第35話
強風が髪をはためかせる。俺は一歩だけ列車の上を歩く。
「やっぱ猿頭だなぁてめぇは。だーから人間様に勝てねぇんだよ」
「……ニジュウジンカクか? 本当に人間はオソロシイ……な」
猿は拳銃を宙に放り投げる。俺はポケットからナイフを抜き放つ。姿勢は低く。
「戦いたくはなかったが……シマツする」
「はっ! 殺ってみろ雑魚がぁぁぁぁぁぁぁ!」
猿の両腕が一瞬で膨れ上がり破裂。散弾のごとく無数の灰色の触手が迫ってくる。コノ猿、超越しすぎだろうが。俺は心の中で毒づき刃を一閃。赤黒い血液が舞い散る。散った血液の隙間から次の触手が見えた。俺は右に跳ぶ。屋上に穴が空き周囲の車上が凹む。
「当たったら即死じゃねぇか!」
車内に突っ込んだ触手にナイフを振るう。あっさりと半ばで切断。ボコボコと断面が泡立つと再び鋭い先端が再生してこちらにぎょろりと向く。
「面倒くさ」
俺は回転蹴りで触手を横に吹き飛ばす。そのまま前方車両に疾走。猿は触手を手元に戻して通常の腕の姿に戻す。もう一度膨張。右腕を鞭の如く振るう。俺はバックステップ。足元に触手が突き刺さる。触手を放置して前に踏み込む。
「どうせ、無限再生だろ。誰がまともに切るか」
四方八方から触手が迫る。俺はくるりと一回転して全ての触手の軌道を把握。身を捩る。頬を掠めて触手は列車を砕く。そのまま俺はナイフを投擲。銀色の刃が猿の右目に突き刺さる。猿は眼球に突き刺さった刃を撫でた。
「ツヨイ……ナ」
「残念、オメェがヨエだけなぁ!」
俺は続く触手の暴力を背を屈め避けて更に接近。眼前には右目にナイフが刺さったままの猿の姿。
「貰うぜ!」
俺は猿の右眼球から刃物を引き抜く。猿は絶叫をあげながらも左腕でこちらを殴打。俺は咄嗟に後ろに跳ぶ。猿は歯を剥き出しにして哄笑。猿の触手化した右腕が何かを持ってくる。黒い短機関銃。
「俺のカチ」
俺は咄嗟にナイフを一線。マズルフラッシュが視界を埋め尽くした。銃声が鳴り響く。右腕に、左足に、腰に弾丸が貫通。俺は車両に仰向けに倒れる。右手で俺は額を撫でる。僕はどろりとした血液に思考が止まる。ゆっくりと俺は体を起こす。周囲を索敵するように触手が蠢いている。世界は霧に満ちて僕を隠していた。糞が。
「俺たちを殺した霧に助けられるなんざ、あんま嬉しくないね」
僕は遠のく意識を感じながら右手に強く握っていたナイフを見る。怖いな。唯愛とつばめ、ちゃんと生きてるのかな。この小賢しい猿のことだ。どうせ、何か策を仕掛けてんだろ。
「嗚呼。嗚呼、嗚呼、哀れ哀れ哀れです。本当に」
何処からか女の蠱惑的な声が胸の奥で反響した。幻聴? 妙に鼻に触る言い方だな。ゾクリゾクリと心臓の内側に滑り込むような不快感。奇妙な安心感を感じるのが最高に不快だ。
「黙れ」
「哀れ、そのもの。生きる意味も意思もないなら死んでしまえば良いものを」
霧が蠢いて口の形を作りニヤリと歪んだ。嫌な笑み。腕に痺れた感覚。心臓が撫でられる感触。
「私が幸福を与えましょう。姉をお探しですか? なら姉を創りましょう。私は全てを創ります。人も物も、貴方も愛する姉もその境界などありはしない。万物は等しく全て――霧なのですから」
耳障りな声。本当に全部手に入る。ここで欲しいと言うだけで、全てが。嘲笑えてきた。これが神様なのだとしたらそうとうな――馬鹿だぜ。
「残念。可愛い女の子はこと足りてんだ。それに言うだろ。願いは自分で叶えろって、僕を舐めんなッ!」
