第20話

 眼の前で二人の大人が倒れている。男と女。顔は酷く怯えて愉快極まりない。口元が歪んだ。僕はそいつらの脳天めがけて右手に握った刃を振り下ろした。

 目を覚ます。体の節々が痛い。周囲を見渡すとやっぱりトイレの中だった。僕はゆっくりと立ち上がり、妙に汗をかいていることに気づく。あんなのただの夢。夢に決まっている。自分自身に言い聞かせる。そうしなければ昨晩芽生えた微かな決意が揺らぎそうになる。僕は開け放たれた扉から恐る恐る一歩だけ踏み出す。店内は昨日よりは霧が晴れて簡単に呼吸できた。

「大丈夫……大丈夫だ」

 僕は自分の心臓を抑える。いつも通りドクンドクンと生存を伝える。誰もいない本屋を急いで出る。店の前に三つの人影があった。つばめはヤンキー座りをして暇そうにルービックキューブをいじり、天使はぼーと地面を見ている。烏末は長銃を背負い直しこちらを見た。

「やっと来たか、隊長」

「たいちょー! そいつずっと心配してそわそわしてぐるぐるしてましたよー」

「黙れ」

 烏末がつばめを軽く蹴る。天使がそれを見てクスクスと笑っている。僕は大きく息を吸い込む。言うべき言葉があったから。

「僕らの目的は楽園を見つけることだ」

 僕は声を上げる。全員の視線がこちらを向く。

「……それできっとこの霧の真実が分かる――けど真実が知りたい。僕は覚えてない。あのクリスマスの日、自分が何をしたのか――どうしてゾンビの群れから生き残れたのか、知らない。だから姉を探したい。鏡音飛鳥を探して過去を知りたい」

 烏末はニヤリと笑った。

「流石、鷹也だ。傲慢なのは隊長の美徳だぞ。ついてで良ければ僕も手伝おう」

「もちろん私も私も」

「私はよく分かりません。その選択が良いことなのか。知らないほうが幸せなのでは――きっと碌でもない結末ですよ」

 天使は静かに僕の瞳を見て問いかける。僕は答えとして北へ踏み出した。そして振り返る。

「楽園を見つけよう」

 僕はただそう言った。




 濃霧の中を僕らは歩く。鮮明なのは手を伸ばせば届く距離まで。遠方の建物の形は歪んで見える。

「そういえば、烏末さん」

「……」

 烏末は黙って歩く。僕の声が聞こえていないのだろうか?

「烏末……さん?」

「鷹也、いい加減、僕の名前ぐらい直接ぐらい呼べ。馬鹿に劣ってる気がして不快だ」

 烏末――唯愛は隣に立っているつばめの足を蹴る。

「いったァァ! 何すんの唯愛ちゃん」

「むかついたから蹴った」

「唯愛」

 唯愛の足が止まった。どうしたのだろうか。つばめがニマニマと唯愛の顔を見ている。

「あっれれー唯愛ちゃん、赤くなっている」

「貴様の目から血が出てるだけだろうが」

「それは新手ウイルス!? 唯愛、本屋で何か見つかった?」

「分かったのは、胡散臭い社長が死のクリスマスの直後、人間のための特区を作るなどとふざけたことを言ったことだけだ。本当に今あるのかは知らんが」

「希望は持っとくよ――誰か居る」

 僕はすかさず姿勢を低くして銃器を握り背後に居る天使を庇う。まだ手が微かに震えているが――きっと戦える。唯愛、つばめもそれぞれの銃器を構える。

「敵は何処だ?」

 唯愛が聞く。

「前方、橋の下に人影が見えた。気の所為なら良いけど」

「うーん、残念、人……だね。今だったら気づかれてない。どうする隊長?」

 つばめは僕の瞳を見て、散弾銃を握る。

「近づいて話をする。いつでも戦闘できるようにはしておいて先頭はつばめでお願い」

「おけぇー」

 つばめは前に出る。僕は天使の手を握る。

「きっと大丈夫……だよ」

 僕らは橋の下に近づく。ぼやけいた輪郭が明瞭になる。大人の男と女が一人ずつ、残りは小さな子供だ。あちらも銃を構えている。

「こんにちはー!」

 つばめが陽気に声をあげる。二つの影が軽く頭を下げた。

「こんにちは……こんなところで人に会うなんて思わなかったよ」

 しわがれた声で男は言う。年は四十代ぐらい、獲物は長銃。分厚いコートを着ていて妙に手慣れている印象を覚えている。

「貴方達は何処に向かってるのかしら?」

 柔和な笑みを浮かべ女性が問う。

「寝床探しです。前の場所がゾンビに壊されてしまって」

 僕は平然とできる限り自然に嘘をつく。女性は痛ましげに僕を見る。

「それは大変ですね」

 僕は聞き流しながら周りの様子を見る。

「ふっ、小さいですね」

「お姉ちゃん。馬鹿なんだ」

 天使が見下した瞬間、小さな女の子に馬鹿呼ばわりされていた。天使は何を考えているのかやっぱりよく分からない。その会話につばめが介入してギャーギャーと言い合っている。唯愛は草の上で座り銃を握ってじっとしている。

「ご家族ですか?」

「ええ、大変よ。今の世界は本当に大変。どうしようもないもの」

 女性は悲痛な面持ちで言葉を零す。僕は小さな女の子に近寄る。

「何? ハーレム王」

「誰、それ言った子?」

「うん?」

 女の子はつばめを指差す。つばめはぷいっと目をそらす。僕は背嚢から銀紙を取り出し女の子にチョコレートの一欠片を渡す。

「あげるよ。ハレーム王じゃないからね」

「ありがと……ハレーム王子。けど関わらないほうがいいよ」

「えっ」

 女の子は急に冷めた表情で僕を見る。急に視線を感じて振り返ると女の子の両親が僕を睨んでいた。何か可笑しいことをしただろうか。

「この付近で楽園の噂を聞いたことがありませんか?」

 僕は二人に問いかける。

「ない」

「聞いたことがないわねー。けど、噂といえば幽霊列車と……蜂の噂なら聞いたことがあるわよ」

「幽霊列車と蜂、何ですかそれ?」

 奇妙な組み合わせだ。

「列車については僕も知ってる」

 唯愛がポツリと口を開く。

「幽霊列車だ。国内周回する無人の列車。やれゾンビの仕業、神の仕業だとかほざいている奴らが烏にも居た」

 幽霊列車――どちらにせよ遭遇したくない。けどもし列車を利用できるなら簡単に北に向かえる。

「蜂は何ですか?」

「蛮族よ」

 女性は自分の裾をまくり白い肌を晒す。抉れた皮膚が見えて僕は咄嗟に目をそらす。

「狡猾なスナイパー。生き残ったのが奇跡だわ。アイツは、誰彼構わず襲ってるのよ。進むなら気をつけて」

「へぇー、強そー。じゃっ隊長、私達が倒しちゃおっか?」

 つばめは僕の肩に手を置いて言う。僕は小さく息を吸い込む。

「どうする隊長?」

 唯愛は獰猛に牙をむき出す。答えなど決まっているとばかりに。きっと行動の選択に正義や善意などないのだろう。心底どうでもいいのだ。

「闘う」

 僕はそう言った。

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