Q 天才と馬鹿は同類なのか


「———とまぁ、今話した通り、色々あったんだ....」


 刹那さんが目的地までの道のりを運転する中、僕と輪廻は状況を全く知らない那菜に、これまでの経緯———日記、謎の覆面集団、輪廻の人生周回、それに刹那さんと晃樹さんの事を全て話した。情報量の多さから全て理解できるか心配だったが、流石に那菜もそこまで馬鹿じゃなかったらしく、杞憂に終わった。


「いやぁ、そんなことがあったとは....」


 腕を組み、感傷に浸るかの様子でウンウンと頷く那菜。


「———でも、一番驚いたのはリネっちだなぁ」


「それは僕も同感」


「まぁ、人生を繰り返してるなんて、言っても信じてもらえるか分からないから....」


 そう言って、苦笑を浮かべる輪廻は、どこか気恥ずかしそうだった。....今考えてみると、僕もかなり恥ずかしい事を口走ったような....いや、あれは紛れもない本心だし、別に、うん。———うわ、恥ずかしっ!!


「あれれ、ヨツ君、顔赤いよぉ?体調悪いの?....って、リネっちまで!?」


 僕の顔の赤さの原因を察したのか、輪廻まで羞恥心で悶えていた。


「———っ」


 声にならない苦しみを存分に味わう僕と輪廻を不思議そうに見つめる那菜。そんな光景を、助手席に座る晃樹さんが横目に見て笑った。


「君達、仲良いんだね」


「まぁ、私達付き合い長いんで」


 胸を張って見事なドヤ顔を決める那菜に何やら微笑ましさを感じ、口元がにやけるのが自分でも分かった。それとほぼ同時のタイミングで車体が減速し、完全に静止した。———刹那さんがブレーキを踏んだ、それ即ち、目的地への到着を意味する。....屋外駐車場らしき場所に車を止めた様子だ。


「着いたぞ」


 車内から降り、一同に向けてそう言った刹那さんは、僕らを見回して「随分と大人数になったな」と呟き、それから歩き出した。それに僕らも続く。


 ここら一帯は多くの高層ビルやらデパートやらが立ち並ぶ、言わば都心と称するのが相応しいであろう、そんな場所だった。人の量も異常なほど多く、交差点なんかはもう地獄絵図でしかない。目的地を知りたい気持ちはあったが、ここらの地域を知らない僕が行き先を聞いても意味ないだろう、と考え直す。


 平均して全ての建物が高いため至る所が日陰になっており、少し肌寒さを感じながら、僕ら一行は刹那さんの先導によって着々と足を進めていた。


 道中、珍しい形のストラップや派手な色の綿飴なんかに輪廻と那菜が目移りしながらも、歩くこと数字にして数分。先導する刹那さんがとある建物の前で足を止めたことで、『この場所が目的地だ』と確信する。全体的に暗めの印象を抱かせる様なひっそりとした一軒家らしき建物は、はっきり言えば近寄り難く、オブラートに包めば厳格のある、そんな見た目だ。


『田中探偵事務所』と書かれた、苔とカビで汚れた看板からするに、ここがその探偵事務所なのだろう。.....しかし、見るからに怪しい風貌は、あまり自分から進んで行きたくは無い。こんな場所で探偵業が成り立っているのか、不思議で仕方ない。


 刹那さんが先導する形で再び進む始める。建物の扉を開けると、カランカラン、と心地の良いベルの音がする。———香ばしい珈琲豆の匂いが鼻口を刺激し、ほんのりと温かい色の照明は心を落ち着かせる。入店早々で分かるのが、この場所は『アタリ』だと言うことだ。


 洒落たサックスのBGMがそういった雰囲気を醸し出し、木のカウンター席はまるで高級バーのような造りをしている。そんなカウンター席に刹那さんが座り、僕らもそれに倣って座る。すると、一体何処から現れたか。この場には絶対的に不相応な全身黒ジャージを着用した人物が刹那さんの前に立っていた。


