早朝、吐くため息の数知れず


《視点切り替え:四門桜》


 微かに明るみを見せ始める空。窓から差し込む太陽の光によって、曖昧な意識は覚醒へと導かれた。目が覚めてまず脳内に浮かぶのが、『見慣れない天井だな』という特に意味のない思考だった。純白の天井はどこか異国の地に立ったかのような錯覚を覚えさせ、それも相まってか、普段見慣れない部屋での睡眠は決して熟睡とは言い難い結果に終わった。


 浅い睡眠でも、意識は割としっかりしている。覚醒直後でも頭が回り、どこか不思議な感覚だ。


 ベッドから体を起こし、立ち上がって部屋を出る。玄関がすぐ左にあり、廊下を挟んだ向かい側には那菜の部屋が、僕の右には輪廻の部屋がある。———実はこの場所、僕らが昨日入った入り口とは別の入り口で、この玄関はいわば裏口、そして僕らの部屋はバックヤードのようなものになっている。

 ポケットに入れていたスマートフォンの画面を見れば、表示された時刻は午前四時五分。流石にこの時間帯では皆起きていないだろう。


 廊下に吊るされた電球は灯っておらず、暗い視界の中手探りでスイッチを見つけ出し、押す。視界が明瞭なものに変わり、心なしか気分も上がる気がした。廊下を直進し、扉を開けリビングに出ると、何故かこの部屋は電気がついていた。


「ん、随分と早起きだな、桜」


 芯の強い凛とした声に名を呼ばれ、声のした右方向に振り返ればそこには、ロングの黒髪とそれに混じる赤メッシュが特徴的な女性———刹那さんがいた。どうやら刹那さんが起きていたため電気がついていたらしい。


「刹那さん、おはようございます」


「おはよ。....いつもこの時間に起きてんのか?」


「いえ、普段はあと三十分くらい寝てるんですけど、なんだか慣れない環境だと熟睡できなくて....」


 苦笑混じりのそんな説明をすると、刹那さんは共感を示すように「あぁ」と頷き、小さく笑った。


「確かに、いきなり話が進んじまったしな。うかうかと寝てられないのも分かる。———インスタントコーヒーくらいしか出せねぇが、飲むか?」


「....じゃあ、お言葉に甘えて。頂きます」


 そう言うと、刹那さんはキッチンの棚から灰色と薄桃色のマグカップを一つずつ取り出し、その中にインスタントのコーヒースティックを入れ、事前に用意していたのか既に沸いていたお湯を注ぐと、灰色のマグカップを手渡ししてくれた。


二人でカウンター席に座り、コーヒーに口をつける。口の中でほんのりと広がる苦味と酸味。もはやそれはインスタントの域を超えていると言っても過言では無かった。


「———美味しい......」


 その絶品さに思わず言葉が漏れ、刹那さんがクスリと笑う。


「気に入ったか?」


「はい!とても美味しいです!」


「ハハッ、そりゃ良かった。実はそれ、私が作ったインスタントスティックなんだが....気に入ってくれたんなら嬉しいよ」


「え、これ、刹那さんが作ったんですか....!?」


「そういう系に強い知り合いがいてな。そいつと一緒に作ったんだ」


 そう語る刹那さんは、先日とはまた違う、柔らかな雰囲気を醸し出しながらマグカップに口をつけた。


「———なぁ桜」


 突然、刹那さんが僕の名を呼んだ。どうかしましたか、という趣旨を込めて刹那さんに目線を向けると、刹那さんは真っ直ぐな瞳でこちらを見つめ、いつになう緊迫した雰囲気を瞬時に作り上げていた。


「な、なんですか....?」


 あまりに急な事だったため、変に声を上ずらせてしまう。だが、そんなことよりもこの空気感に耐えきれなかった。僕があたふたと動揺していると、刹那さんがゆっくりと口を開くのが目に見えた。


「———晃樹、澄、輪廻、那菜」


 そこで一度言葉を区切り、刹那さんは小さく息を吸ってから再び言葉を紡ぎ始めた。








「この中に、私らを裏切ったやつがいる」








 刹那さんの言葉は、酷く鮮明に僕の耳に届き、脳内で言葉の意味を咀嚼するのにそう時間は有さなかった。頭の中が『裏切り』と言う言葉で埋め尽くされ、反論を繰り出そうとして、やめて、また意見しようとして、やめて。口をパクパクと開閉するも、肝心な言葉が喉につっかえて出てこようとしない。


