第52話
「いざ東京に着くと怖くなってきたね」
百合園は苦笑する。僕らの前にはかつて日本の中心だったビル群が広がっていた。列車は動かず、人々は変わり果てた姿でうめき声を上げながら横断歩道を渡る。僕らはゾンビたちの視界に入らないように建物の影を歩く。
「馬鹿な仲間も死ぬ前はこういう気分になったのかな……。研究室の同僚全員、ゾンビになっちゃってさ、まぁ、世紀の大発見だなんて馬鹿みたいなことを思いながらそいつらの頭を吹き飛ばしたよ」
百合園は座り込み煙草に火をつける。
「あんまり吸ってると体壊しますよ」
僕は眉をしかめる。
「大丈夫大丈夫……減った寿命分生きれるか分かんないから。今吸ってんの。少年は……さ、お姉さん殺したときどんな気持ちだった」
「…………やっと終わるんだなって思いました。姉の受け続けてきた苦しみも僕の過去も全てようやく終わらせられた」
「そりゃ良いや……私の家族ってさ。凡人も凡人、出来損ないの凡人で馬鹿なんだよ。愛とか信頼とか、優しさとかそんなありもしない幻想信じて本当馬鹿。だから……何かが欠けた気がしたんだ。今まで他人とか世界とかどうでも良いとか言ってたのに本当に馬鹿みたいな気分だよ」
百合園はため息を付いて立ち上がる。
「早く行きましょう。唯愛が何処に居るかは知りませんけど」
「だね。けどゾンビの動き的に目指すは東京タワー……かな? 霧が真実を語ってるとは仮定していいならだけど。まさかゾンビにも人気だったとは」
僕らが歩いていると日が暮れ始める。夕焼けの赤が霧を裂いて微かに夜を照らす。
「ご飯でも食べに行こっか」
「そんな場所ありますかね?」
「何言ってんの。今なら高級レストラン入り放題。まっ、ラーメンのほうが美味しいけど」
百合園は三十階以上はあるホテルに入る。ゾンビを避けながらエレベータが使えないため階段を登る。ようやく辿り着いた場所には空っぽのエントランスホールが広がっていた。綺麗に磨かれていたであろう床には何者かの爪痕が残りテーブルクロスはずり落ちている。百合園は比較的綺麗な机の椅子を引く。座れということらしい。
「どうも」
僕は誘われた場所に座る。
「ちょっと待ってて目的の品、回収してくるから」
百合園は言って、キッチンへと向かう。数分後、二本のワイングラスとワイン瓶を持ってきた。
「酒ですか?」
「そっ、少年も飲んでよ。前は断ったけどさ……飲んだほうが良いよ」
「はぁ」
僕はワイングラスに赤い液体が注がれる様子を見る。百合園は僕の向かいの席に座る。僕は適当に背嚢からチョコレートを取り出して百合園に投げつける。百合園はあっさりと掴む。
「優雅な食事だね」
「飲み物だけですけど」
百合園がワイングラスをこちらに寄せる。僕は戸惑いながらもワイングラスを押し付けた。グラスが擦れ合い小さな音を反響させる。百合園が瞳を閉じてワインを飲む。僕も見よう見まねでワインを飲んでみた。ほのかに甘い味がした。
僕は明日に備えてホテルの一室に背嚢を下ろす。
「何で同じ部屋に居るんですか?」
僕は後ろから付いてきた百合園を見る。ここは一人部屋で他に部屋はいくらでもあるはずだ。
「いいじゃん別に。美人と寝られる機会なんて早々ないよ」
「僕は勝手に寝るので黙ってくださいね。あっ、見張りはお願いします」
僕は枕をベッドに放り投げて寝転ぶ。今日はいつも通り疲れた。
「少年って結構鈍感? いや薄情なだけか」
百合園は僕の頬を撫でる。カチャリと音がして振り向くと、百合園はロケットペンダントを開けていた。写真の中には平々凡々な夫婦とその姉妹。姉のほうが不機嫌そうにカメラを睨んでいた。
「守れなかったよ。私が馬鹿だったからかな。けど……待ってて絶対に終わらせるから」
百合園はペンダントを強く握りしめる。その瞳は微かに震えていた。
「少年……死ぬって結構怖いね。空っぽだ」
