第45話

 身を切り裂くような凍てつく風邪が羽毛に覆われた体に当たる。

 私は灰色の翼をなんとか動かして高度を保つ。不慣れな体を曲げて旋回する。

 真紅の眼球が寂れた村で抱き合っている二人の少年少女を見つける。彼女は選ばれなかったのだろう。

 私は化物仲間である一人の少女の姿を思い浮かべ思う。結末が碌でもないことなど、見た瞬間から知っているが、何処かで救いがあると私は期待していた。憂いを断つために偽りの翼で空を飛ぶ。

 眼下で少年は立ち上がり、瞼を拭う。少女の手を恐る恐る手にとる。戦っても何もないと彼らは知ってるのだろうか? きっと愚かで純粋だから気づかないのだ。

 そしてそれが私には愛おしくて仕方なかった。誰かを助けられるその歪んだ心に私は救われたのだから。

 森のはずれでは物語性の欠片もない喪服のような黒服を来た亡者が、何度も何度も死体の頭を叩き潰してる。

 突如、こちらを見る。憤怒と狂気に満ちた表情でそれは拳銃を抜くと、私に向かって射撃した。




「嗚呼……あぁ」

 僕はうめき声をあげながら寂れた街を歩く。気恥ずかしさを覚えるが、周囲の視線が意外と僕には向かない。

「さっすが鷹也先生、迫真の演技!」

「うん、つばめのせいで無駄になってるけどね」

 僕は苦笑する。包帯を巻いているとはいえ、つばめの容姿を見たゾンビの男たちが先程からちらちらと彼女を見ている。人気の違いに凹む。

「がおぉー!」

「ちょっ!」

 つばめが強引に肩を掴んで……首筋に軽く齧りつく。なんともこそばゆい感覚だ。つばめは首にしばらくの間、抱きついたままだ。

「それで……あの女は見つかったの?」

「何で、そんなに敵対的なの!?」

「いや、だって鷹也の知り合いだし。どうせ碌でもないし」

「自分の否定に繋がってるけど……今のところ見えない。百合園さんのことだから上手くやってるだろう――」

「こんな――イカサマだろうがぁ!」

 突然の大声に振り向く。痩せ細ったおかっぱ頭の男が腕を振り乱していた。目の前には地べたに座り込んだフードの不気味な人物。男の声に頭を少しだけあげる。パサリと手に持っていたトランプのカードを落とす。

「君の腐った脳の失態を私に押し付けるなよ。馬鹿なのか?」

「なんだ……とっこの野郎!」

 男は拳を震わせてフードの人物を睨みつける。次の瞬間、男はフードに殴りかかった。僕は咄嗟に止めようと足を踏み出す。刹那、男は派手に顔面から転倒。

「なっ! テメぇ――ふげぇ」

 フードの人物が立ち上がって男の頭を足で抑えつける。男は足に向かって爪を振るう。空を切る。フードの人物は男の体を蹴り上げた。男は宙に浮き地面に勢いよく叩きつけられる。

「詐欺師……この詐欺師野郎が」

 男がふらふらと立ち上がり言う。

「私は正当なゲームで馬鹿な君の汚い金を巻き上げただけさ」

 男は地面に地の混じった唾を吐き捨てると一目散に逃げていった。僕はローブの人物の前に立つ。

「ちょっと、たかやん!」

 つばめが服の襟を掴んで止めようとするのを振り払う。

「次の相手は……君?」

 ローブの隙間から瞳が僕を覗く。僕はゴクリと息を呑む。戸惑いながらも口を開く。

「いえ、占ってもらいに来ました。僕たちは――ここから逃げられますか?」

 ローブの人物はポケットから一枚のカードを取り出す。円状の時計のようなものが書かれたカード。

「タロットカード。正位置の運命の輪。結果はあまり良くないね。予想では、生き残るのはたった一人だけ……私だよ」

 ローブの人物は顔を隠していたフードをのけてニヒルに笑う。黒い瞳に空色に近い髪色。鋭利な瞳で百合園は僕らを見ていた。


 霧がかった空にはあの日のように満月が見えていた。あの後、僕らは百合園と明日の脱出の計画を立てた。僕は唯愛を探すため、日が落ちて活気づいた村を歩く。歩めば歩むほど人の数がぽつりぽつりと減っていき、最終的には絶える。僕は数日前に訪れたばかりの忌々しい神の住む神社に向かう。唯愛ならきっとここに居る気がした。石の階段を登るたびに心が重くなる。ついに次の石段がなくなる。眼前の境内には一人の女性が立っていた。右腕に包帯を巻き付けている。黒衣が夜風にはためく。

「……久しぶり唯愛」

 唯愛は無言でこちらを向く。右目を包帯で隠していてもその芸術作品の如き美しさは隠せていない。唯愛は小さく吐息を吐く。

「ここを出る。姉に……会えて……全部終わったんだ」

「隊長、僕はずっと期待してたんだ。歩き続けた果てに何か幸福があるのだと、何かあるんのだと信じずにはいられなかった。そのために……私は」

 唯愛は泣き笑いする。何の話をしているのか僕には分からなかった。ただ唯愛が思い悩んでいることだけは痛いほど伝わってきた。

「明日の日の出、この村から出る。百合園さんとつばめにはもう伝えてる」

「これで終わりか……」

 唯愛は何処か遠い目をして空を見上げる。

「今、つばめ達が脱出のために銃器を集めてる。バレなければ良いけど」

「ゾンビの心配はしなくていい。ここの奴らは大した能力はない」

「けど……ネームドも居るんだよ」

「問題ない。殺せる」

 唯愛は興味なさそうに言う。

「なぁ、鷹也。僕は何をやっていたんだろうな。こんな……結末初めから知っていたはずなのに期待せずにはいられなかったんだ。それしか僕になかったから……進むしかなかったんだ」

 唯愛は死んだ表情で僕を見る。僕の中の何かと対話でもしてるかのように。

「大丈夫、僕が連れて行くよ。……みんなを楽園に、だって楽園は創れるんだから。そうに決まってる」

 唯愛は少しだけ驚いたように目を見開く。まぶたを閉じて口元を緩めた。

「そうかもな……」

 森が音を立てる。宵闇の空に白い烏が燦然と純白の翼を羽ばたかせて飛び立った。

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