光の布〉により、その手段を永遠に失ってしまったのだ。それでも孫の代までは〈あおまし〉を操る術を取り戻そうと努力していたが、やがて無理を悟った。
その後、先祖は自らの持てる知識の使いかたで二つに分かれた。人々のために知識を使う《貢献派》と、知識をより深めることを求める《研究派》だ。しかし、愚かな《研究派》は次第に倫理観を失っていき、人体実験などの禁忌を冒すようになり、それを止めようとした《貢献派》と衝突し、争いが起こった。結果は《貢献派》の勝利となったが、その代償として様々な知識が散逸した。
その末裔が、今の《諦めた一族》だ。
歴史、として教えられているが、キノエはこの話に懐疑的だ。植物に感染するほど小さな〈あおまし〉を祖先が創ったという時点で嘘くさいし、巨大な赤い光る布というのも信じられない。神話は類型化するというし、《一族》の祖先の偉い人が、知識に対する教義を設けようと
しかし、なぜか母を含めた大人たちは、これを事実だと信じているようだった。
「この歴史の教訓はね、『知識の暴走は防がなくてはならない』ってことだよ。文明の承認を得ながら、足並みを揃えて前に進んでいかないと、知識は
でも捨てなかったんでしょ、とキノエは不満げに言った。だから勉強などさせられているのだ。
「そうだね。祖先は我慢できなかったんだよ。過去の文明が失われるのを潔く受けいれればよかったのにね。いいかいキノエ、諦めて文明を崩壊するがままにしたくせに、
なにが悪いのか理解できず、不満そうに焼き林檎をぱくついていると、「美味しい?」と母は訊いてきた。芯をくりぬいて、中に蜂蜜とバターを詰めて丸ごと焼いた林檎は、甘くて柔らかい、とろりとした食感の果肉に、溶けた脂の甘い汁が絡まっている。当然、頷いた。
「それも知識の賜物だよ。甘い林檎も、蜂の蜜も、濃厚なバターも、知識がないと作れない。知識を扱う人間はね、
ではなぜ外に行く人がいるの? と訊いた。《一族》は〈怪もの〉に関することだけは、積極的に外との交流を持って解決しようとする。それは、『諦めた』ことへの贖罪のようなものだと思ったが、母の口振りからすると、どうやら違うらしい。
「そんなの決まってる」
母の回答は明瞭だった。
「危ないからさ」
その言葉には、どこか自嘲を込めた冷笑の響きがあった。
「先祖のやらかしで起こる〈怪もの〉は、現代文明にそぐわない現象だからね。場合によっちゃ、〈怪もの〉をちょっと調べただけで、色んな段階をすっ飛ばして完全に理解したつもりになった奴が出てくる。《
戦争で得た教訓と根っこは同じさ、と母は言葉を継いだ。
「それが、《一族》が〈怪もの祓い〉をする理由だよ」
キノエは、今では母の言っていたことは理解しているし、歴史の事実も知っている。知識で補強された認識で世界を見ることで、自然と自分も知識に依存していくようになった。
知識は客観的事実であるから揺らぐことはない。それ自体は常に悠然と世界に存在するものだ。知識はなにもしない。正当を示すだけだ。なのに持つものと持たざるものの間には、明確な差が生じる。なぜなら知識は知性の触媒なのだから、
『1』『 』『3』
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電気も遺伝子も知らない人々の間にはびこる迷信を目の当たりにしたとき、キノエはそれを正したくて堪らなくなる。けれど、性急な知識の伝承は、餌付けされた野生動物が家畜になるように均衡を崩す。だから《一族》は、外の進歩に合わせて、ほんの少しだけ知識を正すに留めている。
そのことを理解したとき、《一族》が特権的な存在のように思えた。その気になれば、神や悪魔のように振るまうこともできたのだ。けれどそうはしていない。惑わさないし、裁かないし、救わない。自然な流れに任せるだけだ。
その在りかたが傲慢と言われたら、否定することはできない。解決策を知っているのに黙って眺め、過ちを知っているのに正さない。しかし、知識の開放は、善意からか悪意からかにしろ、価値観の変容を伴う。破壊といってもいい。そして主導権は持つものの側にあり、持たざるものは教えの種を植えつけられる。本来育つべきだった未来の文化を、過去の文明が殺してしまう。
キノエは、迷ったとき、いつも母が冷笑気味に言っていた言葉を思いだす。
「驕ってはいけないよ。ワタシらは特殊なだけで、特別ではないんだから」
つまるところ、罪などといってお茶を濁しているが、《一族》は、自分たちに自信がないのだ。
なにせ、一〇〇〇年前に
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