僕は勢いよく頭を鉄の車両に打ち付けた。意識が朦朧としてっから変な声が聞こえんだよ。声が聞こえる。ガンガンと頭中で甘ったるい女の声。黙れ黙れ黙れ、消えろ。神様はお呼びじゃないんだ。
「てかまず、俺らは負けねぇ! ――僕は一人じゃない!」
眼前に一本の触手が現れる。ぎょろりと周囲の触手がこちらを一斉に向く。見つかった。けど問題ない。分かるんだ。次の瞬間、触手が一気に僕の足元を砕いた。すれすれで僕の肉はそげない。僕はゆっくりと一歩踏み出した。霧の中で閃光。耳元を弾丸が掠める。頬を抉り鮮血を散らす。けど急所には当たらない。霧の微細な動きが軌道を先に伝えてくれる。僕は小さく息を吸った。瞼を閉じる。足元でガラスが割れる音が聞こえた。
「隊長、生きてるー!」
つばめの声。
「はっ! この僕が死ぬわけ無いだろ」
僕は血を吐きながら叫び、できる限り虚勢を張る。
「うわぁ、瀕死なんだー。さっすが弱っちい」
つばめは戯言を言う。金属音が眼の前で鳴り響く。僕は無言でつばめが投げ上げたものを持ち上げる。鋭利な銃剣。素早く回収。くるりと一回転させ、切っ先を先に居るであろう猿に向ける。微かに霧を突き破った光が刃に当たりギラギラと銀色の光を反射する。眼の前で霧が大きく動き、猿の輪郭が見える。猿は両腕を広げ咆哮。
「おおぉぉぉぉぉぉぉぉおおお!」
霧が、車両が、体が振動。世界から音が消失。猿が目の前から消失。僕はちらりと背後を見て、銃剣を背中側に振るった。刃と爪が交差。鋭い衝撃で足が軋む。僕の顔面に向かって猿が更に爪を振るってくる。僕はバックステップして回避。外した爪が車両の天井を抉り、天井が不自然に曲がる。腕が曲がり軌道を変え僕の背中を狙う。
「先手必勝ッ!」
僕は背後からの攻撃を無視。猿の心臓を一突きする。背中を抉られ鋭い痛みが走る。それでも、更に心臓に刃を深く突き刺す。猿は咄嗟に長い腕で僕の頭を掴もうとする。
「読めてんだよ、猿知恵ぐらいなッ!」
僕は牙を剥き出しにして腕に噛み付き、引きちぎる。猿の腕から飛び散った鮮血が顔を汚す。口の中には獣の臭い血の匂いと弾力のある肉の感触。クソ不味い。猿はよろよろと後ずさる。心臓には未だに剣が突き刺さり右腕は半壊。
「キケンだキケンだ……貴様ギフトか?」
「じゃあな、エテ公!」
僕は猿が落とした拳銃を突きつける。猿は背を向けて逃亡。
「帰っていいってわけじぇねぇけどなッ!」
引き金を三発引く。霧のせいで狙いが定まらず一発だけが猿に直弾。鮮血を散らす。窓ガラスを突き破る音が聞こえた。猿の目の前に人影が現れる。手には散弾銃。返り血だらけの女の姿。頬を拭う。
「やっと終わった、そして参上! 名探偵は真犯人を逃さない!」
つばめは跳び上がる。頭上から猿の頭部に向かって散弾を発射。猿は車両の縁を掴んで体を捩り回避。つばめは着地と同時にコッキング。発砲。猿の腕を吹き飛ばす。猿の声にならない絶叫が聞こえ、落下し霧の中に消える。
「ありゃ、外した。まぁ、後は唯愛ちゃんが殺るでしょ」
つばめは散弾銃を背負い直しこちらに笑いかける。最後に重い銃声が一発だけ響いた。がくんと足元が振動。列車が急激に速度を落とす。僕は落ちないように必死に車両に掴まる。金属音を立てながら列車は止まった。終わったのだ。霧が少しずつ晴れてくる。眼下の地獄が僕らを祝福した。うめき声をあげて列車の下で屯するゾンビの集団。その中に作戦会議で見た男達の顔があった。
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