混沌と書いて書いてカオスと読むらしい


 テーブルに並ぶ朝食を前にして、皆の空気は一触即発状態に陥って......はいなかった。むしろ、皆昨日より仲が深まったかのような、そんな雰囲気でもある。



 刹那さんに部屋から出るな、と言われていた僕以外の一同は、刹那さんが経緯を説明するために一旦解放され、その説明を前にしての腹拵え中である。僕はてっきり、刹那さんに何かしらの不満があったり、場の空気がピリついたりするのかな、とそれなりの想定をしていたが、現実は僕の想定の斜め上をいっていた。


 まず気になるのが、那菜と澄さんの態度だ。両者一貫して笑顔、それも清々しい程の満面な笑みを浮かべて朝食を口にしていた。明るい笑顔もここまでくると、最早狂気の沙汰であろう。....輪廻と晃樹さんは、まぁいつも通りな気もするけど、それでも少しの疑問も持っていなさそうなのはおかしいと思う。うん。


 カウンター席の他に、四人掛けのテーブル席が三セットあるこの事務所。テーブル席に輪廻、那菜、澄、晃樹さんが座り、僕と刹那さんはカウンター席に腰掛けていたのだが....。あの四名の雰囲気が気になりすぎて、ろくに食事が喉を通らないのが現状である。


「刹那さん、あれ、どう思いますか....?」


 自分一人の思考能力ではどうにも理解できないと考え、横に座って白米を口にしていた刹那さんにそう聞くと、刹那さんは米を咀嚼し飲みこみ終わってから口を開いた。


「———私にも分からねぇな」


「ですよね....」


 湯呑みに注がれた緑茶を啜り、「まあ」と更に言葉を続ける刹那さん。


「———私らがしっかりやれば、みんな揃って結果オーライだ」


 さりげなく澄さん達の方向に目をやりながら、自信ありげに刹那さんはそう言った。




 ————————————


『視点切り替え:第三者』


 刹那の強気な発言から時間にして十分後、朝食の皿やらを片付け終えた一同は朝食時と同じ座席に座り、皆の注目を集めるような立ち位置で話そうとする刹那に視線を集中させていた。


「———全員、何となくで事情を察してるだろうが....もしかしたらこの中に、桜と日記を狙ってるやつがいるかもしれねぇ」


 包み隠す必要が無い。そう割り切ったのかストレートに言葉を投げる刹那に、一つの質問がぶつけられた。———輪廻だ。


「話の途中でアレなんですけど、もう少し具体的に昨日の状況を説明してもらえませんか?じゃないと、全然話が飲み込めません」


「分かった。全部説明する」


 そう言って、刹那は数刻前に桜に説明したことを端的にまとめて、一同に説明した。


「なるほどね。....必然的に桜クンが犯人から除外され、尚且つ犯人を目撃した張本人である刹那も、その項目から除かれる。そう言った主張かな?」


 ほうほう、と感心したような様子で澄が顔を縦に振った。


「ああ、概ねそれであっている。———んで、私としては、このまま全員でバチバチに話し合って犯人を探し出すのは少々面倒臭い。だからな......こうすることにした」


 ———刹那の右手が、すぐ横にいた桜の首を思い切り掴んだ。桜の首はか弱い女子のような細さで、少し力をこめれば簡単に捻り潰されてしまいそうな程だった。


 文字通り声にならない呻き声を発し、必死に抵抗する桜だったが、不意をつかれたことや単純な筋力の差が相まって、現状打破には決して至らなかった。


「———刹那さん!?何してるんですか!!」


「そ、そうですよ!!こんな事しなくてもっ、みんなで話し合えば!」


「五月蝿ぇな。....話し合いなんて緩い事しても、意味ねーよ」


 輪廻の絶叫にも似た叫びに続き那菜も呼びかけるが、それでも刹那の意志は変わらないのか、首を絞める手は弛まなかった。


「———さて、どうするよ犯人さん?確保が目的なら、桜を殺されたくねーだろうな。....ま、早めに名乗りあげるんだな」


 桜を片手で、もう片方の手にはいつの間にか刀が握られていた。刀で牽制し、容易に輪廻や晃樹を近づけないつもりらしい。その行動が意味を成したのか、戦闘術に長けた輪廻や晃樹は、上手く近づけず、反撃できない状況に陥っていた。


「姉さん....!こんなの止めようよ....!桜クンが死んじゃうって!!」


「だったら、犯人が名乗り上げるのを呑気に待っとけよ」


 実の弟の必死な説得を一蹴し、吐き捨てるように言った刹那。その瞳には光が微塵も無く、言わば漆黒の様な瞳をしていた。....晃樹が何も言い返せずに引き下がると、反対に一歩前に出たのは輪廻だった。


