第26話

 僕は一人ぼっちで空を見上げた。この数年間、ずっと霧なので青空など見たことがない。ガンっと何かを蹴る音が聞こえ体がびくりと反応する。ちらりと音のした方向を見ると、暗い青色の髪をした白衣の女性が乱暴に自動販売機を蹴っていた。ガコンと音がする。女性は自販機の口から長方形の箱を取り出した。

「やぁ、少年。散歩?」

 白衣の女性は僕に気づき話しかける。正面から見るまで気づかなかったが凄まじい美人である。眼鏡の奥あら覗く暗い瞳は鈍く輝く宝石のよう、ニヒルに歪んだ口元が何処か寂寥感を感じさせる。体は女性らしい起伏に満ち、その立ち振舞いの一つ一つが絶対的な自信に満ちていた。白衣の袖から覗く肌は白くシミの一つもない。首元にかけたロケットペンダントが音を立てる。何処かでこの女性を見たことがあるような気がした。

「何してるんですか?」

 僕は銃器に手をかける。女性だからといって危険でないわけではない。拳銃を隠し持っている可能性は否めない。女性は僕が臨戦態勢に入っていることなど気にもせずにライターを取り出して煙草の火をつけ。一服。煙が霧と交わり消える。女性は突然、苦笑した。

「少年、目真っ赤じゃん。ゾンビに仲間でも殺された?」

「知りませんよ」

 僕はどんな顔をしているだろうか。酷い顔であることは間違いない。

「そ……ねぇ少年、ここら辺にあるって噂の騎士団の根城知らない?」

 僕は無言で明後日の方向を指差す。この女は怪しすぎる。女性は肩をすくめる。

「ありがと、君が案内してくれるんだ。ちなみにその方向さっき私が探索したから何もないと思うよ。それにしても……あるんだ。へぇー、まさか本当に噂じゃなかったんだ。それは――すごいね面白い」

 僕は女性を無視して進む。背後から足音が聞こえ振り返る。

「何もありませんよ」

「人間は何もないところに向かってそんな迷いなく進めないよ」

 僕はこの女性を完全に無視することに決めた。足音だけが規則的に鳴り続ける。

「で、少年……なんで泣いてたの?」

「泣いてません」

「よく言うじゃない。人に話せば楽になるって」

 僕の心情などお構いなしに女性は言う。

「仲間が殺されて――僕も仲間を殺した」

 僕は振り返り面倒くさくなって怒気を込めて言葉を吐く。正面から本性の見えない瞳を見る。女性は肩をすくめる。

「けど少年は生き残った。そうだろ?」

「それに何の意味があるんですか?」

「意味しかないよ。生き残ること――それが全てさ。君はきっとあの場に居た誰よりも正しい選択をしたんだろう……だから生き残った」

 女性の言葉の一つ一つが不可思議で心をざわつかせる。正しい選択――あれの何処がだ。出来上がったのは死体の山だ。鉄の匂いと腐敗臭に満ちた空間だ。唇を無意識に噛みしめる。

「これは私の持論だが、強くなるってことは誰かを見捨てられるようになることであって、決して、誰かを守れるようになることじゃない。強くて弱くても人間の限界なんて既に決まってるんだから割り切りの仕方を学ぶことだよ」

 女性は煙草を吸い煙を吐く。タールの嫌な匂いが鼻孔をつく。

「意味が分かりません」

「まぁ、いつか分かるよ」

 女性はその後も僕の後ろを無言で付いてきた。


「許可証を」

 門番の男がそう言う。後ろで女性が感嘆の声を漏らしながらキョロキョロと街を見ている。僕は無言で男に四人分の許可証を渡す。男は顔をしかめる。

「……死にましたか?」

「死亡しました。ゾンビに喰われて」

 男は沈痛な面持ちで瞼を閉じた後、息を吐いた。

「後ろの女性は誰ですか?」

「勝手についてきました」

「少年に案内してもらったんだよ」

 女性がひょいっと僕の背中から顔を出す。男の眼が見開かれる。

「――百合園人羽……」

 男は呆然と女性を見る。その言葉を聞いてようやく思い出した。百合園人羽、昔、テレビで天才数学者として紹介されていた女性だ。

「これからもよろしくね。少年」

 百合園は僕の顔を見て皮肉げな笑みを浮かべた。

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