「相変わらず、突然人前に出てくる悪趣味は変わらないな、澄」


「刹那も可愛さは変わらないね☆」


「きめぇ」


「あは、辛辣だねぇ」


 刹那さんの一刀両断な言葉に対しヘラヘラと笑うジャージの人物———澄と呼ばれていたことから彼の名前だろう。....澄さんはチラリとこちらに視線を送ると、その顔の笑みは崩さずに、だが瞳の奥では獲物を狙う鷹のようにして、僕らに声をかけてきた。


「やぁどーも。晃樹は先週ぶりかな」


「ですね。姉さんと三人で飲み明かしたのが最後です」


「いやぁ、あの時はお疲れ様だったね。....それで、この小さな三人組が、例の子たちか」


 どうやら僕達のことを知っているらしい。———大方、刹那さんが事前に詳細を伝えていたのだろう。


「どもども、僕は田中澄。冴えない会社員(笑)でーす。———確か君は四角桜クンだったね?」


「は、はい」


「そんなに緊張してると疲れない?もっと気楽にいこーよ。....で、そこの可愛いお嬢さん二人組が、涼波那菜ちゃんと葉山輪廻ちゃん、だね」


「どーもです!」


「....よろしくお願いします」


 那菜は流石の対応力でいつも通りの様子、輪廻もそんなに緊張した様子はない。僕だけが緊張していたようだ。そう考えると、何だか肩の荷が降りて緊張も解けていく。


「———今、例の日記は持ってるの?」


 前後の会話につながりを持たない、完全に突飛した発言。踏み込んだ言葉に、思わず動揺を隠せない。———が、何とか繕い、今も大事に隠してあった日記を懐から取り出し、手渡しする。


「ありがと」


 何処か幼さの残る容姿で微笑み、ノートを受け取る澄さん。その格好も相まって、高校生や大学生のようにも見えるが、素振りだけで見れば列記とした成人のようにも見える。


 澄さんは日記のページを捲り、その文面に目を通すと、パタンと勢いよく日記を閉じた。


「なるほどね。....刹那、大体は分かったけど、説明した方がいいのかな?」


 平然と、別段何ともないかのような素振りでそう言う澄さんに、僕含めて一同———否。刹那さんと晃樹さんを除いた一同は驚きを隠せない。....刹那さんたちは、何故か笑っていた。


「頼む」


「りょーかい」


 刹那さんに頼まれ、澄さんはヘラヘラと笑いながら『説明』とやらをし始めた。


「ま、いきなり本題に入るけど、この日記はね.....」


 そこで言葉を区切った澄さんは、やけに勿体ぶった素振りを見せながらノートを手元で弄び、暫くしてようやくその口を開いた。


「桜クンにかなり関係があるノートなんだ」


「僕に、関係が....?」


「そ。まぁ率直に説明すると、このノートは君が選ばなかった別の選択を記述してくれる代物......つまり『あの時あの選択をしてればぁ!』なんてことを書き示してくれる日記ってわけ」


 大袈裟な態度でそう説明する澄さんに、僕は少し前に輪廻に説明した持論と意見が重なったことに微かな喜びを感じる。


「———ちょ、ちょっと待ってください。....どうして日記の能力とか、桜に関係あるとか、簡単に言えるんですかっ?」


 澄さんの言葉に異を唱えたのは輪廻だ。....僕が呑気に『意見が同じだ』なんて事を考えてた時も、輪廻はしっかりと頭を回転させていたのだと気づくと、何だか自分が恥ずかしくなる。———そんな僕を他所に、一同の注目は澄さんと輪廻に集まっていた。


「あらら、もしかして、僕のこと疑ってる感じかな?」


「....正直に言えば、そうなります。———だって、あの日記を数秒見ただけで結論に至るとかまず有り得ないし、日記について詳しそうなのも怪しいです」


 淡々と、冷静に要点を挙げた輪廻は、それから眼前の澄さんをじっと睨め付けた。そんな輪廻に対し、澄さんは相変わらずの笑みを浮かべて、「なるほどねぇ」と納得そうに呟いた。


