第43話

 軽やかに引き金は引かれた。純黒の銃身から小さな弾丸が発射され人間の脳を抉る。

 握るのは暗い目をした何処にでも居る平凡極まりない少年。

 その表情には前回と異なり絶望ではなく、ただただ虚しさと無情さを称えていた。

 私は――できることならその一瞬を絵画にして飾りたいと思った。ただ駄目なのだ。計画に支障に出る。彼が探索隊に選ばれたのも、人を殺す必要があったのも全て想定していた道のりとは違うが概ね予想通りだ。待たなくてはいけない。私は誰にも見られないように口元を舌で舐めた。

 列車の上で戦う彼の姿を見た。獰猛で支配的な暴力の化身。普段の大人しさなど皆無の文字通りの怪物。右手に握るのは銀色の刃。霧を捉え、猿の鞭の如き腕の攻撃を捉え躱し、心臓を刃で潰す。嗚呼、まさしく英雄の姿だ。

 ただ、苛立ち舌を噛み切りたくなるのは全て、あの女のせいだ。忌々しい女。生まれた母体が同じだからって調子に乗る売女――こんなことを考えている私も、彼ならば救ってくるのだろうか? あり得ない。人は信じない、信じているのは愛だけだ。




 僕はいつの間にか地面に倒れていた。口に砂利と泥の味がして吐き出す。口が切れていたのか吐き出した唾に血が混じっていた。僕は擦れた掌に立ち上がる。目の前にはさっき僕を思い切り蹴り飛ばした女の姿。

「はぁい! 隊長、目醒ました?」

 つばめは嫌に真面目な顔で言う。僕は拳を握った。

「目なんてずっと覚めてるよ。ずっと考えてたんだ」

「死ぬことでしょ――けどね私死にたくない。隊長、私は、死ぬ気ないの!」

「好きにすればいい! 僕は……どうせ役に立たない」

 僕は声を荒らげつばめを睨みつける。そうだ、僕が居なくてもつばめや唯愛は大丈夫だ。彼女たちは強いから。リーダーなんて名ばかりの僕が居ないほうが良いに決まってる。つばめは顎に手を置いて軽く考える。

「あっそ。そう思ってたとしても、むざむざ死なせたりしないけど」

「放っといてくれ! 僕は――姉さんと一緒に暮らすんだ! 死ねば……永遠に暮らせる」

「また女! シスコンすぎでしょ! 嫉妬しちゃうなー、でどうして永遠に暮らせるの? ゾンビは殺すよ。私は殺す。私、死んだ奴に興味ないもん。鷹也も見たでしょ。猿みたいな男ども。あれと同じ存在になるなんて死んでもごめん。だから鷹也がゾンビになった時点で私の敵だから容赦しないよ」

 つばめは刃物を抜き放つ。僕は拳を握る。武器なんてもう持っていない。必要ない。

「邪魔しないでよ……」

 僕は震える足を立たせる。

「やだ! だって私――隊長のこと気に入ってるし。それに楽園見たいの。私達が納得できる楽園」

「ある理由ないだろ。そんなの……」

「そう? 私は結構、希望見えたけどね。見せたくれた。どっかの誰かさんが」

 つばめは一歩踏み出す。勝ち負けなんてどうでもいい。つばめに殺されれば、それはそれで目的達成だ。

「何も――問題なんてない!」

 僕は恐怖を押し殺して踏み出す。駆け寄ってつばめに拳を振り下ろす。

「やっぱ隊長ヤバいね。超イかれてる」

 つばめは僕の目の前でナイフを森に放り投げた。視線が反射的にナイフのほうに向いてしまう。次の瞬間、顔面に衝撃が奔る。僕は顔を手で抑え痛みを堪える。顔面を殴打されて涙が出て、視界が朦朧とする。つばめは僕の胸ぐらを掴む。体が浮き上る。次の瞬間にはふわりと砂利の上に押し倒されていた。僕は正面からつばめの顔を見る。その目元からは水滴が伝っていた。

「勝手に諦めんなぁ! 隊長が諦めたら終わりでしょ……知ってるよ。私も、楽園なんてないよ。あるわけない……けどね。希望はあるから。私、名探偵だから。正しいこと見つけてみせるよ。こんな死じゃなくてもっとまともな死があるから。だから――逃げるな馬鹿!」

 つばめの拳がこつりと僕の頭を叩いた。


 僕はただただ山道を下る。静哉の死体は神社に置いてきた。何度揺り動かしても目は二度と開くことはなかった。きっとすぐに蝿がたかってより一層腐るのだろう。やっぱり特に心は痛まなかった。

「…………」

 つばめはさっきから無言で僕の後ろをついてくる。逃げるな……か。僕はずっと現実から逃げるために努力してきたのにそんなの無理に決まってる。霧の向こうにもう見慣れてしまった寂れた村が見える。僕はつばめの方をちらりと見る。つばめはさっきまで僕を見ていたのか視線を逸らす。

