第31話

「気分が悪そうだな隊長」

 唯愛は後ろを振り返り言う。僕は軽く頭を振って数日前の出来事を忘れる。今は任務に集中しなくては。例え誰のためとも知れない薬の回収だとしても。僕らは三人で霧の中を歩く。

「ちょっと嫌なことがあっただけ」

「僕が言っただろう。どうせ碌な目に合わないって」

 僕は苦虫を噛み潰した顔をする。実際、その通りだと思ってしまったからだ。あれだけ綺羅びやかな街も、もう見慣れてしまった何も感じない。いつまでも見慣れないのは路地裏のゴミの臭いとチラホラと目につくようになった虚ろな瞳だけだ。

「私も悪うござんした。まぁ、社会って良い面ばっかじゃないよね。視線も面倒だし」

 つばめは大きくため息をつく。

「楽園は死んだ人が辿り着くものだからな。そのぐらい……遠い場所にあるんだ」

 唯愛は立ち止まって言う。

「何処かの宗教は死が神によって与えられる救いだって言ってた」

「あぁ、霧神信仰か?」

「霧神?」

 僕が首を傾げると唯愛が霧しかない空間を指差した。

「唯愛ちゃんそこには何もありませんよ」

「貴様、乳だけじゃなく目も悪いのか。両方抉り取るか?」

 唯愛は大げさにつばめから後ずさる。

「悪くありまんせんから!」

「霧だ。この霧が奇跡によって発生した救いだと勘違いしてる愚か者共、それが霧の信者だ」

「これを……よく分からないね」

「……それぐらいしか信じるものがないのだろうな」

 唯愛は何処か苦笑じみた笑みを浮かべる。

「やっぱり分かんない」

 僕はぽつりと呟く。霧の向こうに巨大な建物の輪郭が見える。

「着いたみたい」

「廃病院などゾンビの巣窟だ。楽園は僕らを殺す気か?」

 唯愛はため息。灰色の壁に囲まれた四階建ての病院。僕は敷地の庭を歩くゾンビを見て、背負った銃に触れた。




 靴の音が小さく院内に反響する。淡色の壁と床、無数に並べられた青色の長椅子。その端に診察を待っているのか一体のゾンビがうめき声をあげながら座っていた。

「早速居るね?」

「発砲は極力控えろ」

 唯愛は周囲を見渡し前方右の一角を指差す。館内の地図が貼ってある。僕は小走りで近寄って建物の構造を見る。薬が保管されていそうなのは一階奥。

「二階からまーわろ」

「何で?」

 つばめは無言で人差し指で奥の廊下を指差す。三体のゾンビが廊下を行ったり来たりしていた。僕らは床を這いつくばって受付のゾンビの視線を回避し二階への階段を上る。がらんとした廊下は薄ら寒ささえ感じさせる。無言で長い廊下を歩く。ゾンビのうめき声だけが聞こえ続ける。それは誰かを待っているようにも聞こえた。僕らは階段を降りて廊下の突き当りにあった重たい扉を開ける。ひんやりとした倉庫に無数の医薬品が規則的に並べられていた。

「僕はここを回収する」

「じゃっ、私、隣、調べてみるね」

 つばめは行って小走りで隣の部屋に向かった。僕は倉庫に入ろうとして止まった。突如、視界の端で壁面ごとドアが砕け散りつばめが吹き飛ばされる。僕は咄嗟に壁面とつばめの間に入る。鋭い衝撃を背中に食らう。

「げほっ!」

 僕は肺に溜まった息を吐き出す。つばめがキラキラした目で僕を見ていた。逆に唯愛はちょっと怒ったように僕を睨めつける。一体僕はどうすれば正解だったんだ。痛む体を立ち上がらせ。扉の奥から出てくる存在を見る。頭部は膨れ上がり眼球ははち切れそう。ナース服を着た不気味な女性のゾンビが僕らの前に一歩踏み出す。

「インテリジェントかッ。ウイルスで脳が完全に壊れていない厄介な奴だ」

 唯愛が隣でぼそりと言う。ゾンビは歪んだ微笑みを浮かべ――咆哮。あまりの高音に僕は耳を塞ぐ。

「来るぞッ!」

 唯愛が叫ぶ。刹那、ゾンビは迷いなくつばめと僕に飛びかかる。唯愛は前に出て蹴りを放つ。ゾンビは身を捻って回避。そのまま僕らに拳を振り下ろす。心臓が早鐘を打ち視界が急速に加速。俺はポケットからナイフを抜き放ち前に踏み込み。拳と斬撃がすれ違う。ゾンビが自らの膝を直視する。

「おせぇんだよ!」

 俺はすねに刃を当て――一気に振り抜く。背後でゾンビががくりと膝を折る。ゾンビは俺を見てケタケタと嫌な笑いを浮かべる。もしや馬鹿なのかこのゾンビは? インテリジェントなのに? 次の瞬間、ゾンビのすねの切断面がボコボコと泡立ち――再生。ゾンビは爪をつばめに振り下ろす。