「いやぁ、短時間で反論材料を揃えて使うなんて、君はかなり頭が切れるようだ」


「話を逸らさないでください。....あなた、この日記について何か知っているんですか?」


 輪廻の瞳は真っ直ぐ澄さんの方向に向いていて、まるで獲物を射程圏内に捉えた肉食動物のような、そんな視線を送っている。だが、この視線を前にしても澄さんの表情は崩れず、両者視線だけで一戦交えそうな雰囲気を醸し出していた。


「———残念だけど、僕は君が思っているような悪人でもないし、日記について何か知っているわけでもない」


「ならどうしてっ———」


「限られた情報の中でたった一つの正解を導き出す。それが僕の仕事だからね」


「仕事......?」


 澄さんの言葉に疑問を抱きそう呟くと、横に居た晃樹さんが説明をしてくれた。


「澄さんは探偵なんだよ。今は活動していないけどね」


 晃樹さんのその言葉に、僕はなるほど、と納得する。彼が探偵を生業とする人なら、あの推理力や判断力にも説明がつく。


 ———だが、そんな僕とは対照的に、輪廻はまだ不服そうな顔で澄さんを睨めつけていた。


「———何か気になることでもあんのか?」


 それまで傍観的な立ち位置で事を見守っていたはずの刹那さんが、チラリとこちらに目線を向けてそう言った。カウンターに置いてあったグラスに酒瓶の中身を注ぎ、それを勢いよく飲み干すと、さらに言葉をつづける。


「まぁ澄が怪しいのはいつものことだが....安心しろ。そいつはな、とてつもない馬鹿だが頭はキレる」


「それって矛盾してません....?」


「いや事実だ。———なぁ、晃樹?」


「うん。澄さんは言動が不審者だけど、根はまともだから安心して!」


 フォローになっていない謎フォローを受け、澄さんは「あはは」と苦笑した。

 

———刹那さんと晃樹さんの説明に、渋々といった様子で輪廻も納得し、「....話、続けてください」と進行を促した。


「———まぁ気になることは色々あるだろうから、個人的に聞きたい事は後で受け付けるよ。今僕が言って置くことと言えば....そうだな、あぁ、君達の今後についてある程度の考えがあるから、それを話すかな」


「君達の今後はね」と短い建前を置いてから、澄さんは少しおちゃらけた声色で言葉を紡ぎ始めた。


「———まず、この事務所に暫く滞在してもらう」


「滞在って....。そんなに大事になるんですか?」


 言葉の節々に疑問を抱かせたのは那菜だ。その言葉に、澄さんはその口元を微かに歪ませ....ニヤけながら言った。


「そ。現状は君達の想像を遥かに凌駕した、ヤバい状況ってワケ。———既に君達三人の親御さんには事情を説明して保護してるから、その点に関しては安心して。こう見えても僕、警察の上層部に貸しを作ってるから融通が効くんだぁ」


 聞いてもいないことをペラペラと話すのは、澄さんの癖なのだろうか。だけど、澄さんの言葉を信じるのなら、ひとまず輪廻や那菜、僕の家族は安全な場所で保護されていることになる。と同時に、一つ、疑問が浮かぶ。


「———上げ足をとるようでアレなんですけど、さっき澄さん、『日記について何も知らない』って言ってたのに、僕らの家族を保護したり、僕らをここに滞在させようとしたり、いくら何でも対応が早すぎますよね。日記について知らなかったのなら、さっき僕が日記を渡した直後に対応をとらなきゃいけないけど、澄さんはそんな素振り見せませんでしたし。....となると、澄さんはこの日記について、元々知っていたんじゃないですか?」


 そう。僕が抱いた疑問は、澄さんの対応の速さにあった。刹那さんが事前に日記についての情報を伝えていたらしいが、それでも明確に伝えられる情報は少ない。家族への連絡や僕達の対応は、明らかに周到な準備———綿密な計画とある程度の時間を有するはずなのだ。