 とにかく、僕に反論できる自信がなかったのもそうだが、それよりも、刹那さんの態度が見ていられなかったのが最もな理由だった。———刹那さんは、その淡麗な素顔を苦しげに歪ませ、思い切り拳を握りしめていた。そんな彼女の姿に、僕の心は引き裂かれるような感覚を覚える。


「刹那、さん....。大丈夫ですか....?」


 何とか言葉を喉から飛び出させると、刹那さんは「......すまない」と微かに呟き、僕もかける声を見失い、そうして訪れる静寂は異常なほど居心地の悪い空間になっていた。


「———あの、一つ聞いてもいいですか」


「......あぁ。私が答えられる事なら」


「裏切り者って、どういった確証から言えるんですか?」


「説明不足だったな。....話は昨日、皆が寝静まった時間帯———ちょうど十二時過ぎぐらいに遡る。私も寝てたんだが、物音がして起きたんだ。最近は物騒な物取りとか増えてるから、もしかしたらと思って、物音のしたこの部屋を覗いた。....したらな、暗くてよく見えなかったが、誰かが電話してる声が聞こえた。機械かなんかで声を変えてたからそれが誰だか分からなかったが、それでもそいつは『四門桜の身柄確保、及び日記の処理を速やかに終わらせる』と、そう言っていた」


「僕の身柄確保....?」


「ああ。間違いなくそう言っていた。捕まえようとしたが、逃げられてな。暫く周辺を探したが、結局成果なしで帰った。んで、咄嗟に澄達全員の部屋を確認したら、桜以外は皆起きてた。———部屋は全て防音加工されてて、声やその他の音は全く聞こえなかったらしい」


 そこまで話し終えると、刹那さんは微かなため息をこぼし、少し緩くなったコーヒーに口をつけた。そんな刹那さんに、僕は一つの疑問を投げかけてみることに。


「———でも、僕が寝たふりをしている可能性もあるじゃないですか」


「......自分の状況を不利にするような事を言うんだな、桜」


「じゃないと、僕が嫌なんですよ。僕はそんな事やってないし、だからこそ自分の潔癖は完全に証明したいんです」


 僕のそんな説明を受け、刹那さんは苦笑する。


「まぁ、桜に関しては完全に白だな」


「どうして?」


「寝てるか寝てないかの確認をするために、輪廻と那菜を超至近距離に近づけさせても反応がなかったからな」


「......距離、どんくらいですか....!?」


「ん?あぁ、確か顔と顔がくっつくギリギリまで近づいてもらったな。....その反応を見るからに大丈夫そうだ」


「ちょ、え、マジですか......?てか、よく二人がそんな事受けてくれましたね....。仮にも女子高生ですよ?こんな平凡な男子高校生の顔に、自分の顔を近づけるなんて」


「......お前、鈍感だな」


「え?」


「いや、何でもない。それよりだ。———桜は誰かに狙われてる事も考慮して、現段階では唯一の安全圏にいる。だが他の奴らはアリバイが無い。私が外を探し回っている間に、裏口から部屋に戻れる可能性はいくらでもあるからな」


「なるほど。じゃあ皆は今どこに?」


「全員夜更かししまくりだったからまだ寝てるよ。一応外に出たら刀で切る、と軽く脅しをかけておいた。...もちろん、私の自作自演も疑われたが、そこまで話していると埒が開かないからな....。ひとまずは皆従ってくれたよ」


「さりげなく凄いことしますね、刹那さん」


「まぁな」


「———あ、そうだ。もう一つ聞きたかったんですけど、何で電話してた人物が僕たちの中にいるって言い切れるんですか?」


「....まぁ、これは私の感覚もあるんだが、私を見た瞬間、そいつは戦闘体制に入ったんだ。勿論、視界は暗かったから気配でそう感じただけだが........そいつの気配が何故か見知った気配のような気がしてな、それもここ数日の間に感じた気配だった。一瞬のことでそれが誰なのかは分からなかったがな。あとは、逃げる時の判断に迷いがなさそうだったことだ。この部屋の構造はまぁ普通だが、暗闇の中で素早く逃げるには、最低でも実際にこの部屋に来てみないとおそらく不可能だからな」


 刹那さんの説明は、非常に理にかなっている。『裏切り者がいる』という言葉がますます現実味を帯びてきて、背筋に悪寒が迸った。ゴクリと唾を飲み込み、ほぼ無意識に重いため息がこぼれる。


