第49話

市役所に着いた。僕は電気が止まって開かなくなった自動ドアのガラスを蹴りつける。何度か蹴ると亀裂が走ってガラスが下に崩れ落ちる。受付の女性が台の上に頭を寝かせていた。息はない。僕は止まっているであろうエレベータを無視して階段を登る。目指すは十三階、蛇皮のオフィス。カツリカツリと終わってしまった社会に僕の足音が響く。ちっぽけな拳銃を強く握る。銃声が響いた。何発何発も同じような音が聞こえる。

 僕はオフィスの扉をゆっくりと開けた。生臭い匂いがした。スーツを来た男が拳銃に弾倉を装填する。目の前には倒れた服の乱れた女。どくどくと何処からか血が溢れている。部屋の隅っこにゴミ溜まりのように人間の死体が積み上がっていた。その中に元売春婦の知り合いの姿が見えて少しだけ不快な気分になった。

「楽しそうですね? 蛇川さん……」

 スーツの男はゆらりと頭をこちらに向ける。大きなため息。

「嗚呼、君か。そうか、君か。吹っ切れたようで何よりだよ」

「はい、ようやく理解できました。僕の愚かな世迷い言は忘れてください。貴方の協力などもう必要ない」

「何を言っていたかな? 最近、忙して忙して、記憶が飛んでるんだ」

 蛇川は銃で突然、倒れた女性に射撃。頭から血がゴポリと溢れた。蛇川は死体の様子を見て満足そうに笑みを浮かべる。口元を歪めて嗤う。その顔は銀髪の嘘つき少女に似ていた。

「楽しいですか?」

「……どうだろうね。ただただ安心するんだ。これで一歩、私も救われるのだと。大丈夫だ。彼らには気持ちよく死んでもらえるように努力した。恨んでくれても構わないと許可はした。けどね、私が彼女たちを生かしてきたんだ。これぐらいの報酬は許される……だろ?」

 蛇川は禿頭を撫でながら苦笑する。

「気持ち悪」

 僕は自然な動作で拳銃の銃口を蛇川に向ける。蛇川は慌てて拳銃を僕に向ける。僕に殺されないと思っていたのだろうか。生憎、人なんてどっかの誰かの策略のせいですでに自分の手で殺している。誰もが殺人鬼だ。この状況だってきっと彼女の掌の上なのだろう。僕は軽く頭を横に曲げる。耳の横を弾丸が通り過ぎる。引き金を引いた。蛇川は胸を抑えて蹲る。血が零れる。引き金が思った以上に軽かった。涙が僕の頬を伝う。

「仕方ないだよ。全部、仕方なかったんだ。仕方ない仕方ない。この世界だから……これが当たり前なんだ」

 僕は自分に呪いのように言い聞かせる。蛇川の目から光が消えて床に倒れた。


 日が落ちた。僕の背後には最近まで人類の光が灯っていた場所がある。今では見る影もない死体の楽園。そこら辺の道路と同じだ。僕の周りには誰も居ない。ゾンビのうめき声さえ聞こえない。土瀝青に座り込み夜空を見上げた。今夜は霧が薄いのか久しぶりに星空が見えた。誰もいない世界。僕と星だけしかない世界。

「楽園……か?」

 これ以上の楽園が僕のちっぽけな頭では思いつかなかった。誰にも精神を侵略されることがない世界。幸せなんだ。これだけできっと僕は欲しい物を全て手に入れてしまったように思えた。霞んだ空の星が影に消える。何かがこちらに降りてくる。あまりの暴風に僕は腕で顔を覆う。

「やっと見つけた……鷹也」

 心が落ち着く耳慣れた声。腕を翼に変化させた鏡音飛鳥が僕の前に立っていた。

「姉さん?」

「……逃げましょう。鷹也。あの村はもうおしまいよ。虚飾、アイツが全て終わらせた。残ったのはただの死体の山。私は飛んで逃げれたけど……みんなは」

「そう。いいよ。姉さんがいいなら。僕はもう何でも良いんだ」

 そうだ。姉さんがいればなんとかなる。姉さんなら僕を導いてくれる。

「鷹也。行きましょう」

 姉は右腕を翼から手に変化させて僕に差し出す。僕は手を伸ばした。


「たかやー、そんなに走ると転ぶわよ!」

「だいじょうぶー姉さんが守ってくれるから」

 僕は姉をほっぽりだして背の低い建物が並ぶ通路を通り抜ける。過去がそのまま残った古臭い街並みがそんなにきらいじゃなかった。考えていると、足を踏み外し盛大にこける。

「いったー!」

「ねぇ、鷹也。私の話ちゃんと聞いてた」

 姉が呆れた顔で僕に手を差し出す。僕はその手を迷うことなく握った。姉がパンパンと僕の小さな膝のホコリを払ってくれる。

「ちょっと擦りむいちゃってる」

「大丈夫だよ。血出てないし。そんなことよりさ。行こ、水族館!」

 僕は小走りしながら姉に言った。


 ゆらゆらと光を透過する水が張られた天井を見る。ふと横を見ると姉が手をガラスに当てて水槽をぼーと見ていた。何があるのか気になって横から覗く――水槽には魚の一匹もいはしなかった。捕食者の鮫も、その犠牲となる哀れな魚もこの世界には居なかった。僕は姉さんの手が震えているのに気づき、手で包み込む。姉はにこりと笑みを浮かべ僕を見た。僕らは二人だ。大丈夫だ。二人だけの世界が――きっと一番幸せなんだ。刹那、姉の腕が半ばから千切れて鮮血が僕の頬に散った。

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