 僕の考えを言葉にすると、肝心の澄さんは腕を組み、「なるほど」と僕の言葉を吟味するように頷いていた。


「———ま、僕が日記について、何の事前情報も持ち合わせていなかったワケじゃあないよ。『この日記は各国の諜報機関が血眼になって探してる』とか、『この日記を使えば世界を支配できる』とか、もっと言えば『過去に戻れる』とか、そう言った噂や都市伝説があることくらいは知ってたよ。....流石に殆どの噂は出鱈目だろうけど」


 そこまで言って、澄さんは呑気に欠伸して、「ねむぅ」と気だるそうに呟いた。....先ほどのヒリつくようなシリアス展開はどこに行ったのやら、張り詰めた空気は一瞬にしてぶち壊されてしまった。


「何だ、徹夜でもしたのか?澄」


「三徹目だよぉ。今回のターゲットが中々用心深いやつでね、今は交代してるから、本当は仮眠したいんだけど....そんなことしてる暇ないしねぇ」


「でもよ、お前ちょっと前まで一週間までは余裕で睡眠せずに活動できたじゃねぇか」


「あの頃は俺も若かった」


「お前まだ三十代だろ」


 刹那さんは酒を呷り、少し上機嫌になったのか、声を上ずらせて澄さんと話し始めた。どうやらこれ以上情報は得られそうに無いらしい。やるせの無い苦笑を隠せず、ふと輪廻と那菜の方へ目線をやると、二人して拍子抜けしたような顔をしていた。文字通り唖然としていた二人に、僕は声をかける。


「———何だか、一気に雰囲気壊れたよね....」


「....もうよく分かんない。あの人何者?」


「んー、でも悪い人じゃなさそうだよ」


 げっそりとした顔で輪廻がため息まじりの苦言を吐き、それに那菜が返す。———こう見えて、那菜はとてつもなく勘が鋭い。そのため腹黒い人だったり、嘘をついている人は大体感覚で分かるのだとか。そんな那菜が『大丈夫』と言うのだから、まぁ心配はいらないだろう。それにしても、だ。


「———何より気になるのが、この日記の存在が都市伝説になってる事....かな」


「それは同感。こんな日記、噂でも聞いた事なかったもん」


「まぁ、私たち三人がそっち系の話に疎いのも理由じゃない?」


「それもそうだね」


 軽い雑談を交えながら、ふと前方へ目をやると、酒場に興が乗ったのか、澄さんと晃樹さんを引き摺りながら飲み散らかす刹那さんの姿が見えた。


「刹那さんって、酔いが覚めるのも早いけど、酔うのも物凄い速度だね....」


 眼前の光景は、言うならば惨劇、地獄、修羅場、それら全てを足しても満たされない程の光景だろう。シスコンの晃樹さんは姉の所業に文句一つこぼさず、澄さんに至っては気色悪いほど常に変わらない笑顔を見せつけていた。


———僕....いや、僕らの置かれた状況は、僕が想定するよりも劣悪なものなのかもしれない。でも、今この瞬間だけはそんなこと考えないでいよう。考えるのは明日からでも間に合うはずだ。....きっと、大丈夫。


「ヨツ君、リネっち」


 ふと那菜に名を呼ばれ、「どうした?」と返すと、那菜は静かに眉を伏せてその口をゆっくりと開いた。


「———『あの日記が何なのか』とか、『ヨツ君達を襲った集団は何なのか』とか....いっぱい疑問はあるけどさ、きっと何とかなると思うんだよねぇ、私」


 伏せた眉を上げ、那菜は僕と輪廻に眩いほどの笑顔を向ける。釣られたように輪廻の顔が緩み、僕も笑う。


———そうだ。きっと、二人がいれば何とかなる。


 少しだけ自分に言い聞かせるようにして胸中で呟き、先ほどまで脳内でぐるぐると渦巻いていた不安を思考回路から振り払う。


 


 一抹の杞憂だと、僕はそう割り切ることにした。

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