A 天才と馬鹿は嘘を纏う同類である
《視点切り替え:第三者》
刹那の酒癖の悪さから、あの後の話し合いは一旦お開きとなった。桜、輪廻、那菜の三名は各自部屋が用意され、今日からそこで就寝をすることに。
それから暫くして。いつの間にか日は沈んでおり、現在時刻は午前一時半と日付を通り越していた。事務所のすぐ近くにある街灯だけが、ほんのりと周囲に光をもたらし、そんな街灯に照らされながら、対立するように向き合う男女の姿があった。一人は全身を中学か高校のジャージに包んだ、どこか幼さの残る顔つきをした男性———田中澄。そしてもう一人は澄を警戒の瞳で見つめる、ショートボブの茶髪がかった髪をふわりと揺らした少女———涼波那菜だ。
「———未成年がこんな時間に外出なんて、褒められたものじゃないね」
本音かどうかも分からない感情の無い冷徹な言葉は、澄の口から放たれたものだった。昼間のおちゃらけた態度はどこへやら、一見すると二重人格のようにも錯覚することができる豹変ぶりだ。そんな澄に、那菜は精一杯の皮肉を込めて返す。
「あなたこそ、一体誰を待っているんですか?怪しいからこの十数分間ずっと様子を見守っていましたけど、誰かが来る気配もない。さて、何をしているんですかね」
「そりゃもちろん君だよ。....君の浅はかな策略がバレないとでも?」
「......何のことやら。策略って、何のことを言っているんですか」
「ここに来てシラを切るつもりか。往生際の悪さは情報通り——いや、それ以上だな」
「そもそも」と、開いた口が止まらないのか澄はさらに言葉を紡ぎ始めた。
「初めにあった時から違和感は感じてたんだよね。君、人間の気配がしないよ?」
「仮にも華の女子高生ですよ、私。そういう言葉は失礼じゃないですかぁ?」
「疑問に疑問で返すあたり、相当性格が悪趣味だね」
「それはどうも。でも、あなたの違和感だけで人を人間じゃない扱いなんて、よほど自分の感覚に自信があるんですね」
「まーね。僕、自分の感覚のアテが外れたことないから」
再び皮肉まじりの言葉を投げた那菜に、澄は確固たる自信を以ってそう言った。———両者、暫く視線だけで拮抗し、訪れる静寂が破れたのはその数十秒後だった。
「涼波那菜って名前、偽名だよね」
唐突に投げかけられたその言葉に、これまで余裕のあった那菜の表情に初めて焦りが浮かぶ。が、それは一瞬のことで、すぐに平坦を含む無表情に変わっていた。
「ビンゴかな?まぁ、君についてはこの短時間では調べる限界があったからそこまでは分からないけど、それでも収穫はあった。———正式名称は『No.1』、政府が極秘研究を進めて、初めての成功例が君ってことだ」
「......。」
「その沈黙は反論なしって意味で捉えるよ?———それと、君が政府の管轄外に逃亡し、今も尚逃げ回ってることも既に調査済み。いやぁ、知り合いの腕ききハッカー集団の努力の賜物だね」
「......。」
「もう、だんまりを決め込んでたら議論にはならないよ?まぁ良いけどさ。....僕が知ってることはまだあるけど、要するに君の負けってこと。大人しく認めくれたら助かるかなぁ」
「認めたら、それでどうなるの?」
「別にどうともしない。ただただ僕が納得して終わり」
「認めなかったら?」
「君の身柄を強制的に拘束して、拷問にかける」
「随分と大胆な行動をするんだね。そんなことしたら、ヨツ君達にバレるんじゃないの?」
「君を拘束すると同時に、桜君とリンネちゃんの身柄も拘束する。場合によっては、どちらにも拷問をかけるかな」
「やることが人間じゃないね。さっき私に人間じゃないって言ってたけど、そっくりそのままお返しするよ」
「僕を馬鹿にしてもらっちゃ困るな。僕は虚言を吐かないよ。———というか君、口調が変化してるけど、その点についての説明オネシャス」
「......。」