「どうやって説明しようか」

「鷹也のお姉さんに?」

「うん」

「そりゃもう――彼女?」

 つばめは首を傾げながら言う。僕は無言で歩く。

「ひっど、無視とか酷すぎでしょ。……いや、もしや、そういう高度なプレイなのか!」

 つばめがぽんと手を打って閃いたような表情をする。僕は運に任せることにした。


「おかえりー鷹――」

 姉は扉を開けて帰ってきた僕を出迎えてくれる。すぐに視線が隣に立っているつばめに向く。つばめは腕を組んで真剣そうな表情をする。つばめ曰く、嘘は堂々とつくのがコツらしい。

「鷹也君の彼女です。お姉さん――弟さんをください!」

「何いってんの?」

 僕はジト目でつばめを睨みつける。嘘にも程がある。慌てて姉の方を見ると、クスクスと笑っていた。あまりに突飛で冗談だと認識してくれたらしい。

「鷹也の友達ね。よろしく、お名前はなんていうの?」

 姉はつばめに手を差し出す。つばめは強く姉の手を握る。

「真正つばめです。弟を奪い取りに来ました! 覚悟してくださいねお姉さん!」

 その言葉を告げた瞬間、姉がつばめの手を握る力が強くなった気がした。

「よろしく真正さん。ゆっくりしていくと良いわ。もちろん、弟は渡さないけど」

 姉はにっこりと微笑んだ。


「……ナニコレ、めちゃ美味い」

 つばめは箸で掴んだ鮭の塩焼きを呆然と見ながら語彙力皆無で言う。

「ありがとう、真正さん」

 姉は穏やかに微笑し、僕の表情を期待して見てくる。僕も食べる。脂が乗っていて焼き加減も丁度よい。

「いつも通り、美味しいよ。姉さん」

 僕がいつもの如く思いを口にする。姉は満足そうに頬を緩める。僕はそんな姉の姿を見るだけで、やっぱり十分なように思えた。あらかた出された食事を食べ終えると、姉が冷蔵庫からホールのケーキを取り出す。僕はふと懐かしさを覚える。あの日の前、よく作ってくれていたチェコレートケーキだ。

「鷹也、これ好きだったでしょう」

「うん」

「へぇー、鷹也がチョコ好きなのってそういう理由だったんだ」

 つばめが頬を膨らませながら不満そうに僕を見てくる。

「そうだよ。何か悪い?」

「何にーも。ただ本当に――お姉さんのこと好きなんだなって」

 つばめはぷいっと目をそらす。僕は姉が切り分けらたケーキを食べる。ほのかな苦味がした。


 夜、僕はベッドの上でぼんやりと天井を見上げていた。やっぱりどうにも再び戦う気は起きなかった。欲しかったものは手に入れてしまった。つばめや唯愛のことを考えると、何も思わないわけではないけど――それでもこの幸福を、日常を手放したいとは思わなかった。

「鷹也」

「何してんのつ――姉さん?」

 姉が腕で枕を抱えながらゆっくりと部屋の扉を開けた。姉はベッドの端に座って僕の頭を撫でる。少しだけくすぐったい。姉はしばらく喋らずにずっとただ僕の頭を撫でていた。

「……良かった。鷹也にも友達が居て」

 姉はポツリと言葉を零す。

「……変な奴だけどね」

 ぼそりと言うと、温かな肌に包まれる。姉の顔が僕の目の前にあった。綺麗に整った顔に白い肌。その瞳には微かに涙が滲んでいた。姉は口を開いてすぐに結んだ。ただ僕を静かに抱きしめた。僕は静かに瞼を閉じる。明日もこんな日が続くと信じて。


 頭を殴打された。憤怒に歪んだ自分を生み出した男の表情。

「――――」

 何を言ってるのか分からない。表情は更に歪んで、僕の体を男が殴りつける。白いタイルに血が散った。痛い痛い。僕は胡乱な瞳で男を見上げた。口元を無理やり歪めて笑った。

 

 真っ暗な部屋を僕はペタペタと足音を立てて歩く。さっきまでの怒鳴り声は鳴りを潜め、ただ、ぽつりと――ポツリと何かが滴る音がした。

「まぁ、何だって良いかぁ」

 俺は鮮血が付いた刃物を持って、目の前の扉を開く。すーすーと規則的な寝息が聞こえる。薄着の姉の姿はいささか扇情的で暫くの間、目が離せなかった。姉が寝返りを打ったことで右腕が強く握られて青くなった痕が見える。頬には小さな切り傷。俺は急激な怒りを覚えて、ベッドの飛び乗った。

「んぅ……」

 姉が身じろぎした瞬間、俺は一切の躊躇なく姉の首を掴んだ。

「ッッ!」

 姉が飛び起きて必死に俺の腕を剥がそうと爪で腕の皮膚を抉る。微かな痛みと興奮。俺はただ笑っていた。


 ベッドから起き上がった僕は呆然と自分の掌を見ていた。綺麗なはずの掌が、微かに赤く見えた。

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