「不服だが。僕が守ってやる」

 唯愛はゾンビの前に躍り出る。蹴り上げてゾンビの腕を跳ね上げる。回転蹴りをゾンビの顔面に叩き込む。つま先がめり込みゾンビは鮮血を撒き散らし倒れる。俺は落ちていた短機関銃を拾い、倒れたゾンビに掃射。ゾンビの肉体を弾丸の雨が貫く。ゾンビはびくりびくりと痙攣した後、沈黙した。力が抜けて僕は掌から銃を落とし床に倒れ込む。鋭い頭痛に顔をしかめる。

「つばめは大丈夫?」

「ちょっと……大丈夫じゃないかも。ゾンビには触れらなかったけど、扉突き破ったせいで破片が……いたた」

 つばめは脇腹を抑えて立ち上がる。ぽつりぽつりと床に血が垂れる。唯愛が面倒くさそうに背嚢から包帯を取り出してつばめに渡す。つばめはちょっとだけ不満そうにしながら自分で包帯を巻く。僕は手を床につけてゆっくりと立ち上がる。完全に倒れたはずのゾンビの瞳がぎょろりと動きこちらを見た。ゾンビは床から跳び上がる。僕に爪を振るう。

「だから言ってんだろ。筋肉だるまより、おせぇんだよお前は!」

 俺は唯愛の蹴りを模倣して、ゾンビを回転蹴りで吹き飛ばす。ゾンビは壁面に衝突。ゾンビはめり込んだ体を外して背を向けて走り逃げ出す。

「逃がすか阿呆があぁ!」

 俺はすかさずゾンビの背に蹴りを叩き込む。懸命に立ち上がろうとするゾンビを頭から右手で抑えつける。左手でナイフを握る。

「なぁ? お前ってどれだけ切れば再生しなくなるんだぁ? 足切っても全身蜂の巣にされても生きてるってお前は最高級品だ! やっぱ脳かぁ! その俺よりご立派な脳を破壊しなくちゃなぁぁ!」

 俺はナイフをゾンビの肥大化した脳に突き刺す。

「くぎいいぃぃぃ!」

 ゾンビは泣き叫ぶジタバタと床を叩く。俺は剛腕で脳に刃物を突き刺す。ゾンビの脳に刃を乱暴に捩じ込み内側を削る。そのたびに絶叫が院内に反響して気分が高まる。咆哮で世界が振動する。顔に飛び散った鬱陶しい血液を拭う。窓ガラスが割れる音。振り返ると唯愛が銃床で窓を叩き割っていた。つばめが腹を抑えながら壁にもたれかかっている。普段陽気なつばめが弱っている姿に妙に興奮した。

「鷹也、逃げるぞ!」

 唯愛はつばめを抱え窓枠に足をかけてこちらを見る。周囲からドタドタと足音が聞こえてくる。きっと俺が発砲したせいだろう。唯愛の純白の肌と焦った顔、悪くない光景。俺は唯愛に背を向けた。左手に握っていたナイフを右手に持ち変える。

「敵敵敵敵、敵ぃぃぃだああ! 俺の敵ッ、俺が殺すッ!」

 倒壊した扉の残骸を乗り越えて廊下に飛び出る。左右からゾンビの大群。一体のゾンビが弾丸の如く跳びかかってくる。俺はナイフを一閃。ゾンビの頭から鮮血が吹き出る。

「ギャハハハハハ! 俺が、俺が最強だあぁぁぁ!」

 ゾンビの大群に向かって刃を振り下ろした。


 僕は呆然と誰も生存していない院内に立っていた。そこら中から鉄と腐敗臭。ぐしゃりと音がして足元を見てみると、首のないゾンビが倒れ伏していた。視界いっぱいの死骸の山。僕は不安になって自分の体を触るが傷一つない。代わりにべっとりと誰のものかも分からない血液が掌につく。体が少し怠い。半壊した扉をくぐり外に出る。ぽつりぽつりとにわか雨が降っていた。横を見ると唯愛とつばめが壁にもたれかかって座っていた。

「雨……降ってるね」

 僕はぽしょりと言う。きっと唯愛とつばめは僕のあの姿を見たのだろう。僕が見れない僕自身の姿。人としての欠陥。居たたまれなくなって目を逸らす。

「私は――鷹也は格好良かったと思うなぁー」

 つばめが優しい眼差しを僕に向けてくる。

「化け物だよ」

 僕は吐き捨てる。

「そりゃー頭おかしいけど――けど私を助けてくれた。英雄だよ。私にとっては、ね!」

 つばめが痛みを堪えながら笑みを浮かべる。僕は反論しようと口を開いて、やめた。唯愛はゆっくりと立ち上がる。

「僕はそれはそれで才能だと思う。こんな世界だからな。生き残るための手段は何でも使う。だから、鷹也がどんな人間だったとしても――鷹也は僕が守るよ」

 僕の瞼から密かに涙がこぼれた。

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