第44話
僕は怖くなって姉の腕を振りほどく。ふらふらとベッドから立ち上がりゆっくりと扉を開けた。腹の底から激情が湧き上がって、僕は走った。ゾンビたちの血走った視線が僕を見る。それがもっと得体の知れない心を掻き立てる。
「がっ!」
僕は足を絡ませて転倒する。受け身で両手で使ったせいでどくどくと皮膚を割いて血液が零れる。鉄の匂いがする。夢の中で嗅いだのと同じ匂いだ。夢、そんなわけがないだろ! 掌には抉った肉の確かな感触。退廃的な思想も全部、頭の中にあるんだ。僕は強く頭を地面に打ち付けた。血液が地面に華のように咲いた。
思考が落ち着いてくる。僕はふらふらと立ち上がる。周囲の視線が鬱陶しい。花の匂いに誘われた哀れな蠅のように、村の外へと向かう。外に出れば彼らが襲ってくれる。僕の体を引きちぎってみんなと同じ楽園に送ってくれる。僕の楽園。鬱蒼と茂る森に向かって手を伸ばし――何かに足をかけられた。受け身も取れずに地面に体を打ちつけられる。地面を見ていた。誰かの足が、背中の上に乗っている。僕は死んだ表情でその女を見た。
「つばめ……」
「言ったでしょ。諦めんなって。私は鷹也に諦めて欲しくない」
「人を殺そうとしてた――殺してた。僕は……ただの殺人鬼だった」
「私も殺した。言ったでしょ。一人は頭が可笑しくなったから頭を吹き飛ばした。もう一人は私を怖がって逃げ出して死んだ」
「君は仕方なかったから殺したんだ……僕とは違う。僕は殺したかったんだ。僕は嬉しかったんっだ。ゴミが死んで」
僕は力なく言う。つばめは幸せになれる。きっと生きられる。だって僕なんかより強くて優しいのだから。
「しっ――仕方なかったわけないでしょうが!」
つばめは僕の鼓膜を裂けそうなほどの声で吠える。
「仕方なかったぁ! 馬鹿言うな! 私は認めない! 私は――できたはずなの! 救えたはずなの! みんなを救う道が会って――それを見つけられない探偵はなんて……いらないのに」
つばめは頭を抱えて叫ぶ。背中に少し湿った感覚。僕は初めてつばめが泣いている姿を見た。
「けどね……隊長。私、生きるって決めたの。汚いし、泥だけだし、幸せになんてなれっこないけど。それも生きるの――だって私、名探偵だから。職業、正義のヒーローだから。真実はきっと……あるはずだから」
つばめは僕の背中にこつりと額を押し当てる。僅かな肌の暖かさを感じる。
「ねぇっ隊長。私ね。隊長が猿と戦ってるとき、思ったの。隊長ならなんとかしてくれるって私の絶望も、この世の中の意味わかんない絶望もなんとかできるって……無責任だよね」
そんなわけない。僕はそんな人間じゃない。だって――あれは。
「あれは僕じゃない。僕とは全然違う。ただ強くて……」
「違わない。隊長は隊長だから。表とか裏とか関係なく隊長は凄い――だって私達、私、まだ生きてるんだよ。凄い距離を歩いてきたよ。京都から名古屋まで来て今、もっと北にいる。今までの遠征隊なんて、絶対すぐ死んでるよ。こんな世界だもん。仲間割れも起こるし、殺し合う。けど唯愛ちゃんや隊長が居たからなんとかなった」
「何もしてない。僕は……」
「知ってる。隊長は馬鹿でのろまだから」
僕にはその言葉が少しだけ心地よかった。僕を上手く形容できている気がした。
「けどね。運良いよ。隊長は。絶対。だから今度も私たちは勝つ。絶対に勝つの!」
つばめが僕の背中を叩く。
「勝って……どうするの? 正義なんてこの世界にはもうないよ。ただ生きていくだけ。楽園もな――」
僕が言葉を言い終わる前に唇を何かを塞がれた。ファーストキスの味よりもよっぽどましな甘ったるい味。温かな腕に包まれて、僕も無意識に抱き返した。
「創るに決まってるでしょ! 私達で楽園ぐらい創れるよ! だって私、君の正義のヒーローになるから。名探偵は諦めない……そうでしょ」
つばめは口元を精一杯曲げて笑った。
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