「———なんか、話が急すぎて......疲れますね」


「それに関してはすまないな。私の対応も適切とは言えなかった」


「いえっ、刹那さんは悪く無いですって」


「なら良かった。———んで、大体の説明はこんくらいだ。私一人じゃでる案もでねぇから、と思って桜に相談したんだが、何かわかることはあったか?」


「....まだ何とも言えない状況です、ね」


「そうか。まぁ、無理はするな。別に今何かできなくてもいいさ」


 そう言って、刹那さんは残り少ないコーヒーをぐいっと飲み干した。


「まぁ、明らかに無いのは澄だと思うんだが....」


「澄さん?どうしてですか?」


「いや、あいつは馬鹿じゃねぇから、自分よりも強い相手に戦闘態勢をとるはずがないと思ってな」


「でも、その後逃げたのなら、最初は刹那さんだと分かってなかったけど、そうだと分かって逃げた、って言う可能性もあるじゃ無いですか」


「....それも、無くはないか」


「晃樹さんにも、同等のことが言えます。———那菜に関しては分かりませんが、輪廻には戦闘技術がある。でも、輪廻は刹那さんの強さを体感してる。そうなると、那菜以外の全員に同じことが言えます」


「じゃあ、那菜はどうなる?」


「分かりません。でも、那菜は普通の女子高校生ですよ?輪廻は人生五周の過程で鍛錬を詰んだだけであって、那菜に戦闘の技術はないんじゃないですか?」


「なら前提として、戦闘態勢をとったのは何かしらの技術を持った人物になり、それに関しての素人は犯人から除外されるってわけか」


「断定はできませんが、その説が有効かと」


「んじゃあ、澄と那菜は除外、か」


「澄さんはそういった技術はないんですか?」


「あぁ、普通に弱いな。この前なんか、頭突きだけで倒してやったくらいだ」


「....澄さんも大変ですね。———でもそうなると、残るのは晃樹さんと輪廻のみになります」


「できればどちらも犯人で無い方が、双方にとっても良いだろうな....」


「同感です」


 輪廻は僕の大事な友人として、晃樹さんは刹那さんの弟として。どちらも欠けてはならない存在であり、この二人のどちらかが犯人だとは考えたくもない。刹那さんと意見が合い、だがどうすることも出来ないのが現状だ。自分の無力さに、心底腹が立つ。


 両者、意見は出尽くしたと考え、それからは特に議論を交わすことなく、無言の時間が数秒続いた。そんな中ふとスマートフォンに目を移せば、時刻は五時半丁度を示していた。まだこの時間だから、みんな起きてくる気配がないのも当然か。


「———そうだ、もう一つだけ話すことがあってな。桜の家が襲撃された件、あるだろ?」


「あ....。完全に忘れてました」


 頭からスッポリと抜けていた。今更、しかも刹那さんに言われて気がつき、だんだんと心に焦りが生じ始める。そんな僕を宥めながら、刹那さんが苦笑する。


「まぁ、なんだ、そんなに心配はしなくても良いぞ。私が既に処置をとってるし、保険も適応される」


「保険ですか?」


 生憎、そんな保険に入った覚えは無いが、一体どう言うことなのだろうか。脳内にそんな疑問が浮かび、刹那さんに尋ねようとすると、それよりも先に刹那さんの口が動いた。


「保険つっても、この場合は公には知られてない特別措置のことで、日本政府が直々にやってんだ。今回は家の補償とセキュリティ強化費、それ以外にも色々措置がされてるな。....例えば、今桜がコンビニとかで物を買ったら、それを全額請求することもできる」


「え....全額ですか!?」


「おう。まぁ言ってみれば、それほどまでに今回の襲撃を公にしたく無いんだろうな、政府の奴らは」


 刹那さんの『政府』と言う単語が、いやに耳に残る。薄々感じてはいたが、やはり僕らの立場は危ういものになっているのだろう。


 ゴクリと唾を飲み、緊張から体を固くしていると、そんな僕に刹那さんは口を開いた。


「今後のことは、まぁ分からねぇことばかりだが....ひとまずは澄達の監視をしようと私は考えてる。んで、色々ひっくるめて全部終わらせるために、それ相応の準備もしなきゃいけねー」


「....分かりました。僕も、できる限りのことはしてみます」


「おう。頼んだ」


「はい」


 刹那さんの言葉に自信を持って答えることはできなかったが、それでも、僕なりの姿勢を見せて答えたつもりではある。刹那さんが小さく顔を綻ばせ、つられて僕も微笑む。






———こうして、刹那さんとの思いがけない交流は無事、何事もなく終わった......訳では無かった。






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