百合園はベッドに倒れ込んで眠った。僕は百合園に背を向けて眠った。約束の日は明日。明日で全て終わる。
「へぇーこりゃ凄い」
「凄いじゃありませんよ」
僕はビルの屋上から紅白の鉄塔を見上げる。その頂点は霧のせいで見えない。入り口では無数のゾンビたちがひしめき合いお互いがお互いを押しつぶしている。僕は息を吐く。今日は霧が薄い。僕は暇つぶしに道端で拾った突撃銃の整備をする。見慣れた黒い銃身。偶然か作為的かどうかは分からないが昔使っていたのと同じ型を見つけた。
「勝てますか? 唯愛はたぶん不死身です」
「ギフト持ちか……けど不死身の存在なんていないよ」
「実際頭撃たれても死ななかったんですよ」
「どうせ、再生したでしょ。傷が」
僕は慌てて百合園に振り向く。百合園はじっとゾンビの群れを見下ろす。
「再生するってことはエネルギーが必要なの。そのエネルギーはどうせ霧から来てるだろうから……今日は勝ち目があるよ。例え本当の意味で死ななかったとしても細切れにすれば動けなくなって実質、私達の勝利さ」
「簡単に言いますけど」
「そりゃ、君が殺るんだからね。私は丸投げ。んで、私は私の役目を果たすから」
百合園は言って僕に何かを放り投げる。ロケットのペンダントの中には家族の写真。
「私が囮になるよ。大丈夫、天才だからね。そう簡単には死なないし死なせない」
「なら、これ持っておいてくださいよ」
僕は百合園の胸にペンダントを押し付ける。百合園は呆気にとられて硬直。
「誰かの死を背負うなんてもうごめんです……僕は、僕の幸せのために生きるって決めたんです」
「そう……だね。君って意外と冷酷?」
「面倒くさいことは自覚してますよ」
突撃銃を背に担ぎ、散弾銃を両手で構える。これだけのゾンビに対して不十分すぎる装備だろう。
「私が下りて北側にゾンビを寄せるから――後は……頼んだよ、少年」
僕は何も言わずに頷いた。一人ぼっちになった。もう側には仲間はいなくて心の中に居た英雄も死んでしまった。霧だけがひっそりと僕の側に佇み蛮勇を笑っている。嘲笑えてきた。状況は絶望的――いつもどおりだ。四年前のあの日から、ずっと生きてきた。なんの目的もなくても生きてきたのだ。北側から風に乗って銃声が聞こえた。ゾンビたちの顔が一斉にそちらに向く。久々の獲物に向かって雪崩のごとく走り出した。
僕は足音を立てずに近づき銃身をゾンビの頭蓋に振り下ろす。ゾンビは衝撃で地面に倒れる。すぐに起き上がろうと手を地面につく。きっと……彼らも永遠に生きたかったのだ、例え死んだとしても。僕は倒れたゾンビの頭を三度殴打。ゾンビは沈黙する。僕は土瀝青を踏みしめて自動扉を潜る。閑散としたチケットルームで立ち尽くす。初めてのタワーが廃墟なんてトラウマになりそう。僕は館内図を確認してエレベータに向かう。ぼんやりと灯りがつき勝手にエレベータが起動する。
「君ってホントいい性格してるよね」
僕はエレベータに乗り込む。ゆっくりと閉まり急上昇していく。高度が上がり気圧差で耳が詰まった感じがする。ふと、取止めもない記憶を思い出した。昔、迷子の子供の手を握って一緒にエレベータに乗ったことがあった。その子は親を探していて僕より年上だったっけ? お姉さんぶりたかったのか、屁理屈を捏ねて迷子じゃないって言い張ってたけ。ふと頬が緩む。その子の人間離れした白銀の髪に見とれていたのだろう。あの時からずっと今日まで。そして彼女はずっと迷子だったのだ。扉が悠然と開く。僕は散弾銃を女性の背中に突きつけた。喪服を来た包帯で顔を覆った白髪の女。
「久しぶり。鷹也。約束どおりだな。来てくれると信じてたよ」
唯愛は靴の音を立てて振り返る。包帯から覗いた眼差しを嬉しそうに細めた。今日は約束の日だった。
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