人の神経を逆撫でし、遠慮なくテリトリーにずかずかと入り込むような、そんな澄の態度に、那菜は目を伏せて少しの時間思考する。そんな那那を前にし、澄は特に何か行動を起こすような素振りはない。———まるで、反論されても確実に論破できる....そんな自信からくる確証のようだ。
「———詰み、か」
ため息混じりの、やや悲観的な呟き。その発言は、澄の口元をにやけさせるには十分すぎる内容だった。
「認めるんだね」
「これ以上の議論は何の意味もない。それよりも、今は桜と輪廻の安全を保証してもらう方が先」
「ん?君は自分の立ち位置よりもあの二人を気にするのかな?」
「当然。別に私のことをどうしても構わない。だけど、二人に危害を加えようものなら、私は容赦しない」
「へぇ。本来なら一個体に感情は生まれないはずだけど、こんなこともあるんだね。やっぱ推測だけじゃ現実は理解できないか」
「その煩い口は縫い合わせて黙らせた方がいいの?」
「わぁ、毒舌ぅ」
「とにかく、あの二人は絶対に守って。危害も加えないで。私のことは伝えないで。この三つが守れないのなら、私は今ここで、あなたを対処しなきゃいけない」
「大丈夫さ。僕は自分の理論が証明されて満足だから。もちろん政府のお偉いさんにも伝えない。アイツら、権力に媚び諂ってばかりで正直好ましくないからねぇ」
「くくっ」と引き笑いし、澄は満足そうに顔を頷かせた。自分の完全勝利だと、そう本気で信じているかのように。
静かに息を吐き、唇を舐めて口の乾きを誤魔化し、那菜の口は満を辞して開かれた。
「あなたの言うことなら、大丈夫なんでしょうね。———あぁ、そういえば今日は『妹さんの命日』でしたっけ。いやぁ、あの子も可哀想ですよねぇ、だってあんな無惨な死に方だったし?」
嘲笑うような、嘲笑的な笑みを澄に向け、那菜はそう言い放った。刹那、澄の目付きは直前とはまるで変わり、瞳の奥のハイライトが消えた。———その姿は、もはや生死の判別すらつかないほど無感情で無機質。言うならば、人間の脳に殺戮技術だけがプログラムされ、ただひたすらに他者を殺して回る人間のような、そんな冷徹さを見るものに抱かせていた。
「その様子、ビンゴかな?....まだ犯人は見つかってない様子ですし、お兄さんの立場としては、もう死に物狂いですよねぇ」
つい数分前の澄の言葉をそのまま返し、澄にぶつける。だが、那菜の挑発は澄の耳には届いておらず、代わりに口を開いたのは澄だった。
「お前、二度と妹の話をするなよ。———殺すぞ」
腹の底から煮えたぎる怒りに、澄の脳内はどす黒い赤で染め上げられていた。猛獣が唸るような、本能的に避けたくなる怒りに、だが那菜は狼狽える様子はない。
再び訪れる静寂が、一体どれほどの時間を有して破られたのかは分からない。数秒だったかもしれないし、十数秒だったかもしれない。だが、そんな静寂を打ち破ったのは後にも先にも那菜だった。
「お互い様、ですよね!———ほら、もうこんな時間ですよぉ?中入りましょー」
「あはは、だね。でも、こんな時間に外出たら危ないよ?今度から気をつけてねぇ」
「はーい」
二人してニコニコと笑いながら、事務所に入っていく。先程までの張り詰めた空気は忘却の彼方に消え去り、そこにあるのは微笑ましい男女の姿のみ。両者、互いに弱みを握りながら、表面上ではあくまで無関係———『涼波那菜』と『田中澄』という関係を貫き通すらしい。
二人の、もう一つの顔....そう表せば聞こえは良いだろうが、つまり、『涼波那菜』と『田中澄』という存在は両者にとって自身の一部でしかないと言うわけだ。
———互いに秘密を武器とし枷とし、この拮抗状態は暫くの間継続されることになる。
———嘘とは、どこまでも便利で美しく、酷く滑稽なものである。
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