「———さ....を....して」


「あ?聞こえねぇな」


「———桜を、離してっ!!」








「隙あり──────。」






 輪廻の叫びとは違った、比較的若い男の声が室内に響いた。その言葉とほぼ同時に、桜を拘束していたため思うように動きが取れない刹那の心臓に、ナイフの様な鋭利な刃物が迫る。———漆黒のフードに身を纏った人物が、ナイフで突進してきたのだ。輪廻も、晃樹も、那菜も、澄も、誰も男の接近....いや、そもそも男の存在にすら気がつけなかったのである。よくよく見れば、寝室と玄関のある廊下の扉が開いており、おそらく男は刹那の行動から起こった騒ぎに乗じて、玄関から堂々と侵入してきたのだろう。


 男の握る刃物は男の体ごと刹那目掛けて接近し、もう誰も追いつけない。この場の殆どの人物が本能的にそう悟った、その時だった。


「———バーカ、おせーんだよ」


 男の体は、宙を舞っていた。


「———は?」


 男が自分の状況を理解するよりも前に、刹那の回し蹴りが空中に投げられた男の鳩尾にめり込み、男は勢いよく壁に背中を強打する。


「ぐっ!!??」


「ハッ、私と桜が間違った推理をしてる....そう思って判断を早めたんだろうがな、考えが浅すぎんだよ」


 苦しげに呻き白目を剥いて気絶した男に、刹那さんが勢いよく言葉を吐き捨てた。


 ———目まぐるしく変化する状況に、一同....否、刹那と桜を除いた四名の顔に焦りが浮かぶ。———そして、桜と刹那の表情には、勝ち誇った笑みが刻まれていた。


「———晃樹、事情は後で説明すっから、外で待機してる特務員の奴らに身柄を引き渡してくれ。一応、その後の処理も任せたぞ」


「え?あ、うん。分かったよ姉さん!」


 刹那に言われて一瞬戸惑いを見せた晃樹であったが、何せ彼は重度のシスコンのため、親愛なる姉の言うことを断れず、素直に男を担ぎせっせと外に飛び出していった。それを見届けてから、刹那が言う。


「......悪かったな、桜。首、大丈夫か?」


「あくまでフリですから、大丈夫です。刹那さんって演技上手いんですね」


「そうか?これでも未経験だが」


「まぁ何にしても、怪我なく無事に終われて良かったですね....」


「だが、輪廻と那菜には申し訳ない事をしたな....」


「———ちょ、ごめん、何が何だか....。それに、あの男誰!?」


 刹那と桜の、謎の『やりきった感』が醸し出される会話に割り込んだのは、先程からその顔に疑問ばかり浮かべて困惑していた人物———輪廻だった。そんな輪廻に、「ごめんごめん、説明するから」と苦笑しながら言った桜が、説明をしようと口を開いた。


「えぇと、どこから話したら良いのか分かんないんだけど....。この男は、僕の身柄を確保して、日記を奪おうとしてた奴で。この男を捕まえて大元の情報を得るために、刹那さんと僕で一芝居打ったんだ。....その、結果がどうとかじゃなくても、皆を騙したことになるから....。ごめん」


 何処か気まずそうにしながら頭を下げた桜。それを刹那がフォローする。


「まぁ、なんだ。別に桜が悪い訳じゃねぇ。この作戦を考えたのは私で、実行したのも主としては私だ。だから、桜のことは責めてやらねーでくれ」



 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




 ———時は、桜と刹那が話し込んだ早朝に遡る。



「....分かりました。僕も、できる限りのことはしてみます」


「おう。頼んだ」


「はい」


 これで会話が終わったと思い、席を立とうとした桜の腕を、刹那が掴んだ。そして間髪入れずに、いつの間にか取り出したスマートフォンの画面を見せてきた。口に指を当てて、『静かに』というジェスチャーを加えながら。


「........?」


 一体何事か気になりはしたものの、桜は素直に従い、スマートフォンの画面を覗く。


 ———盗聴されている。


 画面にはそう書いてあった。慌てて自身のスマートフォンを取り出し、メモアプリを開くと、桜は素早く文字を打ち込んだ。


 ———それって、日記を奪おうとしてる人たちがやったんですか?


 そう打ち込み、刹那さんに画面を見せると、刹那さんが再び画面を見せてきた。


 ———そうだ。私もたった今気がついた。このカウンター席の裏に二つ、あと三つくらいはあるだろうな。....あの日記がここ最近反応を示してねーのも、なんか関係があるのかも知れないが。


 ———盗聴器、壊した方が良いですか?


 ———いや、このまま気づかないふりをして、敵を炙り出す。


 ———了解です。


 ———まぁ、幸い監視カメラらしき物は無さそうだから、今後、この件で話したいことがあったらさりげなく教えてくれ。


 ———はい。あとでチャットアプリで繋いでおきますね。


 ———おう。....あと、私の勘だが、敵は今日来るんじゃないかと考えてる。


 ———刹那さんの勘って、当たるんですか。


 ———自分で言うのも何だが的中率百パーだな。


 ———じゃあ、信じます。


 ———なぁ、今パッと思いついた作戦、説明しても良いか?


