第50話
はっとして顔に触れるとどろりとした血の感触。姉は自分の吹き飛んだ右腕を見ている。
「誰ッ!」
姉は右腕を再生しながら振り返る。血まみれの白衣の女性が銀色の拳銃を構えていた。胸元は真っ赤に染まっている。硝煙が立ち上る。地面に彼女が背負っていたであろう突撃銃が落ちていた。
「百合園……さん」
「よっ……少年久しぶり。デート……どうだった? 楽しかった?」
百合園はポケットに手を突っ込んで煙草を取り出すとライターで火をつけて吹かす。燃えた灰が地面にぽとりと落ちる。姉はギロリと彼女を睨みつける。
「貴方……鷹也の知り合い?」
「そうだね。姉代わりかな……?」
百合園は皮肉混じりに姉を見下す。姉は両腕を翼に変質させる。
「鳥か? あんまり相手にしたくないなー。ねっ、手伝ってよ少年――いや隊長」
「ッ!」
僕は百合園から後ずさる。百合園はニマニマと僕を見る。何もかも見透かしたような瞳。
「逃げられないし逃さない。君には役割があるんだから。彼女を――虚飾を殺そう。私、興味あるから。烏の情報に。君は彼女に大切な仲間を殺された。ほら、協力できると思わない?」
姉が百合園の言葉を塞ぐように僕の前に出る。
「必要ないわ。今まで鷹也を……弟を守ってくれて、ありがとう。けど、もう必要ない。これからは私が守るから」
姉は僕の頭を羽で撫でる。異形になってしまっても死んでも、その性格は変わっていない。百合園は突然、体を曲げてクツクツを嗤う。何がおかしいのだろうか?
「世の姉ってのはこんなに馬鹿なのか? 自分を客観的に見せられてるような気分だよ――少年は君の助けなんて初めっから求めていないよ。そうだろ?」
百合園はぎょろりと僕を見る。僕は怖くなって後ずさる。誰から?
「だって――少年、姉が死んだことを確認するために生きてきたんだから」
「…………」
僕は無表情で百合園を見る。姉が目を見開いてこちらを見てくる。見たくなかったそんな顔なんて。
「私、天才だから。大抵のことは分かるよ。人の感情の機微には疎いけど分かる。それぐらい。姉を探してると言っておきながら、その生死はまったく気にしていなかったりさ。一時は会わないことをさえ――いや、出会うことができないという事実を求めた」
百合園はぺらぺらと喋る。姉は翼を羽ばたかせ言葉を遮る。
「鷹也。こんな女の戯言を聞く必要はないわ……鷹也?」
僕はゆっくりと姉から後ずさる。百合園が口元を歪める。
「二重人格なんて早々発生しないでしょ。家庭環境は劣悪。都合の良い霧神様の出現。そして心の内にはヒーロー君。やるべきことなんて決まってた」
「黙れッ!」
喋らないでくれ。僕はそんな人間じゃない。僕は誰の死も望んでいない。仕方なかったんだ。僕は――。
「殺戮だよ。人間らしくて馬鹿。少年、私は君のことより一層好きになったよ」
姉がこちらをじっと見てくる。怖い殺される。僕は何もしていない。何もしていないんだ。姉は小さくため息を付いた。胸を張って深呼吸をして言う。
「だからどうした? クソ女! 仕方なかったからよ。そうでしょ鷹……也? そうだと言いなさい!」
僕は口元を抑えた。ぎょろりと僕の眼球が姉を捉える。何処かで自分も気づいていたのだ。自分の本当の願いぐらい。
「大丈夫よ。鷹也、私、怒ってない。あんな状況だものどうなっても可笑しくなんてないのよ。ただ運が悪かっただけ。次はきっと上手くやれる……だから鷹也」
姉はボソボソと何かを言っている。そのたびに心が冷めていく。きっと彼女は忘れてしまったのだろう。その首筋の傷が誰に付けられたものなのか。どれだけ理性的に振る舞ってもう過去のことなどとうに忘れてしまったのだ。
「少年! 決戦の刻が来たよ。君の願いは何だい? 姉とぬるま湯に浸かること――違うね。生きたかったんだろ! だからこの世界がどれだけ絶望的になっても君は生きてる。戦え! 戦えば私たちは生き残れる!」
百合園は僕の瞳を見る。強い意志のこもった瞳。彼女は僕と違って強いな。世界はゾンビだらけ、状況は始めから絶望的。姉の目が見開かれる。僕はゆっくりと弾丸の込められた拳銃の銃口を鏡音飛鳥に向けた。
「どうして……? 鷹也、私達なら今度こそ絶対に――」
「合理的判断だよ。唯愛は僕を……僕に関係するものを逃さない。あの街を滅ぼしたのだってどうせ計画のうちだ。姉さんと暮らしていると姉さんは勿論、僕も死ぬ。だから百合園さんにつく。勝つために、生きるために、僕は誰かを殺す!」
僕は引き金を引いた。思ったより軽い。乾いた銃声。姉の頬を弾丸が掠める。姉の眼から涙から溢れた。ごめん。誰かを傷つけてでも、大切なもの壊しても僕は――生きたい。
「殺して見せるッ!」
「べらべら喋りやがって! 私の弟、洗脳してんじゃねッ!」
姉は激昂。翼を大きく広げ羽ばたかせ百合園に飛びかかった。
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