 ———大丈夫です。





 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 そうして説明されたのが、今回の作戦だったと言うわけだ。


「......いや、別に責めたりはしませんけど....。それよりも、何で事前に相談してくれなかったんですか」


 輪廻の投げた質問は、至極当然の質問であろう。仲間がいるにも関わらず作戦を二人で実行したのは、あまりにもリスクがある、言わば賭けの行動なのだ。そんな輪廻の問いに答えたのは、刹那だ。


「作戦の立案から実行まで、時間がなかったのが理由だな。....まぁ、それ以外にも一つあるが」


「何ですか、その一つって」


「べ、別にもう関係なくないっ?あ、刹那さん、今後のことで話し合わなくて良いんですかっ?」


 明らかな動揺と声の震え。いきなり会話に割り込んだ桜が話を逸らそうと必死になっていることは、誰の目からも一目瞭然であった。そんな桜を輪廻はじっと見つめ、一言「怪しい」とこぼす。


「刹那さん、教えてくださいよ」


「んー、そうだな。まぁ別に教えても良いか。よし、那菜と澄は桜を押さえておけ」


「りょー」


「はーい!」


 刹那の一言で澄が動き、それに続いて那菜が進路を立ち塞ぐようにして仁王立ちする。それに気を取られ、文字通りあっという間に肩をつかまれた桜は、「澄さん!?」と驚きの声を上げた。ニヤニヤと顔を歪ませた澄は、その見た目通り余り力が無いが、それは桜も同等であり、互いに力が拮抗し澄の拘束から桜が逃れられることは無かった。そうこうしているうちに、刹那が口を開く。


「———実はな、桜が言ったんだよ。『僕が狙われているのなら、輪廻と那菜は関係ありません。...危険に巻き込みたくないので、二人には黙ってて欲しいんです』ってな」


「桜が....」


「あいつ、自分から囮役を引き受けたし、それも含めて結構漢気あるよな」


「......はい。桜は、そういう性格なんですよ」


「損な性格だな....。ま、桜はその方が良いのかも知れねーが」


 そう言って刹那が視線を向けたのは、今も尚澄と那菜に拘束され、イジられている桜だった。刹那の桜に向ける視線が、瞳が、何故か寂しそうで、懐かしそうで....。それでいて、キラキラと輝いていた。少なくとも、輪廻にはそう感じ取れた。


 刹那の瞳に何か嫌な予感を覚え、輪廻は気がつけば思わず思考を口に出していた。


「刹那さん、もしかして桜のことを........」


「ん?何だ?」


「桜の、ことを......す、す........」


「......?———あー、なるほどな。ククッ、安心しろって。私は年上が好みなんだ。あいつはちょっと若すぎる。対象外だよ」


「そ、そうですか........良かった」


「いやぁ、恋する乙女は眩しすぎるな....。輪廻もまだJKだもんな....。私にもそんな時期があったよ」


「———え?輪廻は高校の頃から恋愛経験ゼロで、しかも周りから目つきの悪さで怖がられてたじゃん。あ、中学の頃からそうだったか(笑)」


 輪廻を揶揄っていた刹那に、突如澄が必殺の煽りをかまし、「なっ!?テメェ言うなっての!あと(笑)って何だよ!」とすかさずドロップキックをお見舞いする。


「輪廻!こいつやっちまえ!」


「えぇ....なんかキモチワルイから嫌です」


「酷くない!?僕に対して当たり強くない!?」


「よーし、ヨツ君!私たちも一発くらいやっちゃお!」


「那菜!?そんな事言うキャラだったっけ......?」


「那菜ちゃんに関しては私怨しかな———ブハッ」


「っしゃ、こいつもあの男と同じ末路にしてやるか」


「ねぇ今殴った人誰?手加減って知ってる?イジメ?え、労基行くよ?レベルの高い合格点を超えてくるイジメ、オールウェイズ出してく———グアハッ」


「顔面にラーメンでもかけてやりましょうか」


「もう、めちゃくちゃだ....。カオスすぎる......」







 それからと言うもの、身柄引き渡しに向かった晃樹から『かなり遅れて帰ることになりそう。みんなは何もしなくて良いかも』という報告を受け(絶賛『田中澄・血祭りパーティー』開催中だったため桜が連絡を受けた)、結局桜達がその後何かやることは無かった。こうして、今回の一件は無事終わったことになる。


 少し暗さを帯びてきた空を背に、部屋中に澄の悲鳴が轟いた。まるで、事情も知らないまま忙しなく働いている晃樹さんに捧げる激励のメロディーのように———。

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